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園城寺(三井寺)ではいただけません
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おんじょうじ(みいでら)|天台寺門宗長等山

園城寺(三井寺)
滋賀県 三井寺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

有料駐車場あり

巡礼

その他の巡礼の情報

西国三十三所観音霊場第十四番札所
近江西国三十三観音霊場第五番札所
西国薬師四十九霊場第四十八番札所
江州三十三観音霊場第三番・第四番札所
湖国十一面観音菩薩霊場第一番札所
びわ湖百八霊場第五番・第六番札所
神仏霊場巡拝の道第百四十七番札所

園城寺(三井寺)について

国宝・重要文化財は百余点を数える天台寺門宗の総本山


西国三十三カ所第十四番札所

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年04月05日(金)
2021投稿

西国三十三所巡りでお参りしました。滋賀県大津市にあるお寺で ようやくお参りできました。 のパート2です。
パート1では 中院と唐院を紹介させていただきましたので パート2では札所伽藍と南院を紹介させていただきます。
唐院から村雲橋を渡ると 南院です。
南院には勧学院と三井寺文化財収蔵庫といくつかの塔頭寺院があります。
ここらは少し割愛させていただいて 先に進むと 童地蔵が並ぶ道になり 衆宝観音が優しく微笑んでいらっしゃいます。
さらに進むと毘沙門堂(重要文化財)があります。
観音堂の麓にあるお堂で 元は別所・尾蔵寺の南勝坊境内に元和2年(1616年)に建立されたものを 1956年(昭和31年)に現在地に移築したそうです。
ここから先は 札所伽藍です。

階段を上がると百体観音堂と観音堂があります。
この観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所で 御朱印が拝受できます。
こちらにお参りしないと 西国三十三所の御朱印はいただけないわけです。
現在の観音堂は元禄2年(1689年)に再建されたものです。
観音堂の前には 享和2年(1802年)再建の絵馬堂と 嘉永2年(1849年)建立の観月舞台があります。
こちらから見える景色は 琵琶湖を含み とてもすばらしいです。
観音堂の横には 文化11年(1814年)再建の鐘楼があります。
札所伽藍は 重要文化財こそ少ないものの 県指定有形文化財だらけで 歴史ある建物と観月舞台から見える景色には大満足です。

南院などに 10ほどの支院と五別所と呼ばれる別院もあり 今回はすべてを巡ることができませんでした。
すべてを写真に収めるには 3時間ほどはかかりそうですが 近いうちに再びお参りしたいと思いました。

園城寺(三井寺)(滋賀県)

村雲橋

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

三井古流 煎茶道本部

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

三井寺文化財収蔵庫

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

天台智者大師

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

童地蔵

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

衆宝観音

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

毘沙門堂

園城寺(三井寺)の歴史

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

観音堂の碑

園城寺(三井寺)(滋賀県)

観音堂に続く階段

園城寺(三井寺)(滋賀県)

百体観音堂

園城寺(三井寺)の建物その他

観音堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由緒書

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

観音堂鐘

園城寺(三井寺)(滋賀県)

内陣

園城寺(三井寺)(滋賀県)

観月舞台

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

水子地蔵尊

園城寺(三井寺)(滋賀県)

絵馬堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

中坂世継地蔵尊

園城寺(三井寺)(滋賀県)

景観スポットの看板

園城寺(三井寺)(滋賀県)

見える景色は 看板とは少し違いました

園城寺(三井寺)(滋賀県)

鐘楼

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

護法善神堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

唐門

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

本地堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

財林坊

園城寺(三井寺)(滋賀県)
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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年04月05日(金)
2021投稿

西国三十三所巡りでお参りしました。
滋賀県大津市にあるお寺で ようやくお参りできました。
琵琶湖の湖西にあり 市役所の近くということもあり 車の往来も多いのですが 少し山に入るので 静かな時間が流れています。
あまりに有名な寺院ですので 期待値は最高! 写真を撮るためスマホのバッテリーを車でフル充電しました。
撮りすぎた感があるのですが パート1とパート2に分けさせてください。

大門(仁王門)をくぐると それはそれは広い境内に入ります。
入ってすぐ右手に 釈迦堂(重要文化財)があります。元和7年(1621年)に移築されたものだそうです。
釈迦堂でも御朱印を拝受できます。
すぐ横には弁財天社もあります。
正面階段を上ると 本堂である金堂(国宝)が見えてきます。
現在の金堂は 園城寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により 高台院が慶長4年(1599年)に寄進したものだそうです。
金堂でも御朱印を拝受できます。
金堂のすぐ横には鐘楼(重要文化財)があります。
慶長7年(1602年)再建にされたもので 近江八景の一つ「三井の晩鐘」で知られる梵鐘です。
金堂裏手には 閼伽井屋(重要文化財)があり 左甚五郎作の龍の彫刻が見られます。
井戸はきれいな水を湛えていました。
奥に進むと 弁慶の引きずり鐘(重要文化財)のある 霊鐘堂があります。
いっしょに弁慶の汁鍋も置かれています。こちらはだいぶ傷んでいます。
その先には一切経堂(重要文化財)があります。
毛利輝元の寄進により 慶長7年(1602年)に周防国山口の国清寺の経蔵を移築したものだそうです。
このあたりは 映画「るろうに剣心」のロケ地になったそうです。
そう言われても 写真を見なければ分かりませんでした。
一切経堂から橋を渡ると唐院です。橋までは中院と言います。

唐院には大師堂(重要文化財)と灌頂堂(重要文化財)と三重塔(重要文化財)と長日護摩堂があります。
大師堂は宗祖智証大師の廟所で 慶長3年(1598年)再建です。
長日護摩堂は 寛文6年(1666年)に後水尾上皇の寄進で再建されました。
四脚門(重要文化財)は唐院の正門で 寛永元年(1624年)再建です。

ここまで観てきた建物のほぼすべてが重要文化財で 見ごたえがありました。
こんなに重要文化財がたくさんある寺院 他には知りません。
で パート2に続きます。

園城寺(三井寺)の山門

大門(仁王門)

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

境内案内図

園城寺(三井寺)(滋賀県)

大門 由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

御朱印も豊富

園城寺(三井寺)(滋賀県)

釈迦堂の看板

園城寺(三井寺)(滋賀県)

釈迦堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

弁財天社

園城寺(三井寺)(滋賀県)

紫式部と三井寺

園城寺(三井寺)(滋賀県)

手水舎

園城寺(三井寺)(滋賀県)

本堂(金堂)を見上げる

園城寺(三井寺)(滋賀県)

智証大師御遺誡

園城寺(三井寺)(滋賀県)

ユネスコ「世界の記憶」登録ののぼり

園城寺(三井寺)(滋賀県)

鐘楼

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

金堂の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

金堂の看板

園城寺(三井寺)(滋賀県)

金堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

堂前灯篭の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

閼伽井屋の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

閼伽井屋

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

左甚五郎の龍の彫刻

園城寺(三井寺)(滋賀県)

閼伽井屋の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

内側

園城寺(三井寺)(滋賀県)

智證大師像

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

小さな仏様

園城寺(三井寺)(滋賀県)

霊鐘堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

弁慶鐘

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

弁慶の汁鍋

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

霊鐘堂の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

お地蔵様

園城寺(三井寺)(滋賀県)

藤棚かな

園城寺(三井寺)(滋賀県)

一切経蔵

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

智証大師のお言葉

園城寺(三井寺)(滋賀県)

映画「るろうに剣心」ロケ地

園城寺(三井寺)(滋賀県)

一切経堂と霊鐘堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

三重塔

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

三重塔と灌頂堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

唐院唐門の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

唐院大師堂の由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

灌頂堂と長日護摩堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

灌頂堂

園城寺(三井寺)(滋賀県)

由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

智證大師御廟(大師堂)へ

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

四脚門

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

唐院四脚門由縁

園城寺(三井寺)(滋賀県)

朝ドラ「おちょやん」ロケ地

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)

止観道場

園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)
園城寺(三井寺)(滋賀県)
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歴史

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

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園城寺(三井寺)の基本情報

住所滋賀県大津市園城寺町246
行き方

京阪電鉄石山坂本線 「三井寺駅」 下車 徒歩12分

アクセスを詳しく見る
名称園城寺(三井寺)
読み方おんじょうじ(みいでら)
通称三井寺
参拝時間

8:00~17:00

参拝料

大人600円、中高生300円、小学生200円

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号077-522-2238
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://miidera1200.jp
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

春の京阪・御朱印めぐり2021

近江西国三十三箇所

第5番

御本尊:如意輪観世音菩薩

御詠歌:

世々経ても 昔ながらの 山深く 仏の恵み 有明の月

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

数珠巡礼

第68番

びわ湖百八霊場

第6番

御本尊:如意輪観世音菩薩

近江湖西二十七名刹霊場

第6番

御本尊:如意輪観世音菩薩

詳細情報

ご本尊弥勒菩薩
山号長等山
宗旨・宗派天台寺門宗
創建時代弘文元年(672)
開山・開基大友与多王
文化財

金堂(国宝)
仁王門、釈迦堂、鐘楼、閼伽井屋、霊鐘堂、一切経蔵、唐院、毘沙門堂、三重塔、千手観音立像、不動明王坐像、訶梨帝母倚像、護法善神立像、吉祥天立像、愛染明王坐像、智証大師坐像(国指定重要文化財)
観音堂(県指定文化財)

ご由緒

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

体験仏像御朱印国宝重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り伝説
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