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たみのじんじゃ

田蓑神社
大阪府 千船駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

境内西側にあり

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きどっち
きどっち
2024年10月25日(金)1506投稿

大阪府と兵庫県の県境、神崎川と左門殿川に挟まれたところに鎮座。
周辺は住宅が多いのですが、境内周辺や参道は木々で覆われとても静かでした。
境内には相撲の玉ノ井部屋の大阪宿舎がありました。

住吉四神を祀る西淀川区佃の鎮守、氏神様になります。
さらに徳川家康公との縁があり、境内には家康公を祀る東照宮もあります。
大阪市北区に鎮座する豊崎神社にも東照宮があり、この二社をめぐる「浪速東照宮朱印めぐり」では、二社の東照宮印を並べると見開きの御朱印となり、家康公の兜の前立てであるシダの葉が描かれています。

天正年間、徳川家康公が多田の廟に参詣の際、この地の村人が漁船にて神崎川の渡船を勤めたことにより、「全国どこで漁をしても良し又、税はいらない」という特別の褒美を得たそうです。
そして家康公が関東へ下降の際に、田蓑神社の神職を含む村人たちが江戸に下りました。
そこで田蓑神社の御分神霊を奉戴したそうです。
それが東京都中央区佃にある住吉神社とのこと。

<御祭神>
 底筒之男命
 中筒之男命
 表筒之男命
 神功皇后

<御由緒>~田蓑神社パンフレットより~
「日本書記」や「古事記」でよく知られるお話しで、伊邪那岐命が、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きました。
そこで受けた汚れを清めるために、「筑紫の日向の橘の小門の憶原」というところで禊祓いしたとき、住吉の神である底筒男命、中筒男命、表筒男命の「住吉三神」が生まれました。
時代は下って、十四代仲哀天皇の妻である神功皇后が新羅に出兵する際に、住吉の大神を守り神と奉り、遂に成し遂げ国の安定を築かれました。その帰途、この地に立ち寄られた折、海士が白魚を献上されてより、その海士を奉ったとされております。
後の世、当地開拓の時その海士が出現し、神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよと申され、貞観十一年(869年)に創建され、住吉三神と神功皇后の「住吉四神」をお奉りいたしました。
社名は時代と共に、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社との説も)、住吉神社(住吉大神宮、住吉明神、住吉大明神とも)と変遷し、明治元年(1868年)に田蓑神社と改められました。

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歴史

 「日本書記」や「古事記」でよく知られるお話しで、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きました。
 そこで受けた汚れを清めるために、「筑紫の日向の橘の小門の憶原」というところで禊祓いしたとき、住吉の神である底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)の「住吉三神」が生まれました。

 時代は下って、十四代仲哀天皇の妻である神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅に出兵する際に、住吉の大神を守り神と奉り、遂に成し遂げ国の安定を築かれました。その帰途、この地に立ち寄られた折、海士が白魚を献上されてより、その海士を奉ったとされております。

 後の世、当地開拓の時その海士が出現し、神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよと申され、貞観十一年(869年)に創建され、住吉三神と神功皇后の「住吉四神」をお奉りいたしました。

 社名は時代と共に、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社との説も)、住吉神社(住吉大神宮、住吉明神、住吉大明神とも)と変遷し、明治元年(1868年)に田蓑神社と改められました。[当神社HP由緒より]

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田蓑神社の情報

住所大阪府大阪市西淀川区佃1-18-14
行き方

阪神本線「千船」駅より、徒歩約15分

田蓑神社の基本情報

名称田蓑神社
読み方たみのじんじゃ
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号06-6471-5416

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.tamino-jinja.com/
おみくじあり
絵馬あり
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詳細情報

ご祭神表筒之男命
中筒之男命
底筒之男命
神功皇后
ご神体不詳
創建時代貞観十一年(869年)9月15日(創始は神功皇后の御代)
創始者不詳
本殿住吉造
ご由緒

 「日本書記」や「古事記」でよく知られるお話しで、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)を追い求め、黄泉の国(死者の世界)に行きました。
 そこで受けた汚れを清めるために、「筑紫の日向の橘の小門の憶原」というところで禊祓いしたとき、住吉の神である底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)の「住吉三神」が生まれました。

 時代は下って、十四代仲哀天皇の妻である神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅に出兵する際に、住吉の大神を守り神と奉り、遂に成し遂げ国の安定を築かれました。その帰途、この地に立ち寄られた折、海士が白魚を献上されてより、その海士を奉ったとされております。

 後の世、当地開拓の時その海士が出現し、神功皇后の御船の鬼板を伝え守って数百年、この神宝を安置して住吉大明神をお奉りせよと申され、貞観十一年(869年)に創建され、住吉三神と神功皇后の「住吉四神」をお奉りいたしました。

 社名は時代と共に、田蓑嶋神社(田蓑嶋姫神社との説も)、住吉神社(住吉大神宮、住吉明神、住吉大明神とも)と変遷し、明治元年(1868年)に田蓑神社と改められました。[当神社HP由緒より]

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