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猟師として活動する神主さんが伝えたい「命をいただくありがたみ」【忌宮神社(山口県)佐伯昌彦権禰宜インタビュー】

最終更新:2021年05月07日公開:2021年04月15日

山口県のある神社には、神社に勤めながら、猟師としても活動する神主さんがいます。

忌宮(いみのみや)神社の佐伯昌彦(さえきまさひこ)さんです。

佐伯さんは猟を通じて地域の獣害防止に貢献しながら、シカやイノシシの命をいただくことのありがたさと向き合ってきました。

そんな佐伯さんが神主になったきっかけも、実は自身が若くして病気をわずらい、命の大切さを実感したことでした。

月間120万ユーザーが集まる神社お寺・御朱印の検索サイト「ホトカミ」では、「神主さんの言葉を通じて、神主さんや神道の魅力を伝えたい」という想いから日本全国10名の神主さんのインタビュー記事を公開しています。

第6弾となる今回は、忌宮神社の権禰宜(ごんねぎ)を務める佐伯昌彦さんに、お話しうかがいました。

    目次
  1. がんに向き合うなかで決めた神様に奉仕する道
  2. 猟で実感する山の恵みと命のありがたみ
  3. 人生とともに変わり続ける佐伯さんの神道

がんに向き合うなかで決めた神様に奉仕する道

佐伯さんは神主になるまでに、大変悩んだそうですね。どのような経緯で神主になることを決意したのでしょうか。

(佐伯さん)私は山口県山口市にある、代々と神主を務める家に生まれました。実家は小さな神社です。父は生活のために大きな神社に勤めつつ、実家の神社にも奉仕していました。

私の父は「神主になれ」ということは全く言わなくてですね。神主になるためには資格が必要なのですが、「資格は取っておきなさいよ。その代わり好きなことをしなさい」と言われて育ちました。

高校卒業後は、政治・経済の授業が好きだったこともあり、大学で経済学を学ぶことにしました。大学時代にはドキュメンタリー作品を制作するプロジェクトに携わり、とても充実した日々を過ごしましたね。

そのうちに4年生になって、そろそろ卒業するけれどもどうしようか、という時分になりました。当時、弟は神主の資格をとり終えて、いよいよ神主になるところ。兄が資格を取らないのを見かねて、先に取得していたんですね。

弟が資格をとっているのに、資格を取らずにいるのは兄としてどうなのか、やはり自分も神主の資格を目指そう。そう思って、資格を取ることのできる皇學館大学に進学をしました。しかし、その皇學館大学を半年で中退してしまったんです。

皇學館大学では、神社の出身ではないけれども、神主の資格を目指している方々が多くいます。そうした方ってものすごく強い信仰を持っています。

その姿を目の当たりにした私は「このまま神主になっていいのか」と悩んでしまったんです。自分は神社で生まれたものの、周囲の環境が当たり前すぎて、信仰というものを深く考えたことがなかったんですね。ちゃんと自分を見直すために、中退を選びました。

その後は、大学時代に携わっていたドキュメンタリー作品のプロジェクトに戻りました。プロジェクトが完成すると「フラフラしてもいかんな」と思い、実家に帰って社会人として働き始めました

神主の資格は取っていなかったのですが、人が足りないときは神社で父の手伝いもしていました。ちょうど27歳の頃です。

そんな矢先に甲状腺がんになりました

がんといっても比較的軽くて、進行性もなかったんですけれども。これが自分の人生のターニングポイントになりました。

20代でがんとは、相当なショックだったのではないでしょうか。

(佐伯さん)実のところ、診断された当初はあまり重く考えていませんでした。「がんになりました」と言ったら、みんなどうリアクションするかな、と思ってみたり。

ところが病気についてSNSに投稿すると、みなさんとても心配してくれたんです。自分では、大したことないな、と思っていたんですけれども。こうして心配されるということは大病なんだなと思い直しました

それに、医師から「手術中に副作用で死ぬ可能性もあるよ」という話もされました。ほぼ完治するけれども、100%回復できるとは限らない

病気と向き合うにつれ「人生って意外と短いんだな、あっという間なんだな」と考えるようにもなりました。すると「やっぱり自分は神社に奉仕したい」「神社や神道を次につなげていきたい」という気持ちが強くなっていったのです。

弟がお見舞いに来てくれたときは、ジーンとしましたね

私の弟は京都で神社に奉仕しているんですけれども、わざわざ山口まで来てくれてですね。もともとそこまで連絡を取り合う仲ではなかったんですけれども、お見舞いに来てもらうと、うれしい気持ちもありましたし、心強さもありました

弟からお守りも受け取りました。神主はお守りについて「効くものではないですよ、神様が見てくれている証と考えてください」と説明します。当時、弟からお守りをもらった私は、「神様が見てくれているんだな、そして、渡してくれた弟も私を見てくれているんだな」と感じたのをよく覚えています。

おかげさまで無事に病気は良くなりました。

その後は、神社で奉仕するために神主の資格を取り、ご縁があって忌宮神社に奉仕するようになりました。

猟で実感する山の恵みと命のありがたみ

普段は神社で奉仕するかたわら、休みの日には猟師としても活動していると聞きました。どういったきっかけで猟を始めたんですか?

(佐伯さん)公民館などへ行ってお祭りをするときに、地域の方々からシカやイノシシの被害があるという話を聞くことがありました。獣害による市の農業被害額が膨らんでいることも知っていて、なんとなく気にはなっていたんです。

そんなときに、たまたま氏子さんが猟の免許を取るという話を聞きました。これはいいタイミングだなと思い「私も取りたいです」とすぐに手を挙げたのが始まりです。免許を取れたのが33歳の頃でした。

※日本の獣害と狩猟の現状
日本では猟師が減少し、高齢化も進行している。一方で、数の増えたシカやイノシシが市街地に出るようになり、農地を荒したり人を襲ったりする被害が深刻化している。
猟をするには免許が必要だが、被害防止のために、免許取得を奨励する自治体も増えているほどだ。

猟は、を使う猟とを使う猟に分けられます。私は両方の免許を持っています。

銃を使う猟は「巻狩(まきがり)」という方法をとります。猟師は二手に別れ、一方では猟犬を放ち、獲物を追い立てます。残りの猟師は山の中で待ち、逃げてきた獲物を銃で仕留めます。

罠については、市から委託を受けて、獣害が起こりそうなところに仕掛けを置いています。このあたりはイノシシが多いので、すぐそばの中学校の裏山にも仕掛けていますね。

令和2(2020)年の12月からはジビエの食肉処理場も運営を始めました

駆除した獲物の肉って、食肉処理場を通さないと出荷できないんです。だから、以前は猟師たちで消費するしかなかったんですよ。

うちの猟友会では、みんなで獲物を山分けをしています。10人で猟に行って10頭獲れることもあるんですが、そうなると1人が丸1頭を持って帰ることになります。やっぱり食べきれない分が出てしまい、廃棄になったり犬の餌になったりしています。

すごく美味しいお肉なので、多くの人が食べられるようにしたい。せっかく取った命なので無駄にしたくない。そういう想いから食肉処理場を始めたんです。

食肉処理場では、私たちが獲った獲物を、私たちがさばいて出荷しています。卸先は地元の居酒屋さんなどですね。今日もインタビューが終わったら、お肉をスライスしに行くんです。さっきお弁当を買いに行く途中に「宴会があるからお肉を持ってきてくれないか」という注文がありまして。

獣害を食い止めたいと始めた猟師の活動が、ジビエの出荷にまでつながったとは、ものすごい行動力ですね。一方で、実際の猟はどのような様子なのでしょうか。

(佐伯さん)猟のときは、獲物が来るまで山の中でずっと静かに待っています

人間って食物連鎖の頂点にいるような印象ですよね。でも山に行くと、銃を持っているとはいえ、自分がものすごい弱い存在だと感じるんです。何が出るか分からないし、昼間でも薄暗い。

ずーっと銃を持ってじっとしていると、風の通り抜ける感覚がより強く感じられたりして。そんなときに突然、枝がパキッと折れた音がすると、すごくゾワッとするんです。これが昔の人が感じた感覚なのかなと思いますし、山に対する「畏れ」を実体験しているのだと思います。

現代人って、自分自身が自然と関わって、農作物を作ることって少ないじゃないですか。そうした文明社会のなかで、美味しいお肉が獲れて山の神様とつながれるのが猟なんだな、と日々実感しています。

私の銃は3発しか弾を込められないんですね。3発でイノシシが獲れるかというと、弾を外すことも多いんですよ。それに、弾が当たったとしても、すごく厚い脂があれば弾は途中で止まります。

すると、イノシシは怒るんです。ときにはこちらに向かって来ます。すぐに次の弾が込められればいいんですけれども、イノシシって本当に走って来るのが速いので。向かってくる間に撃って、なんとか仕留めることもあります。

猟の大先輩からはイノシシに襲われて大ケガした話も聞きます。命の駆け引きとでも言うのでしょうか、「命を獲るんだったら、自分の命も懸ける」という気持ちがあるので、獲物に出会うとドキドキしますね。

イノシシと違って、シカは中途半端に弾が当たると、血を出しながら走って逃げるんです。走って逃げるうちに、最終的には血がなくなって倒れます。

そこまでして生きようという姿って、日常生活では見ることがないじゃないですか。そうやって自分達は恵みを得ているんだな、ということをありありと実感します。

猟を始めた頃からの自分への問いがあります。それは「殺生をしていいのか」

猟なんて普通はやりたくないじゃないですか。でも、やっぱり誰かがやらなければならない。それだったら「俺がやろう。世のため人のためだ」と。

獲物にとどめを刺すとき、かわいそうだなぁ、と思いながら刺します。それでも「世のため人のためなら、汚れ仕事もなんぼでも」というわけで、これからも猟を続けようと思っていますね。

人生とともに変わり続ける佐伯さんの神道

佐伯さんは神道のどういったところが魅力だと思いますか?

(佐伯さん)神道には正解がないですね。正解がないけれども、その人が「これが神道だ」と思ったら神道になるところです。

私が思うのと他の神主さんが思うのと、また別の神道でしょ。本当に十人十色です。それって人生と同じだなと思うんです。人となりですよね、神道って。

私たちもインタビューを重ねるなかで、神主さんの十人十色の魅力を感じてきました。佐伯さんにとっての神道というのはどういうものでしょうか。

(佐伯さん)敬うことです

神様を敬ったり、自然を敬ったり、人を敬ったり。すごくいいことだなと思います。

たとえばですが、山に入って猟をするうちに、普段の食事の全てに感謝するようになったんです。もちろん以前から感謝をしていましたが、さらに深く感謝するようになりました。これからいただく命の、生きていた頃の姿が見えるからですね。「命をいただいているんだぞ」と、より強く命を敬うようになりました。

それに、猟に出ると待ち時間につれづれと考えてしまうんです。「よく見たらたくさん木の実が転がっているぞ。イノシシやシカって、木の実を食べて大きくなるんだよな。この木の実のおかげで、獲物はまるまると太ってお肉も美味しい。これが山の恵みなんだ」と気づいたりして。それが自然を敬う気持ちにつながります。

みなさんが普段食べている食事でも同じです。

サラダの野菜はどうやって育つのでしょうか。太陽の光、水、そして土がないと育たないですね。そう考えると、神様につながるんですよ。太陽の神様であったり、水の神様であったり、山の神様であったり。神道の始まりにもこうした自然への敬意があったのだと思います。

もちろん、猟を始める前は今とは違う考えだったと思います。その人の考える神道って、その人が生きていくうちに変わっていくと思うんですね。

私にとっての神道は、病気や猟をきっかけに変わりました。またこの先を生きていくなかで、また私の神道は変わっていくと思います。



【忌宮神社の情報】
所在地:山口県下関市長府宮ノ内町1-18
アクセス:山陽本線 長府駅より バス6分
     新幹線  新下関駅よりタクシー 10分
電話番号:083-245-1093
公式ホームページ:忌宮神社
ホトカミ:忌宮神社

協力:神道青年全国協議会

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