さいきょうじ|天台真盛宗
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御朱印(3種類)
西教寺では、「不断念佛」、「慈攝大師」、「御詠歌」の3種類の御朱印をいただけます。
また、行事に合わせた御朱印が頒布されています。
不断念佛の御朱印

真ん中に不断念佛と書かれ、右上に聖徳太子草創之道場戒光山の印、真ん中に佛法僧寶の三宝印、左に総本山西教寺の文字、左下に総本山西教寺の印が押されています。
西教寺は、聖徳太子が恩師である百済の僧・慧聡(えそう)のために創建し、1486年には比叡山にて天台の学問を究めた真盛上人(しんせいしょうにん)により不断念仏の道場として再興されました。
不断念佛とは、特定期間、毎日昼夜断えず念仏を唱え続ける修行のことで、西教寺は真盛上人の入寺以来、念仏が一日も絶えないお寺として現在に至ります。
西教寺について
明智光秀ゆかりの寺
織田信長の比叡山焼き討ちの後、坂本城の城主となった明智光秀。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。明智光秀はこの地で一族の墓とともに供養されています。
歴史の重みを感じる重要文化財
桃山時代に建てられた客殿は、もとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、大谷刑部吉隆の母・山中長俊守内室が寄進したもの。総欅入母屋造の本堂は江戸時代に上棟落成し、用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。ご本尊は平安時代の丈六の阿弥陀如来、客殿の賢人の間の内仏は京都法勝寺伝来の秘仏薬師如来座像で、いずれも重要文化財となっています。
滋賀県のおすすめ2選❄️
おすすめの投稿

滋賀県大津市坂本にあります、
西教寺に参拝しました。
天台真盛宗の総本山の寺院、山号は【戒光山】
御本尊は【阿弥陀如来】
聖徳太子霊跡【第31番】 びわ湖百八霊場【第11番】
真盛上人二十五霊場【第1番】 神仏霊場巡拝の道
【第148番(滋賀第16番)】札所。
開基は聖徳太子とする伝承があるが判然とせず、
室町時代に中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である
真盛が入寺してから栄えた寺院。
戦国武将の明智光秀の菩提寺としても有名である。
滋賀県大津市坂本の寺社仏閣巡りの際に訪れ参拝しました。たくさんの参拝客が訪れており賑わっていました。この時期は境内にたくさんの風鈴🎐が設置されており良い音色がしておりました。




















明智光秀と妻照子と一族の墓














明智光秀公と照子夫人のご位牌奉安所










数量限定御朱印



滋賀県大津市にあるお寺です。
参拝者駐車場が広くて 山門すぐ横にありますので 参拝しやすいです。
境内がとても広く 山門をくぐって左右に境内塔頭が複数あります。
お参りして帰られる方が 「大河ドラマのおかげちゃう?」 と言っていました。
大河ドラマで明智光秀が取り上げられたことで こちら明智光秀公とその一族の菩提寺が脚光を浴び 参拝者が増えた という意味なのかなぁ?と思いました。
私がお参りした感覚ですが 大河ドラマ関係ないですね。
そもそも立派な寺院です。参拝者は増えたかもしれませんが。
勅使門の前を通り 本堂に続く石段を上がろうとしましたら 夏らしく風鈴がたくさん飾られていました。
山に建てられていることもあり いい風が吹き 素敵な音色を奏でていました。
こちらにはアップできませんが しっかり動画で撮りました。
本堂手前には手水舎があるのですが 写真を見ていただくと分かると思うのですが 煙がもくもくと出ているのです。
こちら高周波の電流を流して 加湿器のように水を水煙に変えていたのです。
素敵な演出です。初めて見ました。
まずは明智光秀公とその一族の墓前で手を合わせました。
謀反を起こしたということで悪いイメージがありますが きっと明らかになっていない史実があるはずです。
続いて 本坊から上がって本堂にお参りします。
こちらにも風鈴の飾りつけがされていて 一つだけ金色の風鈴がありますので探してください とのことでした。(見つけた人は御朱印に特別の印を付け加えてくださいます はい見つけました)
廊下には 阿弥陀如来二十五菩薩石像がありました。
それぞれに表情豊かで じっくり見てしまいました。
最後に 宗祖大師殿と御廟と観音堂をお参りしました。
じっくり見て回ると 1時間以上かかりました。
ネット情報です。
山号は戒光山(かいこうさん) 宗旨宗派は天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう) 寺格は総本山 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は伝・飛鳥時代 開基は伝・聖徳太子 中興年は文明18年(1486年) 中興は真盛です。
思いっきり古刹でした。
西教寺は室町時代の文明18年(1486年) 中興の祖とされる僧・真盛が入寺して以降 天台念仏と戒律の道場として栄えるようになったが それ以前の歴史は必ずしも明らかでない。
草創については 『西教寺縁起』や近世の地誌類には推古天皇26年(618年) 聖徳太子が師である高麗の僧慧慈 慧聡のために建立したとする説もあるが これは伝説の域を出ないものである。
真盛の弟子にあたる真生が明応4年(1495年)に著した『真盛上人往生伝記』によれば 西教寺は比叡山中興の祖である良源(慈恵大師 元三大師)が建てた草庵に始まり その弟子で『往生要集』の著者として知られる源信(恵心僧都)が伽藍を整えたという。
良源と源信はいずれも平安時代中期 10世紀に活動した人物である。
西教寺と良源および源信との結び付きについても確証はなく その後鎌倉時代末頃までの歴史も判然としないが 比叡山と関係の深い一寺院として平安時代中期頃に草創されたものと推定される。
元亀2年(1571年) 織田信長による比叡山焼き討ちの際に西教寺も焼失した。
比叡山焼き討ちの後 近江国滋賀郡は明智光秀に与えられ 光秀はこの地に坂本城を築いた。
光秀は坂本城と地理的にも近かった西教寺との関係が深く 寺の復興にも光秀の援助があったと推定されている。
光秀が戦死した部下の供養のため 西教寺に供養米を寄進した際の寄進状が寺に現存している。

境内案内図

由緒書

立派な山門

明智光秀公と一族の菩提寺 とあります

沢庵禅師の碑

山門は大きいです

護猿(まもりざる)の由来

風車がお出迎え

微笑み地蔵尊 かわいらしいねぇ

勅使門

寺号の石柱

由緒書

本堂に続く石段には風鈴が飾られていました

かなりの数です いい音でした

手水からもくもくと煙?

高周波の電流を流して 水煙を出していました

明智光秀公と一族の墓 妻煕子の墓

明智一族と西教寺の繋がりについて

妻煕子の供養塔

一族の墓について

明智光秀一族の墓

そろばんを持ったお地蔵様

鐘楼

鐘楼の説明

本坊

大本坊について


本堂に続く渡り廊下

奥は客殿

由緒書

本堂内陣



おみくじ おみくじの元祖と書かれていました

大吉でした!

欄間の彫刻が見事


客殿

客殿の庭園

説明

見事です

書院庭園 見事です

説明

欣浄廊 本堂と本坊の間の廊下です

阿弥陀如来二十五菩薩石像が置かれています

表情が豊かです

楽器などをお持ちです

唐門

説明


宗祖大師殿


東門

ご詠歌

水屋

放生池

石段の上に 宗祖真盛上人御廟

説明

御廟


扁額

染殿(五輪塔) この大きさでも塔?

説明

観音堂

観音様は新しい
授与品
授与品をもっと見る|| 名称 | 西教寺 |
|---|---|
| 読み方 | さいきょうじ |
| 参拝料 | 500 |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 077-578-0013 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://saikyoji.org/smarts/index/1/ |
巡礼の詳細情報
| 聖徳太子霊跡 第31番 | 仏さま:阿弥陀如来 |
|---|---|
| 神仏霊場巡拝の道 | |
| 数珠巡礼 第69番 | |
| びわ湖百八霊場 第11番 | 仏さま:阿弥陀如来 |
| 近江湖西二十七名刹霊場 第11番 | 仏さま:阿弥陀如来 |
| 真盛上人二十五霊場 |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 天台真盛宗 |
| 開山・開基 | 慧慈 |
| 文化財 | 本堂、客殿、(重要文化財) |
| 体験 | 仏像御朱印お守り重要文化財アニメなどサブカル武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
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