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いみのみやじんじゃ

忌宮神社
公式山口県 長府駅

参拝可能時間
24時間

社務所・授与所
午前8時半~午後5時

祈願受付時間
午前8時半~午後4時半
※受付時間外の時間帯をご希望の方は予約が必要ですのでご連絡下さい。

御朱印受付時間
午前8時半~午後4時半

現在の御朱印・御朱印帳

御朱印(手書き)

初穂料500円
※混雑時はお待たせすることがございます。ご了承ください。

中央に神紋である白鳥の印と、篆書体(てんしょたい)で書かれた忌宮神社の印が押してあります。

御朱印帳

御初穂料2000円

表面は本殿正面と当社で飼育している御神鶏をあしらったデザインで、裏面は特殊神事である数方庭祭がデザインされております。
明るい色と暗い色の二色からお選びいただけます。

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28
氏子以外の参拝
氏子以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内に無料駐車場あり

ご利益

忌宮神社について

山口県下関市にある「忌宮神社」は城下町長府の中心に位置し、古事記、日本書紀にも記されている伝統ある神社です。(延喜式内社)
仲哀天皇とそのお后である神功皇后と応神天皇をお祀りし、文武の神(勝運の神)安産の神として歴代の朝廷や武家をはじめ多く庶民の信仰を受けてきました。
安産祈願、お宮参り、七五三、厄祓い等のご祈願、人生儀礼で多くご参拝いただいております。

おすすめの投稿

神祇伯
2023年09月26日(火)
1311投稿

長門国豊浦郡の式内社で、同国二宮です。
元々は第14代仲哀天皇さまが三韓征伐に向かう途中に滞在した行宮「穴門豊浦宮」であり、香椎で天皇さまが神託に背いたため崩御したあとの殯宮の地ともされています。これが現社名の"忌"が指すものであり、郡名の由来元である歴史ある神社です。

忌宮神社(山口県)

《鳥居と灯籠》

忌宮神社(山口県)

《石灯籠》
なんかものすごいアンバランス感を保っています。

忌宮神社(山口県)

《鬼石》
豊浦宮を営んでいたときに新羅から塵輪という人物が熊襲を煽動して攻め入り、臣下を破るなど攻勢を見せていましたが、天皇自ら弓を引いて討ち、その遺体の周りを皇軍が喜び回る間、鬼のような顔をしていたそうです。
この石の下には塵輪の首が納められているそうです。
例祭の奉射祭で弓を引くのはこの事績に由来します。

忌宮神社(山口県)

《手水舎》
近づくと水が出ます。

忌宮神社の山門

《神門》
明治期には国幣小社な列格し、現在は神社本庁下の別表神社となっています。

忌宮神社(山口県)

《由緒書き》
なかなか珍しい名前の祭事が多いですね。

忌宮神社(山口県)

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
当社は瀬戸内海沖に飛地境内として満珠島と干珠島を持ち、原生林が天然記念物となっています。この島は神功皇后さまが住吉三神さまから賜った潮干珠と潮満珠からできたという伝承があり、源平合戦の壇ノ浦の戦いでも源氏軍が拠点としたそうです。

忌宮神社(山口県)

《扁額》
「忌」と聞くと忌避や忌引など悪い意味に感じますが、本来は忌→斎を意味する言葉で清浄を意味します。仲哀天皇さまが崩御され、現在の忌引と同義である「殯」の期間にご遺体を安置する場所として清らかな場所であったことが窺えます。

忌宮神社(山口県)

《荒熊稲荷神社》
いつもお世話になっておりま(🤛

忌宮神社の動物

《境内の鳩》
授与所にはハトの餌があり、親子連れが買いに向かった途端にまだ買ってもないうちからハトが寄っていって大群になってました。

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四季
2022年05月24日(火)
469投稿

忌宮神社【いみのみや神社】

主祭神 第一殿 仲哀天皇
    第二殿 神功皇后
    第三殿 応神天皇

社格等 式内社(小)
    長門国二宮
    旧国幣小社
    別表神社
創建  仲哀天皇8年(199年)
例祭  12月15日
主神事 数方庭祭(8月7-13日)
    御斎神事(12月7日-15日)

仲哀天皇元年(192年)に熊襲の征討に訪れ、仲哀天皇2年(193年)に行宮豊浦宮を建てられました。
三代実録によれば、仲哀天皇4年(195年)に秦の始皇11代の孫・功満王(こまおう)が渡来して日本に住みつき、珍しい宝物である蚕の卵を奉献したとされ、豊浦宮(現在の忌宮神社)が蚕種渡来の地とされます。

仲哀天皇8年(199年)に天照大神と住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝えます。
聖武天皇の時代に神功皇后・応神天皇を奉斎して、仲哀天皇を祀る神殿を「豊浦宮」、神功皇后を祀る神殿を「忌宮」、応神天皇を祀る神殿を「豊明宮」と称し、三殿別立となっていました。中世に、火災により全て「忌宮」に合祀されました。
「長門国豊浦郡 忌宮神社」
延元元年(1336年)、足利尊氏が忌宮神社で戦勝祈願を行い延元2年(1337年)に法楽和歌を奉納します。長府毛利家の厚い庇護を受け、境内社として歴代藩主を祀る豊功神社も置かれました(現在は長府海岸近くの宮崎八幡宮と合祀され豊功神社として祀られています)。
古来、文武の神・勝運の神として歴朝の尊崇厚く、また安産の神として庶民の信仰を受けてきました。

御斎神事(おいみしんじ) 例祭日 12月15日。
その前の12月7日夕刻から15日暁までは「御斎祭」として、境内に注連縄を張り巡らされ、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われます。
御斎神事中は深夜に様々な秘祭が行われ、この間神職は風呂に入れず、髭も剃れません。また、日々の食事も制限され粥と漬け物、お湯だけで過ごし、15日暁の忌明けと同時に身を清め、例祭に備えられます。
神事の開始を告げる境外摂社守宮司神社での板神楽神事を始め、御衣・御神宝調製、三朝神事、全神職の海中潔斎、御衣・御神宝奉納の御祭が主な祭です。
長門一の宮である住吉荒魂本宮でも概ね同様の神事が行われるそうです。
16日の夕刻には御斎神事と例祭の無事終了の報告を守宮司神社で行い後烏神事と呼ばれ、忌宮神社を上位の神職から出立し、後烏神事後は下位の神職から忌宮神社へ帰社されます。
帰社の際、惣社町の町民が囃歌と共にお見送をされます。

数方庭祭(すほうてい祭)
8月7日から13日まで7夜に渡って行われる祭。
仲哀天皇7年、新羅の塵輪(じんりん)の扇動で熊襲が豊浦宮を襲撃しましたが、仲哀天皇自ら弓矢を取って塵輪を討ち、熊襲を撃退されました。
戦勝を祝い、塵輪の屍体を囲んで踊ったのが数方庭の起源であると伝えます。
石見神楽など、各地方に伝わる神楽舞には「塵輪」という演目がありますが、本伝説が基といわれます。
一説では塵倫は巨大な怪鳥であったともいわれ数方庭祭を斎行しなかった年に長府の空を大きな鳥の影が飛び疫病が流行り、 塵倫の祟りだと考えた神社、また長府の町民が7日間数方庭祭を続けたところ疫病が治まったことから一週間祭りを行うとも、神功皇后が7日7夜の間、忌籠りされて天地の神々に戦勝を祈願されたという伝説、仲哀天皇の追悼の為、7日間喪に服したことからなど諸説あります。
この7日間は先述の御斎神事期間の由来と同様とされます。
「すほうてい」は他に「スホーデン」「スッポウディ」などと呼ばれ、「数方庭」の他にも「数宝庭」「数方勢」などの当て字があります。
朝鮮半島の「ソッティ」「スサルティ」など音が似ている語との関連も研究されています。
境内中心の鬼石のまわりを男は幟、女は切り籠と呼ばれる笹飾りを持って舞う、幟は最大30m、100kgにもなり修練が必要となります。
もとは戦勝祈願と同時に敵の大将である塵倫や戦で命を落とした者への慰霊・供養の祭であったと言われるが数方庭が数宝庭と書かれたことや様々な信仰が混じり合い、現在は五穀豊穣、子孫繁栄、厄難退除、先祖供養などの祭となっています。

また、魁傑將晃が現役時代、
荒熊稲荷神社で九州場所の必勝祈願を行い優勝したことが縁となり、毎年11月3日の三日相撲に合わせて参拝されました。
荒熊稲荷神社脇には相撲資料館が併設され魁傑や大乃国康(現芝田山親方)の化粧まわしや優勝杯、大銀杏などが展示されています。

若宮社 仁徳天皇
高良社 地主大神・武内宿禰
八坂神社 素戔男尊をはじめ42柱
     (神社合祀のため)
荒熊稲荷神社 宇迦之御魂神・宗像三女神
惣社宮 天神地祇
守宮司神社 応神天皇

下関市長府宮の内1-1-8

忌宮神社(山口県)
忌宮神社の鳥居
忌宮神社の鳥居
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の建物その他
忌宮神社の建物その他
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の手水
忌宮神社の山門
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の本殿
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の歴史
忌宮神社(山口県)
忌宮神社(山口県)
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の末社

荒熊稲荷神社

忌宮神社の歴史
忌宮神社の鳥居
忌宮神社(山口県)
忌宮神社(山口県)
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の建物その他
忌宮神社の建物その他

お相撲さんみたいに見えてしまう・・・
天邪鬼

忌宮神社の建物その他
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の建物その他

相撲資料館

忌宮神社の建物その他
忌宮神社の動物
忌宮神社の建物その他
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の授与品その他
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の庭園
忌宮神社の建物その他
忌宮神社の建物その他
忌宮神社の建物その他

長府凄すぎです

忌宮神社の鳥居
忌宮神社(山口県)
忌宮神社の御朱印

仲哀天皇 恵我長野西御陵印

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惣一郎
2023年01月22日(日)
1269投稿

【長門國 式内社巡り】

忌宮神社(いみのみや~)は、山口県下関市長府宮の内にある神社。式内社で、長門國二之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。

仲哀天皇元年(192年)に仲哀天皇は熊襲征討のため当地を訪れ、行宮・豊浦宮を創建した。『日本三大実録』によると、仲哀天皇4年(195年)に秦の始皇11代の孫功満王が渡来して当地に住みつき蚕の卵を奉献したとされ、豊浦宮は蚕種渡来の地とされている。
社伝によると、仲哀天皇8年(199年)に天照大神と住吉三神による宣託を疑ったため筑紫の香椎でなくなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮跡に祀ったのが当社の始まり。飛鳥時代の聖武天皇の御代に神功皇后と応神天皇を奉斎して、仲哀天皇を祀る豊浦宮、神功皇后を祀る忌宮、応神天皇を祀る豊明宮の三殿分立の神殿とされた(のち火災を機にすべて忌宮に合祀された)。
平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「長門國 豊浦郡 忌宮神社 小」に比定されている。1336年に足利尊氏が戦勝祈願を行い、翌年法楽和歌を奉納している。中世以降は、当地領主の毛利家の篤い庇護を受け、境内社として歴代藩主を祀る豊功神社が置かれた。明治時代に入り、近代社格制度のもと国幣小社に列格した。

当社は、JR山陽本線・長府駅の南西3kmの市街地、ごく緩やかな傾斜地にある。長府の中心地にあるが境内は広々としている。社殿は大きく、左右両側の建物と渡り廊下と境内社で接続しているユニークな造り。荒熊稲荷神社や八坂神社などの境内社が、それぞれ独自に鳥居、瑞垣、手水舎などを有しているのも特徴。あと、市街地寄りの境内東側に相撲資料館がある。

今回は、長門國の式内社、長門國二之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、あいにくの小雨にもかかわらず、自分以外にもぱらぱらと参拝者が訪れていた。

忌宮神社(山口県)

境内南端入口全景。写真左端に見える大きな樹木は「乃木希典将軍御手植えの楠」。

忌宮神社(山口県)

鳥居をくぐり階段を上がったところ左手にある、豪快な自然石の<石燈籠>。
広々とした境内は、非常にきれいに掃き清められている。闊歩する鳩たちも気持ち良さそう。

忌宮神社の建物その他

神門前の階段の手前にある<鬼石>。熊襲平定のため豊浦宮を建てた仲哀天皇が、攻め込んできた新羅国・塵輪(じんりん)を弓で射殺した。塵輪の首を埋めて覆ったのがこの「鬼石」で、その名称は塵輪の顔が鬼のようであったことに由来するとのこと。

忌宮神社(山口県)

神門前の階段の左手にある<手水舎>。

忌宮神社(山口県)

階段を登って<神門>をくぐる。

忌宮神社の狛犬

神門前左側の<狛犬>。現代風。

忌宮神社(山口県)

神門前右側の<狛犬>。

忌宮神社の本殿

神門をくぐって正面にある<拝殿>。

忌宮神社(山口県)

<拝殿>正面。

忌宮神社(山口県)

社殿の左手にある<授与所>。御朱印はこちら。

忌宮神社(山口県)

社殿と授与所を繋ぐ塀に<門>が設置されている。

忌宮神社の末社

門の中を覗くと、渡廊下の途中に境内社の<若宮社>がある。仁徳天皇を祀る。

忌宮神社(山口県)

若宮社のある門の前から<社殿>全景。拝殿後ろの本殿は、色違いの屋根になっている。

忌宮神社(山口県)

社殿の右手にある建物。特に表札はないが、参集殿として使っているのかな。

忌宮神社(山口県)

社殿と上の建物を繋ぐ塀に<門>が設置されている。

忌宮神社の末社

門の中を覗くと、渡廊下の途中に境内社の<高良社>がある。地主大神、武内宿禰を祀る。

忌宮神社(山口県)

高良社のある門の前から<社殿>全景。

忌宮神社の鳥居

社務所の左手、瑞垣の外にある<八坂神社>の鳥居。

忌宮神社の末社

<八坂神社>の社殿。

忌宮神社(山口県)

境内の東部、東鳥居を上がったところにある<荒熊稲荷神社>。
最初、鳥居、瑞垣、社務所、社殿、境内社が揃っているので、別個独立の神社かと勘違いした。(^_^;)

忌宮神社(山口県)

<荒熊稲荷神社>の拝殿正面。

忌宮神社(山口県)

<荒熊稲荷神社>の境内社。左から順に<三八稲荷神社>、<月見稲荷神社>、<豊市稲荷>。

忌宮神社(山口県)

瀬戸内海に浮かぶ<満珠島(右)・干珠島(左)>も、当社の飛地境内となっている。こちらはなんと、国の天然記念物。
写真は、当社の南東1kmの海際の高台にある<豊功神社>から見た<満珠島・干珠島>。(^▽^)/

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ご祈祷

長門国二宮として古来より、文武の神・勝運の神 として、歴朝や武家の尊崇厚く、また安産の神として信仰されてきた古社

主な御祈願

御初穂料は五千円からお気持ちをお願いしております。

安産・厄除・家内安全・初宮詣・方災除・交通安全・七五三詣・心願成就・病気平癒・必勝祈願など、その他種々ご祈願を承っております

受付時間:午前8時30分から午後16時30分まで
※受付時間中の予約は必要ございません
 混雑時は多少お待ち頂く場合がございます

予約が必要な御祈願

・結婚式の御初穂料は三万円からのプランがございます。
・会社/団体祈願は1万円以上をお願いしております

※出張祭典などで、お供え物を当社で準備する場合につきましては、神饌料(お供え物代)を別途お納め頂いております。

・神前結婚式
・神葬祭関係
・各種出張祭典(地鎮祭・起工式・井戸埋・家祓など)
・会社/団体祈願(新春祈願・正式参拝・商売繁盛・社運隆昌など)
上記のご祈願につきましては、事前にお問い合わせください


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例祭・神事

1月1日 歳旦祭 午前3時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
成人の日 奉射祭 午前9時~
同 日  奉納弓道大会 午前10時~
同 日 どんと焼き 午前8時半(午後3時には完全に火を消します)
 15日 どんと焼き 午前8時半(午後3時には完全に火を消します)
18日 秋葉講社祭 午前10時~
第4日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

2月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
立春前日 節分祭 祭典 午後7時~
     鬼やらい(鬼に豆まき)午後7時半~
     豆まき・餅まき 午後8時~
     玉替神事 午後1時~午後8時半
立春の日 玉替神事 午前11時~午後4時
初午の日 荒熊稲荷神社初午祭 午前11時
 11日 紀元祭 午前9時~
 23日 天長祭 午前9時~
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

3月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
春分の日 春季祖霊祭 午前11時~
 28日 蚕種祭 午前11時~
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

4月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
 29日 昭和祭 午前10時~
同 日 荒熊稲荷神社春季大祭 午前11時~
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

5月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
18日 秋葉講社祭 午前10時~
 15日に近い日曜日
    春季大祭 午前11時~
    神輿御神幸 午後1時~
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

6月1日 月次祭 午前10時~
同 日 若宮社例祭 午後5時~
同 日 高良社例祭 午後6時~ 
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
 30日 大祓式 夕刻
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

7月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
 14日~16日 八坂神社例祭夏越大祓 毎日朝より夕刻まで斎行
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

8月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
  7日~13日毎夜 数方庭祭 本殿祭 午後7時~
         数方庭神事 午後7時半~9時半ぐらいまで
第3日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

9月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
 18日 秋葉講社祭 午前10時~
秋分の日 秋季祖霊祭 午前11時~
 25日 惣社宮・守宮司神社例祭
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

10月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
  15日前後 秋季大祭 本殿祭 午前11時~
同  日 秋季大祭 子供神輿巡幸 午後1時~
第2日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

11月1日 月次祭 午前10時~
  3日 三日相撲 午前10時~
同  日 荒熊稲荷神社例祭 午前11時~
第4日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

12月1日 月次祭 午前10時~
  3日 荒熊稲荷神社月次祭 午前11時~
7日夕刻~15日早朝 御斎祭(御斎祭期間中は境内に参入できません)
  15日 忌宮神社例祭 午前11時~
16日 後烏神事 午後4時~
31日 大祓式 夕刻
同  日 除夜祭
第3日曜日 骨董市 早朝より午後3時まで

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歴史

第14代仲哀天皇が九州の熊襲(くまそ)ご平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮(仮の皇居)を建てられ7年間政治をとられた地にあります。
天皇はさらに筑紫(福岡県)の香椎に進出せられましたが、1年にして崩御せられた(亡くなられた)ので神功皇后は喪を秘して重臣 武内宿禰に命じて御遺骸(みなきがら)を豊浦宮に帰らしめ、現在の長府侍町の土肥山に殯斂(ひんれん)(仮埋葬)せられました。
そして神功皇后はご懐妊中ながら、熊襲を煽り立てていた新羅征討(しらぎせいとう)をご決行、ご凱旋ののち、仲哀天皇の御神霊を豊浦宮にお祀りせられました。これが当社の起源です。 そのあと、神功皇后は皇子(のちの応神天皇)をご安産になられました。
くだって聖武天皇の御代(時代)に神功皇后をお祀りして「忌宮」ととなり、さらに応神天皇をお祀りして「豊明宮」と称し、「豊浦宮」「忌宮」「豊明宮」と三殿別立の古社(延喜式式内社)として栄えたが、中世の火災により中殿の忌宮に合祀(合わせてお祀り)したため次第に「忌宮」の名をもって呼ばれるようになりました。

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忌宮神社の基本情報

住所山口県下関市長府宮ノ内町1-18
行き方

山陽本線 長府駅より バス6分
     下関駅より バスで20分

新幹線  新下関駅よりタクシー 10分

バス   城下町長府下車  徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称忌宮神社
読み方いみのみやじんじゃ
通称いみのみや、にのみや
参拝時間

参拝可能時間
24時間

社務所・授与所
午前8時半~午後5時

祈願受付時間
午前8時半~午後4時半
※受付時間外の時間帯をご希望の方は予約が必要ですのでご連絡下さい。

御朱印受付時間
午前8時半~午後4時半

参拝にかかる時間

約15分

参拝料

宝物館、相撲資料館のみ御芳志

トイレ境内駐車場奥に公衆トイレあり
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号083-245-1093
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスiminomiya@galaxy.ocn.ne.jp
ホームページhttp://iminomiya-jinjya.com/
お守りあり
SNS

詳細情報

ご祭神御祭神
仲哀天皇・神功皇后・応神天皇
別宮
若宮社:仁徳天皇
高良社:地主大神・武内宿禰
摂社
八坂神社:素戔男尊をはじめ42柱(神社合祀のため)
惣社宮:天神地祇
守宮司神社:応神天皇
末社
荒熊稲荷神社:宇迦之御魂神・宗像三女神
本殿本殿は入母屋造り平入の銅板葺き(本来は檜皮葺)で素木造り、幣殿でつながり拝殿は入母屋造妻入銅板葺き
文化財

重要文化財
・刀 無銘(伝則宗)折り紙付き
・太刀 銘備州長船盛光 応永廿三年八月日
・豊浦宮法楽和歌 (足利尊氏奉納)
・忌宮神社文書 28巻3冊(372通)
・忌宮神社境内絵図1幅(附:忌宮神社記録2巻12冊)

県指定文化財
・狩野芳崖奉納の絵馬

市指定文化財
・能面・狂言面

天然記念物
満珠・干珠島

ご由緒

第14代仲哀天皇が九州の熊襲(くまそ)ご平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮(仮の皇居)を建てられ7年間政治をとられた地にあります。
天皇はさらに筑紫(福岡県)の香椎に進出せられましたが、1年にして崩御せられた(亡くなられた)ので神功皇后は喪を秘して重臣 武内宿禰に命じて御遺骸(みなきがら)を豊浦宮に帰らしめ、現在の長府侍町の土肥山に殯斂(ひんれん)(仮埋葬)せられました。
そして神功皇后はご懐妊中ながら、熊襲を煽り立てていた新羅征討(しらぎせいとう)をご決行、ご凱旋ののち、仲哀天皇の御神霊を豊浦宮にお祀りせられました。これが当社の起源です。 そのあと、神功皇后は皇子(のちの応神天皇)をご安産になられました。
くだって聖武天皇の御代(時代)に神功皇后をお祀りして「忌宮」ととなり、さらに応神天皇をお祀りして「豊明宮」と称し、「豊浦宮」「忌宮」「豊明宮」と三殿別立の古社(延喜式式内社)として栄えたが、中世の火災により中殿の忌宮に合祀(合わせてお祀り)したため次第に「忌宮」の名をもって呼ばれるようになりました。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三食事・カフェ御朱印お守り重要文化財祭り伝説
感染症対策内容

ご祈願祭は通常通り終日受付いたします。会社・団体参拝のみ予約を受け付けますが、個人の方はご予約は不要です。当日、授与所にてお申し出ください。
※境内建物内は全て換気の為、窓を開放していますので、各自防寒対策にご協力下さい。
※状況により拝殿への人数を制限させていただきます。

ご参拝の際は、必ずマスクを着用し、会話を控えめに、ソーシャルディスタンスを保つように心がけて下さい。

発熱や咳、倦怠感など体調がすぐれない場合は、ご参拝をお控えいただきますようご理解ご協力をお願いいたします。

授与所、拝殿、おみくじ所等、境内各所に消毒液を設置いたします。

多くの方が触れる場所は、定期的に除菌消毒を行います。

手水舎において、柄杓を撤去し流水で手水ができる設備を設けております。

職員のマスクの着用(接遇・お祓い奉仕含む)

本来ご祈願をはじめ、御神札・御守は神社にご参拝いただき直接お受けいただくのが本義ではありますが、時勢を鑑み諸々のご事情によりご参拝が叶わない方の為に、特例としてご祈願と郵送によるお守り授与のお申し込みを承ります。
ご希望の方は社務所まで(083-245-1093)お問い合わせ下さい。

Wikipediaからの引用

概要
忌宮神社(いみのみやじんじゃ)は、山口県下関市にある神社。長府(城下町エリア)のほぼ中心に位置し、仲哀天皇が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされる。
歴史
歴史[編集] 仲哀天皇元年(192年)に熊襲の征討に訪れ、仲哀天皇2年(193年)に行宮豊浦宮を建てられた。三代実録によれば、仲哀天皇4年(195年)に秦の始皇11代の孫功満王(こまおう)が渡来して日本に住みつき、珍しい宝物である蚕(かいこ)の卵を奉献したとされ、豊浦宮(現在の忌宮神社)が蚕種渡来の地とされる。 仲哀天皇8年(199年)に天照大神と住吉三神による託宣を疑ったため筑紫の香椎で亡くなった仲哀天皇を、神功皇后が三韓征伐からの帰途、豊浦宮の跡に祀ったのに始まると伝える。聖武天皇の時代に神功皇后・応神天皇を奉斎して、仲哀天皇を祀る神殿を「豊浦宮」、神功皇后を祀る神殿を「忌宮」、応神...Wikipediaで続きを読む
行事
年中行事[編集] 奉射祭 - 1月15日 蚕種祭 - 3月28日 島祭 - 4月2日 春季大祭 - 5月15日(最寄りの日曜日) 夏越祭 - 7月14日 - 16日 数方庭祭 - 8月7日 - 13日まで毎夜 秋季大祭 - 10月15日(最寄りの日曜日) 三日相撲 - 11月3日 御斎神事 - 12月7日夕 - 15日暁 例祭 - 12月15日
引用元情報忌宮神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%8C%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94050089

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