きんしゃさんかんのんどう
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藤沢駅より徒歩10分ほど。藤沢橋交差点付近の高台にあります。
寛永年間(1624〜43)に建立され、ご本尊は正観音菩薩です。俗に帯解(おびとけ)観音とも呼ばれます。帯解とは幼児が初めて帯を締める儀式のことで、現在の七五三に通じています。安産、子育に霊験あらたかといわれ、毎月17日は女性の参拝が多かったといいます。(17日は観音様の縁日)
明治の廃仏毀釈で観音像は遊行寺の塔頭寺院である真浄院に移転しましたが、信徒の夢枕に「金砂山に帰りたい」と現れたので、大正5年に寄付を集めて大正8年4月24日現在の地に堂宇を新築したといいいます。
創建者は、金井入道守清の次男・太郎左衛門清仲が入道して清西と号し、堂を営んだといいます。この方は清和源氏の流れをくむ方で、上野国群馬郡金井庄を拝領して金井を姓にしたといいます。
清西の父・守清は、房総の里見氏に従い、国府台合戦にて出陣し負傷しました。いったん下総国に逃げ落ちましたが、後に藤沢の地に来て剃髪し豊後入道と号し、慶長15年(1610)に77歳で没したといいます。お墓が遊行寺境内にあるそうです。





『鼻黒稲荷大明神』
こちらにもお祀りされています。セブンイレブンの方とどちらが先なんですかね?




『嗚呼九月一日』と刻まれた震災記念碑(右)。
背面には震災時の様子や記念碑を建てることになった経緯が記されています。

画像を加工しても下の方が読めない😭


22.10.14。先の鼻黒稲荷大明神より徒歩3分。藤沢市の交通の要路である藤沢橋交差点の100メートル西南にある観音堂。
山号 金砂山(きんしゃさん)
創建 寛永年間(1624~1645年)
本尊 観音菩薩
【歴史】~Wikipedia他より引用~
金井守清の二男、太郎左衛門清仲が入道して清西と号して、寛永年間に、この堂を開基した。小川泰二『我が棲む里』→1830年、平野道治『鶏助温故』→1842年によると、毎月17日には多数の婦人が参詣したという。
江戸時代にはこの付近一帯が見渡す限りの砂原だったという。1935年(昭和10年)10月、
『横浜貿易新報』の読者投票により県下名勝四十五佳選に選定された。
無人のお堂で、小さいながら思いの外に立派です。朱色のお社がインパクトありました。小高い丘にあるので、境内から正月の箱根駅伝で通る"藤沢橋"や"時宗総本山遊行寺"なども眺望できる所でもありました。

入り口

門柱

門柱

参道


本堂






本堂右手は《町内会館》

↓




「関東大震災」の石碑

「金砂山安産子育観世音」の石碑
境内・文化財
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金井守清の二男、太郎左衛門清仲が入道して清西と号して、寛永年間(1624年 - 1645年)に、この堂を開基した。小川泰二『我が棲む里』、平野道治『鶏肋温故』によると、毎月17日には多数の婦人が参詣したという。1935年(昭和10年)10月、『横浜貿易新報』の読者投票により県下名勝史蹟四十五佳選に選定された。
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| 名称 | 金砂山観音堂 |
|---|---|
| 読み方 | きんしゃさんかんのんどう |
詳細情報
| ご本尊 | 正観世音菩薩 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | |
| 創建時代 | 寛永年間(1624年 - 1645年) |
| 開山・開基 | 金井太郎左衛門清仲=浄西入道 |
| ご由緒 | 金井守清の二男、太郎左衛門清仲が入道して清西と号して、寛永年間(1624年 - 1645年)に、この堂を開基した。小川泰二『我が棲む里』、平野道治『鶏肋温故』によると、毎月17日には多数の婦人が参詣したという。1935年(昭和10年)10月、『横浜貿易新報』の読者投票により県下名勝史蹟四十五佳選に選定された。 |
| ご利益 | 商売繁盛健康長寿安産祈願・子宝厄除け交通安全家内安全五穀豊穣 |
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