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櫻山八幡宮ではいただけません
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さくらやまはちまんぐう

櫻山八幡宮
岐阜県 高山駅

御朱印について
御朱印
あり

真ん中に桜山八幡宮と書かれ、飛騨八幡宮桜山の印が押されています。 末社の櫻山秋葉神社、櫻山稲荷神社、琴平神社の御朱印もいただけます。 琴平神社の御朱印には、さるぼぼ信仰の起源と文字が入っています…

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あり
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駐車場
あり

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惣一郎
惣一郎
2022年09月12日(月)
1269投稿

【飛騨國 古社巡り】

櫻山八幡宮(さくらやま・はちまんぐう)は、岐阜県高山市桜町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は八幡大神(応神天皇)、相殿神は熱田大神(日本武尊命)と香椎大神(仲哀天皇・神功皇后)。当社の秋の例祭は、春の日枝神社の例祭とともに「高山祭」として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

今日は期せずして参拝2回目(2日目)。
昨日、土砂降りの荒天の中、ずぶ濡れになりながら一生懸命写真を撮りまくったのに、iPhone13 Max Proの問題発生で、撮った写真が記録されず、やむなく今日ふたたび参拝することに...涙

※今日の写真は、昨日の参拝投稿に使用したため、昨日かろうじて残っていた数枚と、高山観光の写真を掲載します。。。(^_^;)

櫻山八幡宮の鳥居

昨日の参拝時に撮影した写真で、かろうじてメモリーに残っていたのが3枚のみ。( ;∀;)
こちらは境内西端入口全景。土砂降りの荒天で、参道はつるつる、ぴかぴか。

櫻山八幡宮の周辺

2枚目は境内入口から振り返って、参道両側の門前町と、遠くに大きな<一の鳥居>。

櫻山八幡宮の本殿

3枚目は<拝殿>正面。「櫻山八幡宮」の扁額。

櫻山八幡宮(岐阜県)

【高山観光④】 伝統的建造物群保存地域になっている上三之町の<古い町並>。
立派なアカマツが立っているのは歯医者さん。。。(^▽^)/

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例祭・神事

10月9日・10日(秋の高山祭)(国指定重要無形民俗文化財)

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歴史

仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。
その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。
大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。
元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した(奉行祭)。
飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えた。
昭和51年、本殿・幣殿・拝殿を造営
神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。
戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増する。

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櫻山八幡宮の基本情報

住所岐阜県高山市桜町178
行き方

JR高山駅 濃飛バスセンター乗車→八幡宮前下車
JR高山駅から徒歩20分(1.3㎞)

アクセスを詳しく見る
名称櫻山八幡宮
読み方さくらやまはちまんぐう
通称八幡神社
参拝にかかる時間

約20分

トイレあり
御朱印あり

真ん中に桜山八幡宮と書かれ、飛騨八幡宮桜山の印が押されています。
末社の櫻山秋葉神社、櫻山稲荷神社、琴平神社の御朱印もいただけます。
琴平神社の御朱印には、さるぼぼ信仰の起源と文字が入っています。
さるぼぼとは猿の赤ん坊のことでお人形です。安産、子育てのお守りです。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0577-32-0240
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスhachiman@hidahachimangu.jp
ホームページhttp://www.hidahachimangu.jp/
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》応神天皇,《配》熱田大神,香椎大神
創建時代313年~399年(仁徳天皇元年~87年)
ご由緒

仁徳天皇の御代(377年頃)、飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という凶族が天皇に背いて猛威を振るい人民を脅かしていた。征討将軍の勅命(ちょくめい)を受けた難波根子武振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと)は、官軍を率いて飛騨に入った(日本書紀)。武振熊命が、当時の先帝応神天皇の御尊霊を奉祀し、戦勝祈願をこの桜山の神域で行ったのが創祀と伝えられる。
その後、聖武天皇の御代(8世紀)諸国に八幡信仰が栄え、往古は数百本の桜樹が花を競い境内はいっそう整えられたとも言われる。
大永年間(室町時代、16世紀)京都の石清水八幡宮より勘請したが、戦乱の時代が続き境内は一時荒廃した。
元和9年(1623)高山領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡神と奉安し、社殿を再興し神領地を寄進した。以後高山北部を氏子と定め、例祭には奉行を派遣して神事を管理した(奉行祭)。
飛騨が天領となり、氏子を初め代々の郡代は篤く崇敬して奉行祭を継承し境内を整えた。
昭和51年、本殿・幣殿・拝殿を造営
神仏混淆の一時期、別当は八幡山長久寺であったが、明治の神仏分離により長久寺を離れる。明治8年高山の大火ににあい、末社秋葉神社を除きほとんど消失したが、同年33年までに境内復興が完了する。
戦後、かつて奉行祭と呼ばれた例祭(秋の高山祭)が全国に知られ参拝者は急増する。

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