御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

がんごうじ|真言律宗

元興寺の御由緒・歴史
奈良県 近鉄奈良駅

ご本尊智光曼荼羅(阿弥陀如来)
ご由緒

 元興寺は、藤原、奈良時代は崇佛派の蘇我氏による仏教政策や、朝廷(僧綱)の管理下にある三宝常住の官寺でした。しかし平安時代になると、律令制度の崩壊によって、官大寺は無くなり、権門寺院でもある興福寺や東大寺の支配下に組み込まれました。更に鎌倉時代になると、元興寺は伽藍が解体し、堂塔が分散してしまいました。その中で僧坊遺構の極楽坊は室町時代には、興福寺大乗院の支配となり、坊主は己心寺(大安寺)門流(真言律の西大寺流)とされました。江戸時代には、西大寺直門として多くの重役を輩出しました。
 明治維新の回禄により門流が途絶え、無住化しました。しかし、昭和十七年より真言律宗大本山宝山寺の実質支配となり中興されることになりました。そして、戦後の文化財保護法や宗教法人等の制定によって復興されました。

歴史
歴史[編集] 飛鳥寺(明日香村) 現在、「史跡元興寺」として指定されている地域は、奈良市中院町の「元興寺極楽坊」、同市芝新屋町の「元興寺塔跡」、同市西新屋町の「元興寺小塔院跡」の3か所である。これらはいずれも、蘇我馬子が6世紀末、飛鳥に建立した日本最古の本格的寺院、法興寺(現在の飛鳥寺)の後身である。 和銅3年(710年)の平城京遷都に伴って、飛鳥にあった薬師寺、厩坂寺(のちの興福寺)、大官大寺(のちの大安寺)などは新都へ移転した。法興寺は養老2年(718年)平城京へ移転したが、飛鳥の法興寺も廃止はされずに元の場所に残った。通常、飛鳥にある寺を「法興寺」「本元興寺」、平城京の方の寺を「元...Wikipediaで続きを読む
引用元情報元興寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%83%E8%88%88%E5%AF%BA&oldid=97760014

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ