せんそうじ|聖観音宗|金龍山
浅草寺のお参りの記録一覧(8ページ目)
1時間前に上野にいた時は晴れていたのに、浅草に着いたら大雨で、皆さん雨宿り中
御朱印帳が濡れないかヒヤヒヤしていましたが、待っている間に雨も上がってきました
坂東第13番札所浅草寺にお参りしました。札所は静かなお寺が多い中で、浅草寺はものすごい賑わいでした。参拝される方の、どれくらいが札所だって知っているのかなあ。世界中の言語が飛び交う雑踏の中で心静かにお参りしました(実際はかなり周りに気を取られたけどね)
みんな知ってる雷門
写真で見るとそんなでもない混み方誰も注目していなかった札所のも
誰も注目していなかった札所の柱
五重塔
東京都台東区浅草にある聖観音宗の総本山であり、本尊は聖観音菩薩で浅草観音の名で有名。昭和25年(1950)に独立するまでは天台宗に属した。
縁起によると、628年、檜前浜成・竹成兄弟が、宮戸川(隅田川)で漁をしていると黄金の聖観音像がかかり、土師直中知が自宅を寺として安置したのが始まりという。
大化元年(645)諸国巡遊の勝海が堂宇を建立し、開山となった。夢告により本尊は秘仏とされ、以後、開帳は厳禁されている。
天台宗の円仁は天安元年(857)本尊にかわる御前立本尊(開帳本尊)と板木の観音像を刻したので中興開山といわれる。
たびたび火災を受けたが、源義朝・頼朝、足利尊氏、北条氏康ら時の権力者の尊崇を受け再建された。
江戸時代になると幕府の祈願所となり、寺領500石を受け江戸有数の大寺となり、明治期には境内の大部分は浅草公園となった。
1945年、戦災により二天門と伝法院以外を焼失したが、1958年に再建、続いて1960年に雷門、1964年に宝蔵門、1973年に五重塔も再建された。
浅草七福神巡りの9th 聖観音宗(天台宗系単立)浅草寺様⛩を参拝致しました。
徒歩でしたが、途中道に迷い、約3万歩の七福神巡りでした。
中央の大黒天様の御朱印です
仲見世通りも混んでおりました
平日でしたが、参拝者は多かったです
坂東三十三観音霊場 第13番札所
宗派:聖観音宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:628年(推古天皇36年)
御朱印をいただくために並んでいると、前に並んでいる方に声をかけられました。🤔
「(お寺を)まわってんの?」坂東三十三観音霊場専用の朱色の御朱印帳が目に入ったのでしょう。🤭「はい。坂東の三十三の観音さんをお参りしているところなんです。」と答えると、多分坂東という普段馴染みのない地名だったのでしょう。首を少し傾げ、「ふう〜ん」🤔。でも、これも何かのご縁。
「お寺まわっているのですか?」と尋ねると、ニコニコしながら答えてくれました。気になったお寺や神社に行くと御朱印帳を買い、その年は、その帳面を使うのだとか。5年くらい前から始めたとのこと。😌
そうこうしている間に番号を呼ばれ、御朱印帳を受け取りに。「では!!」その方は、大事そうに御朱印帳を小脇に抱え、去って行きました。
一期一会。人でごった返している境内。ちょっとおしゃべりすると、元気出ます!🤗
人でいっぱい
山形県で作っているわらじ
東京都台東区浅草にある聖観音宗の総本山であり、本尊は聖観音菩薩で浅草観音の名で有名。昭和25年(1950)に独立するまでは天台宗に属した。
縁起によると、628年、檜前浜成・竹成兄弟が、宮戸川(隅田川)で漁をしていると黄金の聖観音像がかかり、土師直中知が自宅を寺として安置したのが始まりという。
大化元年(645)諸国巡遊の勝海が堂宇を建立し、開山となった。夢告により本尊は秘仏とされ、以後、開帳は厳禁されている。
天台宗の円仁は天安元年(857)本尊にかわる御前立本尊(開帳本尊)と板木の観音像を刻したので中興開山といわれる。
たびたび火災を受けたが、源義朝・頼朝、足利尊氏、北条氏康ら時の権力者の尊崇を受け再建された。
江戸時代になると幕府の祈願所となり、寺領500石を受け江戸有数の大寺となり、明治期には境内の大部分は浅草公園となった。
1945年、戦災により二天門と伝法院以外を焼失したが、1958年に再建、続いて1960年に雷門、1964年に宝蔵門、1973年に五重塔も再建された。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
7
0