やまでらひえじんじゃ
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楽しみ方山寺日枝神社のお参りの記録一覧
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山形県山形市山寺に鎮座する山王日枝神社、宝珠山立石寺、山寺に在る神社で景観も素晴らしい山寺とセットで行くと良いです、山寺 2023.5に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、日枝神社の創建は貞観2年(860)に慈覚大師が日枝神社(山形市)山寺立石寺を開山した時に鎮守社として天台宗の比叡山延暦寺の守護神である日吉大社(滋賀県大津市)の分霊が勧請されました。当初から神仏混合し社殿内には釈迦如来像(鎌倉時代作、像高約80cm)、薬師如来像(鎌倉時代作、像高約70cm)、阿弥陀如来像(鎌倉時代作、像高約50cm)三尊が安置され山王権現等と呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され村社に列し大山咋尊が祭神となっています(三尊像は現在宝物館に遷されています)。境内にある「山寺の大イチョウ」は慈覚大師円仁が手植えしたと伝えられる日枝神社の御神木で雄株、根元廻約10m、幹周9.6m、山形市内最大のイチョウとして貴重な事から昭和40年(1965)に山形市指定天然記念物に指定されています。毎年5月17日には例大祭である「山王祭」では社殿に隣接する御神輿殿から3基の御神輿が町内を練り歩き渡御神事が行われます(御神輿殿内部には現在の神輿の他、元応2年:1320年に製作された玉神輿と元和元年:1615年に製作された鳳凰神輿2基が収められています)。又、社殿前面に安置されている亀の甲石に名前の書いた銭を乗せると延命長寿に御利益があると云われています。手水鉢は元禄12年(1699)に宿坊の1つである「預り坊」から奉納されたもので、「預り坊」は10年前に松尾芭蕉と曽良が宿泊で利用した坊でもあり歴史的に貴重なものとされます。
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「山寺は修行だぞ?あの石段は、体力のないお前には無理だ。」
旦那さんの何気ない一言から始まった、山寺参拝でした。持病があり、パッとしない生活を送ってきた私ですが、登りきってしっかり参拝したら何か変わるかも?そんな気持ちからスタート。
元々、寺院巡りは好きな方だったのですが、この山寺参拝がきっかけで、御朱印を頂く事を含め、すっかり寺院巡りに火がつくことになるとは、この時は思ってもいませんでした。
日枝神社を参拝後、授与所にて「御朱印帳と御朱印を頂きたいのですが…」と、やや緊張気味に参拝の証を頂いたのですが、とても有り難みを感じられる御朱印に感激‼️
この後登る石段の「苦しみ」を考える間もなく、感謝に始まり、やる気スイッチ、オン‼️
神聖な空気と、豊かな緑に知らぬ間に煩悩が抜けた?? 自分でもよくわからないのですが、決意の様な、覚悟の様な、そんな感じを自分の中で感じてました。
自宅から、車で4時間半位?いつもなら「疲れたぁ…🌀」と弱音を早速吐いているはずの自分が予想できるのですが、この日は違いました。
そして、山寺初登山へ続きます。
修行スタート‼️ 辛いことが予想されるのに、ワクワクしている私でした。不思議…。

初めての山寺。日枝神社の鳥居です。この鳥居をくぐって石段を登っていきます。

石段を登っていくと、出羽国山寺総鎮守 山寺の守護神、日枝神社が見えてきます。これから初登山になる1015段の石段の前に、気持ちを込めて、参拝しました。

貞観2年(860)、後に天台宗の第三座主となる慈覚大師円仁が宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として近江国坂本の日吉大社より御分霊を勧請し祀ったのが始まり。
神社は当初より山王権現、またの名を大宮大権現と称され、二ノ宮、三ノ宮、客人権現、更には山王二十一社の規模が整えられ、天台宗派の手により山王神道の神仏習合における東北地方の一大根拠地となる。
しかし、大永元年(1521)に山形城主である最上家の家督親族争いの巻き添えに伴い、天童城主「天童頼長」等の一軍により山寺一山はことごとく焼き討ちされ、当社も廃儘と帰したが、天文二年(1534)に一山の守護神として再建。
明治3年、政府の神仏分離令により、立石寺とは切り離し山寺村の守護神として「日枝神社」と社名を改め、村社の社格を有することとなり、ここに1000年に及ぶ立石寺の当社への別当は終止符を打つ。




【出羽國 古社巡り】(過去の参拝記録)
山寺日枝神社(やまでら・ひえ~)は、山形県山形市大字山寺にある神社。旧社格は村社。祭神は、大山咋命、大己貴命、伊邪那岐命・伊邪那美命、国常立命。古来、立石寺の鎮守社。
創建は平安時代前期の860年、慈覚大師が宝珠山立石寺を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って一山の守護神として日吉大社から分霊を勧請し祀ったのが始まり。当初より「山王権現」、「大宮大権現」と称され、天台宗派の僧により山王神道の神仏習合における東北地方の一代根拠地となった。しかし、戦国時代の1521年に山形城主の最上家の家督争いに端を発し、天童城主・天童頼長の一軍により焼き打ちに遭い、立石寺とともに当社も灰燼と帰した。のち1534年に立石寺を再建するにあたり、守護神である当社がまず再建された。明治時代に入り、神仏分離令により立石寺とは切り離され、山寺村の守護神として社名を「日枝神社」と改め、近代社格制度の下、村社に列した。
当社は、JR仙石線・山寺駅の北側300mほどの立谷川北岸にある。川沿いの平地から階段を数十段上がると、立石寺の根本中堂、山門があるが、当社はその中間の位置にある。境内はそこそこの広さで、やや広い村社といったところ。ただ、山寺への参詣者すべてが当社境内を通過することもあって、社殿を含めよく整備されている。
今回は、山寺立石寺の鎮守社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、天気が良かったこともあり、多くの参拝者が訪れていた。
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