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ほうまんぐうかまどじんじゃ

宝満宮竈門神社のお参りの記録一覧
福岡県 太宰府駅

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きどっち
きどっち
2026年01月10日(土)1512投稿

前々からお参りしてみたいと思っていた一社の竈門神社にあがらせていただきました。
過去に太宰府天満宮には3度訪れていますが、いつも時間的都合で竈門神社まではまわれずに諦めていました。
今回は「絶対に竈門神社にお参りする!」と決めて行ったため、ようやく念願叶いました。

年末近くの参拝だったため、そこまで多くの参拝者がいらっしゃるわけではなかったですが、縁結びの神様として慕われているため女性の割合が高かったように感じました。
桜や紅葉の名所でもあるので、もし次参拝できるとしたら、春か秋に訪れてみたいですね。
御朱印は直書きでいただきましたが、あまりにも達筆で思わず書き入れていただいている間見惚れてしまいました。

<御祭神>
 玉依姫命
 応神天皇
 神功皇后

<竈門神社が鎮座する宝満山について>~竈門神社HPより~
宝満山が大宰府政庁の鬼門封じとして様々な国家的祭祀が営まれてきたことにより、最澄や空海をはじめ、遣隋使や遣唐使として大陸へ渡る人々は渡航前にこの山に登拝し、航海の安全と自身が担う国家的事業(入唐求法)の成功を祈願しました。それ以後、高僧の往来も盛んになり、平安時代末から鎌倉時代には周辺に三七〇もの坊舎が存在したと伝えられています。中世以降、宝満山での信仰は蒙古襲来を契機として修験道と結びつき、神仏習合の色合いを強めていきます。修験道とは、日本古来の自然崇拝信仰に、神道、仏教ことに密教、道教、陰陽道などが集合した宗教であり、修験者(山伏)は山中での厳しい修行により功徳を得て、世の人々を救いました。
中世末に戦乱の被害を受けますが、豊臣秀吉や小早川隆景、また歴代の黒田藩主の寄進を受けて、建物や霊場の整備が進められ、再び祈りの山として信仰を集めました。
明治時代に入り、新政府の方針で神仏分離令が発せられ、修験道は廃止され仏教的な要素を含む建物や仏像は破壊され、宝満山伏たちも山を追われることになりました。しかし、昭和57年(1982)、この山の開祖心蓮上人の千三百年忌を期に宝満山伏の末裔が中心となり「宝満山修験会」が再び結成され、以来、新緑が眩しい毎年5月には、峰入りや採燈大護摩供などの行事が厳修されています。

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