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よしつねじんじゃ

義經神社
北海道 富川駅

資料館:9:00〜17:00(月曜休館)

御朱印について御朱印
あり

ハンガンカムイと称えられている源九郎判官義經公がご祭神です。 右上にひとつの文字のようにカムイと書…

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

第一印象鳥居横、社務所、資料館前

義經神社について

義経伝説が残る平取町の源義経を祀る神社。
現在は多文化共生と多様性尊重のシンボルとして義経伝説を伝えておりアイヌ文様の入った御朱印と御朱印帳が頂けます。

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高砂あさっぴー
高砂あさっぴー
2024年06月23日(日)1499投稿

平取町本町にある義經神社。
祀られているのは壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源義経。史実では兄源頼朝と対立し奥州平泉の地で藤原泰衡に攻められ自害したとされています。しかし北海道各地には義経が蝦夷地に逃れたというアイヌの伝説が残されています。平取がピラウトゥルと呼ばれていた江戸時代に義経とアイヌが交流していた伝説を聞いた幕府の探検家近藤重蔵がコタンのエカシ(リーダー)に義経の木像を贈りその木像がハヨピラの丘に祀られたことが義經神社の始まりです。義経伝説は明治以降にアイヌへの同化政策に利用された側面がありますが平取には有名な二風谷コタンもあることから義經神社では多文化共生と多様性尊重のシンボルとして伝説が語られています。
手水舎は二風谷コタンのチセと同じ茅葺屋根でこれも他の神社では見られないものなので感動しました。平取町は他にもサイレンススズカやダイタクヘリオスなどの競走馬を産んだ馬産地としても知られていて参道には牧場から奉納された提灯が並んでいました。
社務所隣の義経資料館には義経の経歴や各地の義経伝説について学べます。こちらは入館料200円。
御朱印帳と御朱印を拝殿で頂きました。御朱印を書くとまず御神体の前に御供えるという他では見ない作法を行っていました。御朱印帳と御朱印にはアイヌ文様が描かれています。馬産地ということで馬の印も押されています。

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歴史

ご祭神ハンガンカムイ義經公は、1159年に河内源氏の源義朝の九男として生誕しました。幼名を牛若丸と呼ばれ、京都鞍馬寺にて学問武芸に励み成長します。

その後、鎌倉幕府成立の最大の功労となる源平合戦で活躍しますが、鎌倉方と対立し朝敵とされ、1189年、今の岩手県平泉で自害したとさるのが歴史上の通説です。

文武に秀でており多くの貢献を残しながらも、実兄頼朝公の側近らによって追われるご祭神の数奇な運命は惜しまれてきました。

多くの人々から愛された義經公への思いは、判官(ほうがん)贔屓(びいき)(弱い立場に置かれている者に対して同情を寄せる)という言葉の語源となり、歌舞伎『勧進帳(かんじんちょう)』を含め様々な芸術作品の題材となったほか、数々の伝説を全国各地で生み出しました。

その義經伝説の一つがこの土地にも残っています。平泉で生き延びた義經公が紆余曲折を経てピラウトゥル(ウとルは小文字)平取に辿りつき、アイヌと互いの文化を共有したとするものです。

そして時は流れて江戸時代の末期、北方調査(北海道)の折り、この地を訪れた幕吏近藤重蔵翁は、コタンのリーダーと交流をもち、何か心に残ることがあったのでしょう、江戸に帰り神田の仏師に木像を作らせ、翌1799年この地に御神像として贈ります。

これを受けたコタンのリーダーはアイヌには無い風習に戸惑いながらも、重蔵翁から贈られたこの御神像を聖地ハヨピラ(神社の丘づたい東方)に安置しました。これが義經神社創建の起源となります。

以来100年ほどアイヌの人々によって御神像が護られ、その後移住してきた大和の民(本州より移住してきた人々)の神主等も力を合わせて奉斎し今日に至っています。アイヌにとっても、時代に翻弄された義經公の生き様は、心に響くものがあったのかもしれません。

このようなご祭神のご由緒と、同じく時代に翻弄され過酷な生活を強いられたアイヌの歴史も直視しつつ、神社を護り続けたアイヌや大和の人々の心に生き続けた義經伝説を「多文化共生と多様性尊重のシンボル」として後世に伝え、ご祭神ハンガンカムイ義經公と御神縁を結ばれた皆様の「心の拠り所」でありたいと願い、共生と尊重の実践に努めている未来志向の神社が現在の義經神社であります。
(義經神社公式HPから引用)

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義經神社の情報

住所北海道沙流郡平取町本町119-1
行き方

JR日高線「富川駅」より道南バス「平取」下車15分

義經神社の基本情報

名称義經神社
読み方よしつねじんじゃ
参拝時間

資料館:9:00〜17:00(月曜休館)

参拝料

資料館入館料:大人200円、15歳未満100円

トイレ第一鳥居横、資料館内にあり
御朱印あり

ハンガンカムイと称えられている源九郎判官義經公がご祭神です。
右上にひとつの文字のようにカムイと書かれています。
真ん中に義經神社と書かれ、義經之印が押された御朱印です。

限定御朱印なし
電話番号01457-2-2432

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ご祭神《主》ハンガンカムイ(源九郎判官義經公)
ご神体義経公御神像
創建時代寛政十年(1779)
創始者近藤重蔵・コタンのエカシ(リーダー)
ご由緒

ご祭神ハンガンカムイ義經公は、1159年に河内源氏の源義朝の九男として生誕しました。幼名を牛若丸と呼ばれ、京都鞍馬寺にて学問武芸に励み成長します。

その後、鎌倉幕府成立の最大の功労となる源平合戦で活躍しますが、鎌倉方と対立し朝敵とされ、1189年、今の岩手県平泉で自害したとさるのが歴史上の通説です。

文武に秀でており多くの貢献を残しながらも、実兄頼朝公の側近らによって追われるご祭神の数奇な運命は惜しまれてきました。

多くの人々から愛された義經公への思いは、判官(ほうがん)贔屓(びいき)(弱い立場に置かれている者に対して同情を寄せる)という言葉の語源となり、歌舞伎『勧進帳(かんじんちょう)』を含め様々な芸術作品の題材となったほか、数々の伝説を全国各地で生み出しました。

その義經伝説の一つがこの土地にも残っています。平泉で生き延びた義經公が紆余曲折を経てピラウトゥル(ウとルは小文字)平取に辿りつき、アイヌと互いの文化を共有したとするものです。

そして時は流れて江戸時代の末期、北方調査(北海道)の折り、この地を訪れた幕吏近藤重蔵翁は、コタンのリーダーと交流をもち、何か心に残ることがあったのでしょう、江戸に帰り神田の仏師に木像を作らせ、翌1799年この地に御神像として贈ります。

これを受けたコタンのリーダーはアイヌには無い風習に戸惑いながらも、重蔵翁から贈られたこの御神像を聖地ハヨピラ(神社の丘づたい東方)に安置しました。これが義經神社創建の起源となります。

以来100年ほどアイヌの人々によって御神像が護られ、その後移住してきた大和の民(本州より移住してきた人々)の神主等も力を合わせて奉斎し今日に至っています。アイヌにとっても、時代に翻弄された義經公の生き様は、心に響くものがあったのかもしれません。

このようなご祭神のご由緒と、同じく時代に翻弄され過酷な生活を強いられたアイヌの歴史も直視しつつ、神社を護り続けたアイヌや大和の人々の心に生き続けた義經伝説を「多文化共生と多様性尊重のシンボル」として後世に伝え、ご祭神ハンガンカムイ義經公と御神縁を結ばれた皆様の「心の拠り所」でありたいと願い、共生と尊重の実践に努めている未来志向の神社が現在の義經神社であります。
(義經神社公式HPから引用)

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