むれざんかんのんぜんじ|臨済宗妙心寺派|牟禮山
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牟禮山観音禅寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 十一面観自在大菩薩。聖徳太子が28歳のときに一刀三礼して彫ったと伝えられる。60年に一度の大開張、30年に一度半開帳される秘仏。令和5年に聖徳太子1400年遠諱大法会で特別大開帳を予定。厄除け・交通安全・火難水難除・闘諍除(争いごとを除き人間関係を改善する)などのご利益がある。 そのほか、本堂には「身代わり観音」「十二支守護仏」(大日如来・阿弥陀如来・文珠菩薩・普賢菩薩・千手観音菩薩・虚空蔵菩薩・勢至菩薩・不動明王)、「愛染明王」、「大日如来」、「不動明王」、「弘法大師」、「地蔵菩薩」、などが所せましと祀られています。 境内社には「正一位白鬚稲荷大明神」、「弁才天」、「大歓喜聖天」、「毘沙門天」、役行者神変大菩薩を祀る。 | |
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創建時代 | 853年(仁寿3年) | |
開山・開基 | 聖徳太子/金蕭菩薩・良弁僧正 | |
ご由緒 | 本尊は聖徳太子が28歳のときに一刀三礼して彫ったと伝わる十一面観音さま。30年に一度だけ御開帳される秘仏。もとは金蕭菩薩が開き、東大寺を開いた良弁僧正によって伽藍が建立された法満寺という奈良の興福寺に属す大伽藍の守り仏として祀られていた。後に比叡山延暦寺下となったが、戦国時代に織田信長の兵火によって全山焼失。しかし、焼け野原にこの観音像だけが世を憂う慈悲深い姿で厳然として佇んでいたという。観音像の袖には今も焦げ址が残っており、戦火の中で焼け残ったことから「火伏の観音」としても知られ、争い除けにもご利益がある。地域の人々によって守られ、江戸時代に列岑禅師によって堂宇が再建され、西鮮禅東禅師のころから臨済宗妙心寺派に属すこととなった。 |
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