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よしつねじんじゃ

義經神社
北海道 富川駅

資料館:9:00〜17:00(月曜休館)

御朱印について
御朱印
あり

ハンガンカムイと称えられている源九郎判官義經公がご祭神です。
右上にひとつの文字のようにカムイと書かれています。
真ん中に義經神社と書かれ、義經之印が押された御朱印です。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

第一印象鳥居横、社務所、資料館前

義經神社について

義経伝説が残る平取町の源義経を祀る神社。
現在は多文化共生と多様性尊重のシンボルとして義経伝説を伝えておりアイヌ文様の入った御朱印と御朱印帳が頂けます。

おすすめの投稿

高砂あさっぴー
高砂あさっぴー
2024年06月23日(日)
447投稿

平取町本町にある義經神社。
祀られているのは壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源義経。史実では兄源頼朝と対立し奥州平泉の地で藤原泰衡に攻められ自害したとされています。しかし北海道各地には義経が蝦夷地に逃れたというアイヌの伝説が残されています。平取がピラウトゥルと呼ばれていた江戸時代に義経とアイヌが交流していた伝説を聞いた幕府の探検家近藤重蔵がコタンのエカシ(リーダー)に義経の木像を贈りその木像がハヨピラの丘に祀られたことが義經神社の始まりです。義経伝説は明治以降にアイヌへの同化政策に利用された側面がありますが平取には有名な二風谷コタンもあることから義經神社では多文化共生と多様性尊重のシンボルとして伝説が語られています。
手水舎は二風谷コタンのチセと同じ茅葺屋根でこれも他の神社では見られないものなので感動しました。平取町は他にもサイレンススズカやダイタクヘリオスなどの競走馬を産んだ馬産地としても知られていて参道には牧場から奉納された提灯が並んでいました。
社務所隣の義経資料館には義経の経歴や各地の義経伝説について学べます。こちらは入館料200円。
御朱印帳と御朱印を拝殿で頂きました。御朱印を書くとまず御神体の前に御供えるという他では見ない作法を行っていました。御朱印帳と御朱印にはアイヌ文様が描かれています。馬産地ということで馬の印も押されています。

義經神社の鳥居

鳥居

義經神社の鳥居

鳥居

義經神社の本殿

社殿

義經神社の庭園

花菖蒲

義經神社の庭園

花菖蒲

義經神社の歴史

義経資料館

義經神社の授与品その他

義経資料館パンフレット

義經神社の絵馬

御神馬の絵馬

義經神社の建物その他
義經神社の歴史

イザベラ・バードが歩いた道

義經神社の末社

常盤御前・静御前

義經神社の動物

熊出没注意

義經神社の景色

参道

義經神社の鳥居

境内

義經神社のお守り

御守

義經神社の末社

常盤御前・静御前

義經神社の手水

手水舎

義經神社の建物その他

提灯

義經神社のお祭り

義経資料館

義經神社の感染症対策

消毒液

義經神社の庭園

参道

義經神社の景色

参道

義經神社の像

馬?

義經神社の建物その他

義経資料館

義經神社の周辺

駐車場

義經神社の芸術

義経資料館

義經神社の自然
義經神社のおみくじ

おみくじ

義經神社の歴史

義経資料館

義經神社の建物その他

提灯

義經神社の狛犬

狛犬

義經神社の像

義経木像

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ぱん吉🍀
ぱん吉🍀
2021年07月09日(金)
1021投稿

義經神社〜勝負運の神様に再参拝。ハンガンカムイ義經公を御祭神としてお祀り。

義経北行伝説の地、アイヌ語で『ピラウトゥル』(谷の間)とされる平取の森林に囲まれた境内。静かで趣があり、身心が浄化されるような気がします。

裏手にある義経(森林)公園は、弁慶池などもある大きな散策エリア。

《御由緒》寛政10年(1790)の頃、幕府巡検使近藤重蔵は、この地の先住民達が、源九郎判官義經公を慕い神と敬仰しているのを知り、小祠をハヨピラの巌峰に祀り、後に江戸神田住大仏工法橋善啓に公の尊像1体を彫らしめ奉安(背面に寛政11年巳末4月28日、近藤重蔵藤原守重、比企市良右衛門藤原可滿の彫あり)〜北海道神社庁HP

義經神社の庭園

『蛇籠の波』花菖蒲
綺麗に咲いていました

義經神社の本殿

本殿前には芽の輪✨
前回、拝殿内で御朱印をお書き入れくださいました。今は社務所へ伺うのかな…と思いつつ、拝領しませんでした。

義經神社の手水

茅葺きの立派な手水舎。
立派な石灯籠は対の左側のもの。

義經神社の絵馬

本殿前の大絵馬

義經神社の手水

木製で綺麗✨自動で水が出てきます

義經神社の自然

手水舎横の石灯籠のアップ📷
苔に加えて、沢山の芽吹きも🌱

義經神社の建物その他

右『常磐御前』
左『静御前』

義經神社の歴史
義經神社の本殿
義經神社の建物その他

石灯籠の上には迫力の獅子

義經神社の絵馬

素敵な絵馬
牛若丸の先生は天狗!?

義經神社の建物その他

かなり境内は広く、林の中の神社。
義経資料館もあります。

義經神社の建物その他

左は『鳥獣鎮之碑』
右の御神木は『栗記念保護樹木』

義經神社の狛犬
義經神社の狛犬
義經神社の鳥居
義經神社の周辺

裏手は義経公園

義經神社の周辺

熊注意⚠看板もありました
(´(ェ)`)今年は怖い

義經神社の周辺
義經神社の自然
義經神社の建物その他

幹線道路の入口

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歴史

ご祭神ハンガンカムイ義經公は、1159年に河内源氏の源義朝の九男として生誕しました。幼名を牛若丸と呼ばれ、京都鞍馬寺にて学問武芸に励み成長します。

その後、鎌倉幕府成立の最大の功労となる源平合戦で活躍しますが、鎌倉方と対立し朝敵とされ、1189年、今の岩手県平泉で自害したとさるのが歴史上の通説です。

文武に秀でており多くの貢献を残しながらも、実兄頼朝公の側近らによって追われるご祭神の数奇な運命は惜しまれてきました。

多くの人々から愛された義經公への思いは、判官(ほうがん)贔屓(びいき)(弱い立場に置かれている者に対して同情を寄せる)という言葉の語源となり、歌舞伎『勧進帳(かんじんちょう)』を含め様々な芸術作品の題材となったほか、数々の伝説を全国各地で生み出しました。

その義經伝説の一つがこの土地にも残っています。平泉で生き延びた義經公が紆余曲折を経てピラウトゥル(ウとルは小文字)平取に辿りつき、アイヌと互いの文化を共有したとするものです。

そして時は流れて江戸時代の末期、北方調査(北海道)の折り、この地を訪れた幕吏近藤重蔵翁は、コタンのリーダーと交流をもち、何か心に残ることがあったのでしょう、江戸に帰り神田の仏師に木像を作らせ、翌1799年この地に御神像として贈ります。

これを受けたコタンのリーダーはアイヌには無い風習に戸惑いながらも、重蔵翁から贈られたこの御神像を聖地ハヨピラ(神社の丘づたい東方)に安置しました。これが義經神社創建の起源となります。

以来100年ほどアイヌの人々によって御神像が護られ、その後移住してきた大和の民(本州より移住してきた人々)の神主等も力を合わせて奉斎し今日に至っています。アイヌにとっても、時代に翻弄された義經公の生き様は、心に響くものがあったのかもしれません。

このようなご祭神のご由緒と、同じく時代に翻弄され過酷な生活を強いられたアイヌの歴史も直視しつつ、神社を護り続けたアイヌや大和の人々の心に生き続けた義經伝説を「多文化共生と多様性尊重のシンボル」として後世に伝え、ご祭神ハンガンカムイ義經公と御神縁を結ばれた皆様の「心の拠り所」でありたいと願い、共生と尊重の実践に努めている未来志向の神社が現在の義經神社であります。
(義經神社公式HPから引用)

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義經神社の基本情報

住所北海道沙流郡平取町本町119-1
行き方

JR日高線「富川駅」より道南バス「平取」下車15分

アクセスを詳しく見る
名称義經神社
読み方よしつねじんじゃ
参拝時間

資料館:9:00〜17:00(月曜休館)

参拝料

資料館入館料:大人200円、15歳未満100円

トイレ第一鳥居横、資料館内にあり
御朱印あり

ハンガンカムイと称えられている源九郎判官義經公がご祭神です。
右上にひとつの文字のようにカムイと書かれています。
真ん中に義經神社と書かれ、義經之印が押された御朱印です。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号01457-2-2432
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://yoshitsune-jinja.com/website/
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》ハンガンカムイ(源九郎判官義經公)
ご神体義経公御神像
創建時代寛政十年(1779)
創始者近藤重蔵・コタンのエカシ(リーダー)
ご由緒

ご祭神ハンガンカムイ義經公は、1159年に河内源氏の源義朝の九男として生誕しました。幼名を牛若丸と呼ばれ、京都鞍馬寺にて学問武芸に励み成長します。

その後、鎌倉幕府成立の最大の功労となる源平合戦で活躍しますが、鎌倉方と対立し朝敵とされ、1189年、今の岩手県平泉で自害したとさるのが歴史上の通説です。

文武に秀でており多くの貢献を残しながらも、実兄頼朝公の側近らによって追われるご祭神の数奇な運命は惜しまれてきました。

多くの人々から愛された義經公への思いは、判官(ほうがん)贔屓(びいき)(弱い立場に置かれている者に対して同情を寄せる)という言葉の語源となり、歌舞伎『勧進帳(かんじんちょう)』を含め様々な芸術作品の題材となったほか、数々の伝説を全国各地で生み出しました。

その義經伝説の一つがこの土地にも残っています。平泉で生き延びた義經公が紆余曲折を経てピラウトゥル(ウとルは小文字)平取に辿りつき、アイヌと互いの文化を共有したとするものです。

そして時は流れて江戸時代の末期、北方調査(北海道)の折り、この地を訪れた幕吏近藤重蔵翁は、コタンのリーダーと交流をもち、何か心に残ることがあったのでしょう、江戸に帰り神田の仏師に木像を作らせ、翌1799年この地に御神像として贈ります。

これを受けたコタンのリーダーはアイヌには無い風習に戸惑いながらも、重蔵翁から贈られたこの御神像を聖地ハヨピラ(神社の丘づたい東方)に安置しました。これが義經神社創建の起源となります。

以来100年ほどアイヌの人々によって御神像が護られ、その後移住してきた大和の民(本州より移住してきた人々)の神主等も力を合わせて奉斎し今日に至っています。アイヌにとっても、時代に翻弄された義經公の生き様は、心に響くものがあったのかもしれません。

このようなご祭神のご由緒と、同じく時代に翻弄され過酷な生活を強いられたアイヌの歴史も直視しつつ、神社を護り続けたアイヌや大和の人々の心に生き続けた義經伝説を「多文化共生と多様性尊重のシンボル」として後世に伝え、ご祭神ハンガンカムイ義經公と御神縁を結ばれた皆様の「心の拠り所」でありたいと願い、共生と尊重の実践に努めている未来志向の神社が現在の義經神社であります。
(義經神社公式HPから引用)

体験おみくじ絵馬御朱印博物館お守り武将・サムライ伝説

Wikipediaからの引用

概要
義経神社(よしつねじんじゃ)又は義經神社は、日本の北海道沙流郡平取町にある神社。祭神は源九郎判官義經(源義經)。1941年(昭和16年)まで正式には「義經社」と称した。敷地内に義經資料館付設。
歴史
沿革[編集] 創建の正確な年紀不詳。[1] 1876年(明治09年)2月 - 村社に列格(当時はハヨピラ山に所在[2])。 1884年(明治17年)8月 - 小松宮彰仁親王が台臨、祭祀料下賜。[1] 1888年(明治21年)- 沙流川水害及び山崩れにより社が流失[2]。 1901年(明治34年)- 沙流川水害によりホンスマウンナに仮社殿造営。[1] 1906年(明治39年)11月13日 - 神饌幣帛料供進神社に指定(北海道庁)。[1] 1911年(明治44年)9月11日 - 皇太子北海道行啓時、甘露寺侍従が代拝。[1] 1920年(大正09年)8月15日 - 社殿造営・遷座。[1] 19...Wikipediaで続きを読む
行事
行事[編集] 1月1日  午前10時 歳旦祭 1月15日 午前10時 どんど祭 2月3日  夕刻    節分祭 2月11日 午前10時 紀元祭 2月12日 午前11時 初牛祭    大祭 2月23日 午前10時 天長祭 3月10日 午前10時 義經公生誕祭    旧2月1日 3月20日 午前11時 祈年祭    大祭 6月30日 夕刻    夏越しの大祓 8月14日 夕刻    宵宮祭 8月15日 午前9時  例大祭    大祭 10月第2日曜日 午前 崇敬者大祭  大祭 11月23日 午前11時 新嘗祭   大祭 12月31日 大晦日 夕刻 年越しの大祓 除夜祭    
引用元情報義経神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101191062

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