御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

こんごうほうじ(きみいでら)|救世観音宗紀三井山

金剛宝寺(紀三井寺)のお参りの記録一覧
和歌山県 紀三井寺駅

5 / 9ページ101〜125件214件中
伶
2022年07月06日(水)159投稿

西国三十三所観音霊場第二、紀三井寺に参拝しました
紀三井寺の名は「紀州にある三つの井戸が有るお寺」に由来しているのですね

金剛宝寺(紀三井寺)の山門・神門

寺柱「紀三井山護國院」と赤い大きな楼門
手前の看板には、楼門の先に231段の石段「結縁坂」があることが記されています
ケーブルカーもありますが、石段を登ります!

金剛宝寺(紀三井寺)(和歌山県)

寺柱横のお水場は「ざんげと招福の水場」とあります

他19枚の写真を見る
もっと読む
なむなむ
なむなむ
2022年08月23日(火)166投稿

(過去参拝) 西国三十三所観音霊場巡礼 (1巡目)
第二番札所 紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺)に参拝致しました。

紀三井寺は、今からおよそ1250年前昔、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。
 為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されました。
 そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山中腹に霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。  上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三礼のもとに刻み、一宇を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりとされています。
 その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、「紀州祈祷大道場」として尊崇されました。
 正式には「紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」という当寺の名称を知る人は少なく、全国に「紀三井寺」の名で知られていますが、この紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水がこんこんと湧き出して、年中絶えることがありません。(紀三井寺の三井水は昭和60年3月、環境庁より日本名水百選に選ばれました)
 西国三十三所観音霊場第2番目の札所である当寺は、観音信仰の隆盛に伴い、きびすを接する善男善女は数えるにいとまなく、ご宝前には日夜香煙の絶え間がありません。
 特に、ご本尊・十一面観世音菩薩様は、厄除・開運・良縁成就・安産・子授けにご霊験あらたかとされ、毎月十八日の観音様ご縁日を中心に、日参、月参りの篤信者でにぎわいます。
 春は、早咲き桜の名所として名高く、境内から景勝・和歌の浦をはじめ淡路島・四国も遠望出来る紀三井寺は観光地としても有名で、古来文人墨客にして杖引く人も多く、詩歌に、俳諧に、絵画にと、多くの筆の跡が遺されています。
 平成29年、日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」の構成文化財の一つに当寺が加えられたのも景勝地としての歴史に由来します。令和元何5月には、西国三十三か所巡礼道が「1300年つづく日本の終活の旅」として日本遺産に登録され、当寺は二つの日本遺産の構成文化財となりました。
 紀三井寺は以前、真言宗山階派の寺院でしたが、昭和26年に独立し現在は、山内・県下あわせて十六ヶ寺の末寺を擁する救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)の総本山となっています。
(ホームページより引用)

金剛宝寺(紀三井寺)(和歌山県)

大千手十一面観世音菩薩像
2008年 仏殿安置

金剛宝寺(紀三井寺)の山門・神門

楼門

他23枚の写真を見る
もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ
御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ