かいりんじあと|真言宗
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長洲天満宮と大物線をはさんで西向いにあるお堂。山門に鳥居があるので「ん?」となりますがお堂には「海臨寺」の扁額も。お堂内には観音様(だと思う)と脇侍の姿も。雨降りだったのでお詣りしてあとにしました。
調べてみると海臨寺は西長洲村にあった真言宗高野山大聖院の末寺で、もともとは天満宮と同じ境内だったとのこと。なのでもともとは天満宮が鎮守社だったのかもしれません。戦前・戦後の都市開発で分断されるように大物線が開通し、海臨寺跡は押し込められる形で残されています。
海隣寺にあった寺子屋は長洲小学校となり今もその伝統を受け継いでいるそうです。

鳥居。天満宮への参道があったのかな?

海臨寺跡碑

境内。石仏など多数。近隣の道路開発時などで集められたのだろうか・・・

地蔵堂

お堂

扁額

観音様と両脇にも仏様
| 名称 | 海臨寺跡 |
|---|---|
| 読み方 | かいりんじあと |
| 参拝時間 | 境内自由 |
| トイレ | なし |
詳細情報
| ご本尊 | 観音菩薩 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 真言宗 |
| ご由緒 | 近世から近代にかけて、長洲天満神社と海臨寺は同じ敷地内にあり、一体でした。その当時の様子を描いた「海臨寺絵図」(長洲天満宮・海臨寺絵図)という刷り物の絵図が『尼崎志』第二篇と『長洲小学校百二十年史』に掲載されています。この絵図や『長洲小学校百二十年史』が引く浜口半左衛門著『長洲寺院の縁起考』の記述によれば、東側の天満神社本殿と西側の海臨寺本堂の間に寺子屋の大きな建物があり、この海臨寺の寺子屋が変遷を経て現長洲小学校のルーツとなったといいます。
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