御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

せんそうじ|聖観音宗金龍山

浅草寺のお参りの記録一覧
東京都 浅草(つくばEXP)駅

9 / 49ページ201〜225件1,216件中
japan-welder-A-K
japan-welder-…
2026年01月29日(木)545投稿

東京都 台東区 浅草 二丁目 に境内を構える、金龍山 浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、坂東三十三観音霊場にて参拝致しました、日本三大観音の一つ に数えられ 全国有数の観光地でも有ります、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に入っている寺院、対応は参拝者が多く手慣れていて親切丁寧で有り難く思える寺院様でした、どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました、山号は 金龍山、寺号は 浅草寺、宗旨 宗派は 聖観音宗(天台宗系 単立)ご本尊は 聖観世音菩薩、浅草観音 日本三大観音 日本百観音の一つ、坂東三十三観音霊場 第十三番札所、江戸三十三観音霊場 第一番札所、浅草七福神 大黒天、
飛鳥時代の推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが 浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像となる。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも 、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。その後大化元年(645年)、勝海という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像と伝わるが、公開されることのない秘仏のためその実体は明らかでない。平安時代初期の天安元年(857年。天長5年(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(第三代 天台宗座主 慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。
一説に、本尊の聖観音像は、現在の埼玉東京の県境に近い飯能市岩淵にある成木川沿いにある岩井堂に安置されていた観音像が大水で流されたものとする伝承がある。浅草寺創建より100年程前に、岩井堂観音に安置されていた観音像が大雨によって堂ごと成木川に流され、行方不明になったという。成木川は入間川、荒川を経て隅田川に流れており、下流にて尊像発見の報を聞いた郷の人々が返還を求めたが叶わなかったという。昭和25年(1950年)に独立して聖観音宗の本山となった

浅草寺の御朱印

坂東三十三観音霊場 第十三番札所、浅草観音(聖観世音菩薩) 日本三大観音 日本百観音の一つ、

浅草寺の御朱印

浅草 七福神 大黒天

他15枚の写真を見る
もっと読む
ひでどらごん
ひでどらごん
2024年08月09日(金)1141投稿

浅草七福神巡りで訪れましたが、浅草寺だけで著名なご神仏がたくさんおられるので、ここだけでお腹いっぱいになります。
また観光客で溢れているため、いろんな意味で異空間です。

●浅草寺の歴史 – 古都東京の魂

飛鳥時代の仏像発見から、江戸の庶民信仰の中心へ
1400年以上の歴史を持つ浅草寺は、東京の顔とも言える存在です。その起源は、飛鳥時代の隅田川で発見された一体の仏像に遡ります。漁師の兄弟によって持ち帰られたこの仏像は、聖観世音菩薩とされ、人々の心のよりどころとなりました。

●平安時代 – 天台宗の隆盛と発展

平安時代に入ると、天台宗の僧・慈覚大師が浅草寺を訪れ、ご本尊の御前立を刻みました。このことは浅草寺が天台宗の寺院として発展する大きなきっかけとなり、多くの信仰を集めるようになりました。平公雅が七堂伽藍を建立したことで、浅草寺は関東における一大霊場としての地位を確立しました。
鎌倉時代 – 武家政権とのかかわり
鎌倉時代には、源頼朝をはじめとする武家との深い関わりが見られます。頼朝は、浅草寺に戦勝祈願を行い、土地を寄進するなど厚く保護しました。また、浅草寺は坂東三十三観音霊場のひとつに数えられ、巡礼者でにぎわいました。

●室町・戦国時代 – 武将たちの信仰と保護

室町時代には、足利尊氏をはじめとする武将たちが浅草寺を信仰し、寺領を安堵したり、堂塔を再建したりしました。戦国時代には、北条氏綱が浅草寺を祈願所とし、寺はさらに発展しました。
江戸時代 – 庶民の信仰の中心へ
江戸時代になると、徳川家康が浅草寺を祈願所と定め、寺は江戸幕府の庇護のもと大きく発展しました。浅草寺は、江戸の人々にとって信仰の対象であると同時に、庶民の憩いの場でもありました。門前町は賑わい、たくさんの屋台や遊郭が立ち並び、江戸の庶民文化を代表する場所となりました。

●明治以降 – 近代化と新たな役割

明治維新以降、浅草寺は近代化の波に乗りながらも、人々の心のよりどころとしてその役割を果たし続けてきました。第二次世界大戦で被災した後も、多くの人々の力で再建され、現在も多くの人々に親しまれています。

もっと読む

東京都のおすすめ🎌

広告
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ