しらはたじんじゃ
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横浜②井土ヶ谷住吉神社から車で14~5分、横浜は坂が多くて燃費が悪い!昨年近くまで来たの時は駐車場がなさそうなので諦め、近くの別の源義経を祀っている白幡神社へ参拝しました。こちらは多くの白幡(旗)神社で祀られている源頼朝命が御祭神です。神社横の公民館兼社務所に許可を取って車を停めての参拝です。下から見上げると急な石段、上の社殿を楽しみに狭い急な石段を上がります。途中富士山が見えるとのことでしたが、全く見えず。上りきるとこざっぱりとした境内。授与所と一体化した神輿庫に煌びやかお神輿がひと際目を引きました。授与所には誰も居らしゃらず、呼鈴も応答なし。下の社務所には人はいらっしゃましたが、お声掛けせず、御朱印はまたの機会にすることにしました。(書き置きの御朱印が授与所の中に見えましたので、又上に上るのが億劫だったので)
鳥居
社号標
石段下の遥拝所
石段
狛犬
手水舎
拝殿
扁額
本殿
神輿
石段上から
歴史
由緒 当神社は源頼朝公薨じて百三年後の乾元元年 (紀元一九六二年 西暦一三〇二年) 九月九日鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもので明和六年 (紀元二四二九年 西暦一七六九年) 十月十四日には相承院を通じ、みたましろとして「右大将家 (頼朝公) の御鬢髪三筋」を送られた (東福寺所蔵文書) 東福寺の神事奉仕は創祀以来凡そ五百七十年に及んだ。
東福寺の鎮守として発足した当神社は、江戸時代には平戸村の鎮守となり (新編相模風土記) 明治六年 (紀元二五三三年 西暦一八七三年) 十一月十日には村社、昭和十四年九月二十日には幣帛供進村社となったが大東亜戦争後の昭和二十八年九月十五日に県知事の認証を受け新発足して宗教法人となり神徳いよいよ明らかである。因みに現社殿は新築され昭和七年四月十日竣工したものである。昭和五十四年屋根葺替一月十日起工四月二日完成。平成二年十一月御大典奉祝記念として玉垣築造。
名称 | 白旗神社 |
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読み方 | しらはたじんじゃ |
通称 | 相州平戸白旗神社 |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 045-823-4488 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》源頼朝 |
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ご由緒 | 由緒 当神社は源頼朝公薨じて百三年後の乾元元年 (紀元一九六二年 西暦一三〇二年) 九月九日鎌倉鶴岡の相承院の前住元智が勧請したもので明和六年 (紀元二四二九年 西暦一七六九年) 十月十四日には相承院を通じ、みたましろとして「右大将家 (頼朝公) の御鬢髪三筋」を送られた (東福寺所蔵文書) 東福寺の神事奉仕は創祀以来凡そ五百七十年に及んだ。
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体験 | お宮参り絵馬七五三御朱印お守り |
Wikipediaからの引用
概要 | 白旗神社(しらはたじんじゃ)は、関東地方・東北地方・中部地方に分布する神社である。白幡神社・白籏神社とも表記される。 多くは源頼朝を主祭神とするが、他に源義家・源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多い。社名は源氏の旗である白旗に因むものである。 日本全国に70社あまりがあり、他に境内社として7社ほどがある。鎌倉幕府のあった川県の他、葉県に多く、他に城県・福県・岩県・城県・秋県・山県・梨県・岡県に分布する。 |
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引用元情報 | 「白旗神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%99%BD%E6%97%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101788564 |
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