こんごうほうじ(きみいでら)|救世観音宗|紀三井山
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楽しみ方金剛宝寺(紀三井寺)のお参りの記録一覧
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和歌山県寺社巡り、3寺目は紀三井山 金剛宝寺 護国院(きみいさん こんごうほうじ ごこくいん)を参拝いたしました。 紀三井寺の別称で知られる西国三十三所第2番札所で、宝亀元年(770年)創建と伝わる古刹です。 奈良時代の後期、光仁天皇の御代に唐国(現在の中国)より渡来した僧・為光(いこう)は伝教の為日本各地を行脚し、ある夜この地を訪れた際に名草山山頂から一筋の光が発せられているのを見たと云います。 翌日、山に登ってそこで金色に輝く千手観音を感得した為光は、自ら十一面観世音菩薩の尊像を刻み、胎内仏として金色千手観音像を奉納し、これを祀る堂宇を建立したそうです。 これが紀三井寺の創始と伝えられていて、名草山に三つの霊泉(清浄水・楊柳水・吉祥水)があることから、紀州にある三つの井戸=紀三井山という山号になったとも云われています。 開創後は歴代天皇の行幸があり、第77代天皇・後白河法皇(上皇)が当寺を勅願所と定めた以後は隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶は500人以上に及んで、西国三十三所の巡礼地ないし熊野詣での中継寺院として多くの参詣者で賑わいます。 しかし、嘉吉元年(1441年)に大災(おそらくは南朝残党と紀伊守護畠山氏の衝突による兵火)にあって堂塔を失い、天正13年(1585年)には羽柴秀吉の雑賀衆攻めにより多くの寺領を没収されてしまいます。 江戸時代になると和歌山城からほど近い立地であったこともあり、紀州徳川家歴代の尊崇を受けて、寄進により復興を果たし、現在の本堂は、宝暦9年(1759年)に再建されたものだそうです。 紀州東照宮を参拝しこちらの紀三井寺まで徒歩で移動した為、すでに疲労で足腰はパンパンに張っていて桜門からの寺院専用ケーブルカーにかなり魅了されたのですが、もうひと頑張りと思い231段の石段を登りお参りすることにしました。 石段は女厄除33段、男厄除42段、還暦厄除60段などそれぞれの石段に厄の名前が付けられていて登ることで厄除けの御利益があるようです。 途中幾つかの塔頭、三井水の一つ「清浄水」もあり、立ち寄りながらゆっくりと登っていきました。 石段を登りきると平成19年(2007年)落成の真新しい仏殿があり、堂内には木造立像仏では国内最大級の高さ12mにも及ぶ十一面観音像が祀られていました。 さらに六角堂、鐘楼、大師堂など一通り観て回り、最後に本堂をお参りしました。 本堂のすぐ前には和歌山地方気象台のソメイヨシノの標準木があり、近畿地方に春の到来を告げる開花宣言の基準となる桜木になっているそうです。 たしかに境内は桜の木が多く見られました。 次回は是非、桜の季節にお参りに来たいなと思いました。
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