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園城寺(三井寺)ではいただけません
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おんじょうじ(みいでら)|天台寺門宗長等山

園城寺(三井寺)

滋賀県 三井寺駅

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077-522-2238

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印(6種類)

園城寺(三井寺)では、「大悲殿」、「黄不動尊」、「釈迦如来」、「弥勒佛」、「無量寿」、「御詠歌」の6種類の御朱印をいただけます。
また、行事に合わせた御朱印が頒布されています。

大悲殿の御朱印

300円
記念印の押印は2022年3月31日まで

真ん中に大悲殿と書かれ、右上に西國十四番の印、真ん中に三井寺の文字が入った蓮華座に梵字(如意輪観音)の火焔宝珠印、左上に三井の晩鐘のイラストが入った西国三十三所草創一三〇〇年の三井寺記念印、左下に三井寺の文字、長等山三井寺の印が押されています。
如意輪観音坐像は西国三十三所観音霊場第十四番札所正法寺(三井寺観音堂)の本尊で、衆生に財宝を与え煩悩を破る仏として厚く信仰されてきました。

黄不動尊の御朱印

300円

真ん中に黄不動尊と書かれ、右上に長等山の印、真ん中に蓮華座に梵字(不動明王)の宝珠印、左に総本山三井寺の文字、左下に三井寺の印章が押されています。
修行中の智証大師の眼前に魁偉奇妙な金人が現れ、その姿を写し取ったとされる国宝「金色不動明王画像(黄不動尊)」は、伝法灌頂(でんぼうかんじょう)の受者しか拝することが許されない秘仏となっており、唐院大師堂に安置されています。

釈迦如来の御朱印

300円

真ん中に釈迦如来と書かれ、右上に長等山の印、真ん中に釋迦堂と書かれた蓮華座に梵字(釈迦如来)の火焔宝珠印、左下に三井寺の文字、三井寺釋迦堂の印が押されています。
室町時代に建立されたと伝わる三井寺釋迦堂では、本尊「清凉寺式釈迦如来像」が祀られています。

弥勒佛の御朱印

300円

真ん中に弥勒佛と書かれ、右上に鎮國道場の印、真ん中に蓮華座に梵字(弥勒菩薩)の火焔宝珠印、左下に三井寺の文字、三井寺金堂の印が押されています。
三井寺金堂の本尊である秘仏「弥勒佛」は、用明天皇の時に百済より渡来して以来1300余年にわたり一度も御開帳されたことがない絶対秘仏として信仰されています。

無量寿の御朱印

300円

真ん中に無量寿と書かれ、右上に倶會一處の印、真ん中に蓮華座に梵字(阿弥陀如来)の火焔宝珠印、左に三井寺の文字、左下に長等山三井寺の印が押されています。
無量寿とは阿弥陀如来のことで、阿弥陀如来の寿命が無量であるという意味です。
倶會一處(くえいっしょ)とは『仏説阿弥陀経』に出てくる御文で、同じ阿弥陀様の浄土でまた共に会わせていただくという意味です。

西国三十三所第十四番札所御詠歌の御朱印

300円
記念印の押印は2022年3月31日まで

御詠歌「いで入るや 波間の月を 三井寺の 鐘のひびきに あくる湖」が書かれ、右上に西國十四番の印、真ん中に三井寺の文字が入った蓮華座に梵字(如意輪観音)の火焔宝珠印、左上に三井の晩鐘のイラストが入った西国三十三所草創一三〇〇年の三井寺記念印、左下に長等山三井寺の印が押されています。
西国三十三所は近畿圏を包括する日本最古の観音巡礼路で、第十四番札所御詠歌の意味は「三井寺の鐘の響きによって心の波も治まり、鏡のような湖面に映し出されるように心奥の浄菩提心も明確に見ることができるであろう」です。

限定御朱印(3種類)

智証大師の特別御朱印

300円

真ん中に智証大師と書かれ、右上に長等山の印、真ん中に「菊座橘の芯に十六八重菊紋」の印、左下に三井三井寺の文字、長等山三井寺の印が押されています。
三井寺の開祖である智証大師は、唐に渡って梵字悉曇(ぼんじしったん)、台教、密教などを学び、唐から持ち帰った四百四十一部一千巻の貴重な経典類を唐院に収蔵し、天台寺門の根本道場とされました。

鬼子母神の特別御朱印

300円

真ん中に鬼子母神と書かれ、右上に長等山の印、真ん中に三井寺の文字が入った蓮華座に梵字(鬼子母神)の火焔宝珠印、左下に三井寺の文字、三井寺の印章が押されています。
護法善神堂の本尊は、護法善神として鬼子母神を祀っています
鬼子母神は、智証大師が子供の頃と入唐後に姿をあらわした訶梨帝母(かりていも)の事で、もともと人間の児を奪い食する悪鬼だった訶梨帝母は釈迦によって改心し子供の守護神となり、園城寺では智証大師の護法神として特に篤い信仰を集めています。

新羅明神の特別御朱印

300円

真ん中に新羅明神と書かれ、右上に長等山麓の勾玉印、真ん中に新羅明神の印、左下に三井寺の文字、新羅善神堂の印が押されています。
新羅善神堂には、国宝の秘仏「新羅明神坐像」が三井寺の守護神として祀られています。
園城寺龍華会縁起によると、智証大師が唐からの帰途、老翁が船中に現れて自ら新羅明神と名乗り、教法加護を約束したと言われています。

御朱印帳(1種類)

園城寺(三井寺)では、オリジナル御朱印帳が2色頒布されています。

オリジナル御朱印帳

1,000円
約18×12cm
緑、黄

緑色の地に、表面は上部に「菊座橘の芯に十六八重菊」紋、左上に納経帖の文字、裏面は真ん中に三井寺の印章が入っています。

オリジナル御朱印帳

1,000円
約18×12cm
緑、黄

黄色の地に、表面は上部に「菊座橘の芯に十六八重菊」紋、左上に納経帖の文字、裏面は真ん中に三井寺の印章が入っています。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、金堂、釈迦堂、観音堂、(行事によっては、唐院、新羅善神堂、護法善神堂)でお受けできます。

御朱印の受付時間は8時~17時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

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御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

有料駐車場あり

巡礼

春の京阪・御朱印めぐり2021神仏霊場巡拝の道西国三十三所霊場近江西国三十三箇所
西国三十三所観音霊場第十四番札所
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びわ湖百八霊場第五番・第六番札所
神仏霊場巡拝の道第百四十七番札所

園城寺(三井寺)について

国宝・重要文化財は百余点を数える天台寺門宗の総本山


西国三十三カ所第十四番札所

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ユキ
2023年03月12日(日)
776投稿

西国三十三所、14番礼所です。とてもお寺の敷地内が広いです。案内図を確認してお参りしましょう。色々な場所で御朱印をされています。西国三十三所は頂上にある本堂です。掛け軸に御朱印を頂きました🙇

園城寺(三井寺)(滋賀県)

掛け軸の御朱印です

園城寺(三井寺)(滋賀県)

現在、こんな感じです😉

園城寺(三井寺)(滋賀県)園城寺(三井寺)(滋賀県)

入山料を納めたらロウソクを頂きました。本堂にて使用しました。

園城寺(三井寺)(滋賀県)

案内図です。

園城寺(三井寺)(滋賀県)園城寺(三井寺)の手水

手水舎。

園城寺(三井寺)(滋賀県)園城寺(三井寺)(滋賀県)

金堂。

園城寺(三井寺)の塔

三重搭。

園城寺(三井寺)の山門園城寺(三井寺)(滋賀県)園城寺(三井寺)(滋賀県)

境内案内図。

園城寺(三井寺)(滋賀県)

本堂に向かう途中にあります。

園城寺(三井寺)の地蔵園城寺(三井寺)の地蔵園城寺(三井寺)の本殿

本堂です。

園城寺(三井寺)(滋賀県)

鐘桜。

園城寺(三井寺)の手水園城寺(三井寺)(滋賀県)

百体観音堂。

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きどっち
2022年06月16日(木)
1065投稿

天台寺門宗総本山 長等山 園城寺

西国三十三所観音霊場の第14番札所

7世紀、天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子大友与多王により開基。

10世紀には比叡山延暦寺との抗争が激しくなり焼き討ちにあったり、源平の争乱、南北朝の争乱、豊臣秀吉による寺領没収などありましたが、その都度再興されてきたことから「不死鳥の寺」と呼ばれています。

境内をすべてまわらせていただきましたが、かなり急ぎ足でまわっても2時間ほどかかりました。
また一つ、お参りしたかったお寺をまわれて、しかも天気が良くて幸せ者です。

園城寺(三井寺)の山門

仁王門<重文>

園城寺(三井寺)の像園城寺(三井寺)の像園城寺(三井寺)の建物その他

釈迦堂(食堂)<重文>

園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の末社

釈迦堂前に鎮座する辨財天社

園城寺(三井寺)の建物その他

釈迦堂から次に目指すのは金堂

園城寺(三井寺)の本殿

金堂<国宝>
こちらが本堂になります。

園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の建物その他

三井晩鐘<重文>

園城寺(三井寺)の建物その他

金堂のすぐそばにある「閼伽井屋」<重文>
天智・天武・持統の三天皇が産湯に用いられたという霊泉

園城寺(三井寺)の御朱印園城寺(三井寺)の庭園

閼伽井屋の横にある「閼伽井石庭」

園城寺(三井寺)の建物その他

霊鐘堂何にある「弁慶の引摺り鐘」<重文>

弁慶の引摺り鐘伝説
延暦寺との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り挙げて撞いてみると「イノー、イノー」(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったというお話です。
そのときの傷跡や破目などが残っているとのこと。

園城寺(三井寺)の建物その他

弁慶の汁鍋

園城寺(三井寺)の地蔵園城寺(三井寺)の動物園城寺(三井寺)の動物

何が鳴いているんだろう?と思って行ってみるとクジャクでした。

園城寺(三井寺)の建物その他

一切経蔵<重文>

園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の建物その他

回転式八角輪蔵

園城寺(三井寺)の建物その他

三重塔

園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の建物その他

唐院灌頂堂<重文>

園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の歴史

唐院大師堂説明
灌頂堂の後方にありますが、この日は近づけませんでした。

園城寺(三井寺)の歴史

唐院唐門説明
大師堂正面に建つ中門。
大師堂と同じく近くには寄れませんでした。

園城寺(三井寺)の建物その他

長日護摩堂

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他

村雲橋
次のような伝説が残されているそうです。

昔、智証大師がこの橋を渡ろうとされた時、ふと西の空をご覧になって大変驚かれました。 大師が入唐の際、学ばれた長安の青竜寺が焼けていることを感知されたのです。 早速真言を唱え橋上から閼伽水をおまきになると、橋の下から一条の雲が湧き起り、 西に飛び去り火災を鎮めたそうです。

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の仏像

衆宝観音
「出世が叶う」といわれる観音様です

園城寺(三井寺)の建物その他

毘沙門堂

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他

観音堂

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の手水

御手洗

園城寺(三井寺)の建物その他

絵馬堂

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他

観月舞台

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他

百体観音堂

園城寺(三井寺)の建物その他

鐘楼

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の地蔵

中坂世継地蔵尊

園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の建物その他園城寺(三井寺)の末社園城寺(三井寺)の建物その他

護法社石橋

園城寺(三井寺)の建物その他

護法社唐門

園城寺(三井寺)の末社

護法善神堂

園城寺(三井寺)の歴史園城寺(三井寺)の御朱印

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釈迦堂 御本尊御朱印

園城寺(三井寺)の御朱印

金堂 円空佛御朱印

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歴史

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

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園城寺(三井寺)の基本情報

住所滋賀県大津市園城寺町246
行き方

京阪電鉄石山坂本線 「三井寺駅」 下車 徒歩12分

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名称園城寺(三井寺)
読み方おんじょうじ(みいでら)
通称三井寺
参拝時間

8:00~17:00

参拝料

大人600円、中高生300円、小学生200円

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号077-522-2238
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://miidera1200.jp
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご本尊弥勒菩薩
山号長等山
宗旨・宗派天台寺門宗
創建時代弘文元年(672)
開山・開基大友与多王
札所など

西国三十三所観音霊場第十四番札所
近江西国三十三観音霊場第五番札所
西国薬師四十九霊場第四十八番札所
江州三十三観音霊場第三番・第四番札所
湖国十一面観音菩薩霊場第一番札所
びわ湖百八霊場第五番・第六番札所
神仏霊場巡拝の道第百四十七番札所

文化財

金堂(国宝)
仁王門、釈迦堂、鐘楼、閼伽井屋、霊鐘堂、一切経蔵、唐院、毘沙門堂、三重塔、千手観音立像、不動明王坐像、訶梨帝母倚像、護法善神立像、吉祥天立像、愛染明王坐像、智証大師坐像(国指定重要文化財)
観音堂(県指定文化財)

ご由緒

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。
貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

体験仏像御朱印国宝重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り伝説

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