やまでらひえじんじゃ
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山寺日枝神社ではいただけません
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山寺日枝神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月02日(金)
参拝:2022年9月吉日
貞観2年(860)、後に天台宗の第三座主となる慈覚大師円仁が宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として近江国坂本の日吉大社より御分霊を勧請し祀ったのが始まり。
神社は当初より山王権現、またの名を大宮大権現と称され、二ノ宮、三ノ宮、客人権現、更には山王二十一社の規模が整えられ、天台宗派の手により山王神道の神仏習合における東北地方の一大根拠地となる。
しかし、大永元年(1521)に山形城主である最上家の家督親族争いの巻き添えに伴い、天童城主「天童頼長」等の一軍により山寺一山はことごとく焼き討ちされ、当社も廃儘と帰したが、天文二年(1534)に一山の守護神として再建。
明治3年、政府の神仏分離令により、立石寺とは切り離し山寺村の守護神として「日枝神社」と社名を改め、村社の社格を有することとなり、ここに1000年に及ぶ立石寺の当社への別当は終止符を打つ。
神社は当初より山王権現、またの名を大宮大権現と称され、二ノ宮、三ノ宮、客人権現、更には山王二十一社の規模が整えられ、天台宗派の手により山王神道の神仏習合における東北地方の一大根拠地となる。
しかし、大永元年(1521)に山形城主である最上家の家督親族争いの巻き添えに伴い、天童城主「天童頼長」等の一軍により山寺一山はことごとく焼き討ちされ、当社も廃儘と帰したが、天文二年(1534)に一山の守護神として再建。
明治3年、政府の神仏分離令により、立石寺とは切り離し山寺村の守護神として「日枝神社」と社名を改め、村社の社格を有することとなり、ここに1000年に及ぶ立石寺の当社への別当は終止符を打つ。
すてき
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竜王1045投稿
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