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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※元興寺ではいただけません

がんごうじ|真言律宗

元興寺

奈良県 近鉄奈良駅

9:00〜17:00(入門は16:30まで) 

投稿する
0742-23-1376?7

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印

元興寺でいただける御朱印は5種類です。

  • 智光曼荼羅(御本尊)の御朱印
  • 御詠歌の御朱印
  • 瑠璃光の御朱印
  • 印相地蔵の御朱印
  • 南無上宮太子の御朱印

智光曼荼羅(御本尊)の御朱印

300円

右から「奉拝」、日付、真ん中に「智光曼荼羅」、左下に「元興寺」と墨書きされています。
「奉拝」に重ねて「佛法元興 浄土発祥」の印、「智光曼荼羅」に重ねて御宝印、「元興寺」に重ねて寺印が押されています。

御詠歌の御朱印

300円

「西国薬師第五番」印、御宝印、寺印が押されています。印の上に重ねて「南都 身のくもり 心のくもり とりはらう 薬師の心 あらたなりけり 元興寺」と墨書きされています。

※身体の不調や心の不安を取り除くことできた、薬師如来のお力の効果でしょう

瑠璃光の御朱印

300円

右から「南都」、日付、真ん中に「瑠璃光」、左下に「元興寺」と墨書きされています。
「南都」に「西国薬師第五番」印、「瑠璃光」に御宝印、「元興寺」に寺印が押されています。

印相地蔵の御朱印

300円

右から「南都」、日付、真ん中に「印相地蔵」、左下に「元興寺」と墨書きされています。
「南都」に「大和地蔵十福」印、「印相地蔵」に御宝印、「元興寺」に寺印が押されています。

南無上宮太子の御朱印

500円

二面開きの御朱印です。
右側に「奉拝」に重ねて「佛法元興 浄土発祥」の印、「南無上宮太子」に重ねて御宝印、「元興寺」に重ねて寺印が押されています。
左側に「ぼさつの寺めぐり」の印と2歳の聖徳太子の姿(南無仏太子像)が描かれています。

御朱印帳 (1種類)

元興寺でいただける御朱印帳は1種類です。

元興寺の御朱印帳

1000円

表面真ん中に、奈良時代の軒平瓦の図と「南都 元興寺」の文字が金色で箔押しされています。
紺一色の無地の生地を使ったシンプルな御朱印帳です。

授与場所・時間

御朱印、御朱印帳はともに拝観受付でいただけます。
受付時間は9時~16時半。
詳しくは公式サイトをご確認ください。

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御朱印について
御朱印
あり

「智光曼荼羅」の御本尊の御朱印の他、「瑠璃光」と書かれた薬師如来と御詠歌、大和地蔵十福霊場「印相地蔵」、見開きでいただける「南無上宮太子」(ぼさつの寺めぐり)の5種類の御朱印を拝受できます。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

神仏霊場巡拝の道
西国四十九薬師第5番札所

元興寺について

日本最古、飛鳥時代の瓦が残るお寺


西国四十九薬師霊場第5番札所

おすすめの投稿

のぶさん
2022年08月30日(火)
1211投稿

元興寺は蘇我馬子が崇峻天皇元年(588)、飛鳥に創建した飛鳥寺(法興寺)を基とします。
日本最初の本格的伽藍寺院、「仏法興隆」の寺の由緒から、平城遷都にともない、「元興寺」として養老2年(718年)に寺籍を平城左京(外京)に新築移建されました。創建当初の新たな金堂本尊は弥勒如来であり、飛鳥大仏(釈迦如来)は旧地に留まり、初伝の三論、法相教学の拠点として優秀な僧を輩出しました。その学問僧たちが寄宿し学問した堂舎が僧坊であり、「元興寺極楽坊縁起」に登場する智光と礼光(頼光)は同朋であったといいます。
智光法師には三論宗の「浄名玄論略述」や浄土教の「無量寿経論釈」など多くの著述があったとされます。特に阿弥陀如来西方極楽浄土の信仰に係わる先駆的著作として、天台の良源や恵信の「往生要集」などに引用され、平安時代半ばから隆盛となる阿弥陀浄土信仰において、智光の存在は再評価されました。智光が感得した阿弥陀極楽浄土の変相図、すなわち「智光曼荼羅」にまつわる説話は慶滋保胤(~1002)の「日本往生極楽記」に著されて、智光の住んだ僧坊は、極楽浄土図を本尊としたが故にか、あるいは往生者の智光、礼光に因み「極楽坊」とよばれて浄土信仰の聖地のひとつとなりました。
元興寺の伽藍堂舎は律令体制の衰退にともない退転を余儀なくされましたが、その旧境内には庶民の町屋が建てられて「ならまち」が中世以来成立してゆきます。
浄土往生信仰が庶民層に広がると、その庶民の信仰により極楽坊は護持されてきました。智光曼荼羅の原本は焼失しましたが、各種の写本を伝え、曼荼羅堂(極楽堂)と禅室(僧坊)が国宝建造物として現存し、近年世界文化遺産に登録されました。

元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺の本殿元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)
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Takashi Shimo…
2021年05月29日(土)
1232投稿

東京でエンジニアをやっているインド人が「日本のお寺の中で一番好きなのは元興寺だ。なにがちがうのかはわからないけど、俺はここは特別だと感じる。関西に来たら必ず立ち寄る。縁側に座っているだけで心が落ち着いていく。」といっていました。

以前、展示室におられた方に歴史を詳しく教えてもらいましたが、そのときに元興寺の瓦は創建当時に朝鮮人の職人が作られたものがいくつか残っていると、伺いました。

インド人の彼は1000年を超える歴史のオーラを感じ取ることができるのかもしれません。歴史あるものを普段から見る機会がある人とそうでない人で、こういうものを見る目に差がでてくるのもあると思います。

歴史巡りイベントをやっている側からすると、生まれ育った土地や国ごとに完全に「美意識の差」が見えてきます。掛け値なしでフランス人はさすがだと思うことが多いです。日本人でも京都育ちの人は自然に歴史や文化になじんでいるかたが多いです。

こういうものは学校教育や国際基準などで標準化されているものではないので、日常的にある文明や文化に特徴的な美意識に触れられる環境で育つというのは、その人とって大きな財産になると思います。

元興寺の自然元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺のおみくじ元興寺(奈良県)元興寺の建物その他元興寺(奈良県)元興寺(奈良県)元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺の庭園元興寺の建物その他元興寺(奈良県)元興寺の自然元興寺の手水元興寺の手水元興寺の山門元興寺(奈良県)元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺(奈良県)元興寺の庭園元興寺の建物その他元興寺の本殿元興寺の本殿元興寺の山門元興寺の建物その他元興寺の山門元興寺の建物その他元興寺の建物その他
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佐久屋さく
2019年04月17日(水)
123投稿

大学時代にいつも奈良へ旅行に行っていたのに、唯一行ったことがない奈良市街中心地の寺。

原因は駅(近鉄奈良)から遠い、どこにあるのか分かりにくい、ならまちはあまり興味がなかったなどが考えられる(当時の自分の行動を省みた)。
というわけで、行ってみることにしてみた。

京終から行こうとして乗り過ごし(笑)、奈良からてくてく歩いてきました。
こんなところに有ったのかーとしみじみしてしまった。

当時は大きかったと学んだ、日本でも古い寺のひとつだったところ。
日本最古(飛鳥時代)の瓦がが残っているそうで、極楽堂と禅室の一部に使われている。
(行基葺きって久々に聞いた)
極楽堂内は入ってお参りできます。
賑やかな界隈とは対照的な静かな時間でした。

寺のあちこちに色々な花が植わっていて、八重桜が見頃を迎えていた。
手水に花を生けてあったり、面白い品種の樹が植わっていてそこもまた楽しいところです。
世界遺産の構成遺産の一つに入っていて、海外の観光客もひきっしりなしにみえているけれども、落ち着いてお参りできるところでした。

元興寺の建物その他元興寺の建物その他元興寺の本殿

極楽堂。

元興寺の建物その他

その裏側。
色が変わっているのが、飛鳥時代の日本最古の瓦だそうだ。

元興寺の自然元興寺の自然

。。。ここの住職相当の花好きだな。

元興寺の自然

と、思った花ももの樹。

元興寺の自然元興寺の手水

。。。スッキリと簡潔な感じだ。

元興寺の庭園
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歴史

 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。

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元興寺の基本情報

住所奈良県奈良市中院町11
行き方

近鉄奈良駅
 徒歩・・駅から15分
 バス・・福智院町下車、徒歩5分 
JR奈良駅
 徒歩・・駅から20分
 バス・・田中町下車、徒歩5分

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名称元興寺
読み方がんごうじ
参拝時間

9:00〜17:00(入門は16:30まで) 

トイレあり
御朱印あり

「智光曼荼羅」の御本尊の御朱印の他、「瑠璃光」と書かれた薬師如来と御詠歌、大和地蔵十福霊場「印相地蔵」、見開きでいただける「南無上宮太子」(ぼさつの寺めぐり)の5種類の御朱印を拝受できます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0742-23-1376?7
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://gangoji-tera.or.jp/
おみくじあり

詳細情報

ご本尊智光曼荼羅(阿弥陀如来)
宗旨・宗派真言律宗
札所など

西国四十九薬師第5番札所

ご由緒

 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。

体験世界遺産御朱印札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
元興寺(がんごうじ)は、奈良県奈良市にある寺院。南都七大寺の1つ。 蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、次の3寺院が分立する。 元興寺(奈良市中院町) 旧称「元興寺極楽坊」、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称。 真言律宗、西大寺末寺。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の1つ。 元興寺(奈良市芝新屋町) 華厳宗、東大寺末寺。本尊は十一面観音。元興寺五重塔・観音堂(中門堂)の系譜を引く。木造薬師如来立像は国宝。境内は国の史跡「元興寺塔跡」。 小塔院(奈良市西新屋町) 真言律宗。本尊は虚空蔵菩薩。元興寺小塔院の系譜を引く。境内は国の史跡「元興寺小塔院跡」。
歴史
歴史[編集] 飛鳥寺(明日香村) 現在、「史跡元興寺」として指定されている地域は、奈良市中院町の「元興寺極楽坊」、同市芝新屋町の「元興寺塔跡」、同市西新屋町の「元興寺小塔院跡」の3か所である。これらはいずれも、蘇我馬子が6世紀末、飛鳥に建立した日本最古の本格的寺院、法興寺(現在の飛鳥寺)の後身である。 和銅3年(710年)の平城京遷都に伴って、飛鳥にあった薬師寺、厩坂寺(のちの興福寺)、大官大寺(のちの大安寺)などは新都へ移転した。法興寺は養老2年(718年)平城京へ移転したが、飛鳥の法興寺も廃止はされずに元の場所に残った。通常、飛鳥にある寺を「法興寺」「本元興寺」、平城京の方の寺を...Wikipediaで続きを読む
引用元情報元興寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%83%E8%88%88%E5%AF%BA&oldid=89610466

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