がんごうじ|真言律宗
元興寺奈良県 近鉄奈良駅
9:00〜17:00(入門は16:30まで)
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楽しみ方元興寺でいただける御朱印は5種類です。

おや?投稿のページのデザイン変わりましたね。
メジャーチェンジに続いてマイナーチェンジまで。
運営の皆様 エンジニアの皆様 いつもありがとうございます。
さて 元興寺は奈良市にあるお寺です。
奈良公園をぐるぐる巡っているうちに 時刻は拝観できるぎりぎりになってしまいました。
慌ててこちら元興寺にやってきました。
なにせ世界文化遺産ですからね。
初めての参拝になります。
今まで奈良公園には何度も来ていたものの 元興寺に参拝することができなかったのです。
いつも時間切れ。今日もヤバかったです。
受付で御朱印帳を預けて御朱印をお願いしました。
「お庭の牡丹がドッジボールぐらいの大きさで見事に咲いていますよ。」
なに?ドッジボールサイズ?
子どもの頭ぐらいあるっちゅうことか?
楽しみが一つ増えました。
時刻が遅くて参拝者は続々出ていく感じでした。
山門に竹の棒で交通整理しているのは面白かったです。
境内に入って正面が本堂の極楽堂です。
国宝の建物で 写真撮影ができませんが それはそれは見事なお堂でした。
じっくり拝観していたかったのですが まだ見たい建物「法輪館」があるのでしぶしぶ退室しました。
「法輪館」には 今は無き五重塔を今に伝える五重小塔があります。
奈良時代の作で 高さ5.5メートルほどの小塔ですが 内部構造まで省略せずに忠実に造られており 「工芸品」ではなく「建造物」として国宝に指定されています。
目の前 さわれる近さで国宝を見ることができるのは嬉しいです。
他にも 聖徳太子像や弘法大師像など 仏像や宝物がたくさんありました。
法輪館の前には 浮図田(ふとでん)があり 約2500もの石塔や石仏が並んでいました。
境内奥には弁天社があり そちらにドッジボールサイズの牡丹が咲いていました。
ドッジボールって まあ大きいですけど もっと大きかったイメージです。
そりゃ小学生にとったらデカかったんでしょうけど 大人になったら小さく感じます。
30cmはないですね。
色はとてもきれいでした。
本堂奥には禪室があり こちらも国宝でした。
中を観ることはできませんが きっと真っ暗なお部屋だと思います。
本堂の屋根の瓦が一部だけ色が違います。
この部分は 飛鳥時代の瓦を集めているそうで 一部は赤茶色になっていて古さを実感できました。
国宝だらけのお寺でした。
約30分ほどの拝観で時間切れ。
御朱印をもらってお寺を出ました。
ネット情報です。
山号はなし
宗派は真言律宗
ご本尊は智光曼荼羅
創建年は推古天皇元年(593年)
開基は蘇我馬子
正式名は元興寺
別称は元興寺極楽坊
札所は西国薬師四十九霊場第5番
大和北部八十八ヶ所霊場第9番
南都七大寺第3番
大和地蔵十福霊場第2番
和銅3年(710年)の平城京遷都に伴って 飛鳥にあった薬師寺 厩坂寺(のちの興福寺) 大官大寺(のちの大安寺)などは新都へ移転した。
法興寺(飛鳥寺)も養老2年(718年)平城京へ移転したが 飛鳥の法興寺は廃止されずに元の場所に残った。
通常 飛鳥にある寺を「法興寺」「本元興寺」 平城京の方の寺を「元興寺(新元興寺)」と称し区別する。
「法興」も「元興」も 日本で最初に仏法が興隆した寺院であるとの意である。
奈良時代の元興寺は三論宗と法相宗の道場として栄え 東大寺や興福寺と並ぶ大伽藍を誇っていた。
伽藍は 南大門 中門 金堂(本尊は弥勒菩薩) 講堂 鐘堂 食堂(じきどう)が南北に一直線に並び 中門左右から伸びた回廊が金堂を囲み 講堂の左右に達していた。
回廊の外側 東には五重塔を中心とする東塔院 西には小塔院があった(小塔院には 国宝の五重小塔が屋内に安置されていたものと思われる)。
これらの建物はすべて焼失して現存しない。
平安京に遷都後も南都仏教界においては東大寺 興福寺が勢力を増す一方で 元興寺は律令制度が崩壊する平安時代中期(10〜11世紀)以降徐々に衰退していった。
室町時代の宝徳3年(1451年) 土一揆による焼き討ちによって小塔院が炎上すると炎は元興寺全体に広がった。
五重塔などはかろうじて残ったが 金堂など主要堂宇や智光曼荼羅の原本は焼けてしまった。
金堂は再建されるが これも文明4年(1472年)の大風で倒壊し これ以降金堂は再建されなかった。
極楽院は明治以降は荒れ果て 現在国宝に指定されている本堂も1950年(昭和25年)ころまでは床は落ち 屋根は破れて「化け物が出る」と言われたほどの荒れ方であった。
第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に極楽院の住職となった辻村泰圓は 戦後になって戦災孤児のための社会福祉事業に尽力するかたわら 境内の整備や建物の修理を進めた。
1962年(昭和37年)には辻村により境内に財団法人元興寺仏教民俗資料研究所が設立され(1978年(昭和53年)に元興寺文化財研究所と改称) 1965年(昭和40年)には寺宝を収蔵展示する収蔵庫が完成するなど 徐々に整備が進んだ。
元興寺仏教民俗資料研究所は 本堂解体修理中に屋根裏から発見された数万点の庶民信仰資料(板塔婆など)を研究することを当初の目的として設立された。
極楽院は1955年(昭和30年)に「元興寺極楽坊」と改称 さらに1977年(昭和52年)に「元興寺」と改称されている。
2010年(平成22年)8月 禅室の一部に使用されている木材が世界最古の現役木製建築部材であることが確認された。

【世界遺産】
所在地:奈良県奈良市中院町11
山 号:
宗 派:真言律宗
寺 格:
本 尊:智光曼荼羅
建 立:593年推古天皇元年
由緒
元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和17年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。(HPより)
元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。
| 住所 | 奈良県奈良市中院町11 |
|---|---|
| 行き方 | 近鉄奈良駅
|
| 名称 | 元興寺 |
|---|---|
| 読み方 | がんごうじ |
| 参拝時間 | 9:00〜17:00(入門は16:30まで) |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり 「智光曼荼羅」の御本尊の御朱印の他、「瑠璃光」と書かれた薬師如来と御詠歌、大和地蔵十福霊場「印相地蔵」、見開きでいただける「南無上宮太子」(ぼさつの寺めぐり)の5種類の御朱印を拝受できます。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0742-23-1376?7 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://gangoji-tera.or.jp/ |
| おみくじ | あり |
| 絵馬 | あり |
| ご本尊 | 智光曼荼羅(阿弥陀如来) |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 真言律宗 |
| ご由緒 | 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
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| 体験 |
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