いしやまでら|東寺真言宗|石光山
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楽しみ方石山寺のお参りの記録一覧(7ページ目)

石山寺は、滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺院。山号は石光山。本尊は如意輪観世音菩薩。西国三十三所観音霊場13番札所。本堂と多宝塔が国宝。東大門、鐘楼、御影堂、蓮如堂、三十八所権現社本殿、経蔵、宝篋印塔が国指定の重要文化財。
寺伝によると、聖武天皇の発願により奈良時代の747年、東大寺を開山した良弁が聖徳太子の持念仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まり。正倉院文書によると、その後当寺の伽藍の整備は国家的事業として推進されたとしている。平安時代になると、聖宝、観賢、淳祐(菅原道真の孫)などの高僧が座主(ざす;住職と同義)となった。この頃、<石山詣>が宮廷の官女の間で盛んとなり、『蜻蛉日記』や『更級日記』などにも描写され、紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされている。『枕草子』にも「釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。」と記載されている。
現在の伽藍のうち、本堂阿1096年の再建、東大門、多宝塔は鎌倉時代初期に源頼朝の寄進による建立とされ、この頃、現在の寺観が整ったとされる。
当寺は琵琶湖の南端近くにあり、京阪石山坂本線の終点・石山寺駅から瀬田川西岸を1km弱南下した位置にある。入口の東大門は小山の麓にあり、小山全体が境内となっている。当寺は創建以降、兵火にあったことがないそうで、その分伽藍も古さ、由緒のようなものを感じる。
参拝時は週末の午前中で、多くの家族連れなどが参拝に訪れていた。

境内入口の<東大門>。1190年造営、慶長年間(1596年~1615年)に大規模改修。三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。

東大門の天井。<石山寺>の扁額は小さく控え目。

左側の<吽形仁王像>。力強い。

右側の<阿形仁王像>。色の褪せ具合が美しい。

東大門をくぐったところ。しばらく参道がまっすぐ続く。桜がちらほら。

途中、参道右側に<寶印大黒天>の門。

<寶印大黒天>は950年ほど前(平安時代後期)に安置されたとのこと。

さらに進むと参拝受付(志納所)があり、それを越えると右手に<くぐり岩>が現れる。周辺の岩はすべて大理石で、池は奈良・天平時代からあるんだとか。

その先に<比良明神影向石(ひらみょうじん。ようごうせき)>。聖武天皇から東大寺大仏建立の黄金調達を命じられ、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受け、当地を訪れると、岩の上に座した比良明神から、当地が観音の霊地であることを告げられたとのこと。

参道右側に<水屋>。

水屋の先にある地蔵堂。かすれた墨文字には<那*与市 地**>とある。那須与一のことか?

堂宇のあるエリアへの階段。

階段の途中左手にあるお堂。

階段を登り切ったところ。正面に天然記念物の<珪灰石(けいかいせき)>と、その上に<多宝塔>、左側には<蓮如堂>と<本堂>、右側には<観音堂>、<毘沙門堂>、<御影堂>がある。

石山寺を代表するカット。黒々とした<珪灰石>の上に、国宝の<多宝塔>が載っているように見える。

階段上がってすぐ右側の<観音堂>。西国三十三観音霊場の全ての観音を安置している。

観音堂の左隣にある<毘沙門堂>。江戸中期1773年の建立で、正面三間、側面二間、一重、宝形造、桟瓦葺。堂内に兜跋(とばつ)毘沙門天と吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)の三体を祀る。毘沙門天像は平安時代後期の作で、国指定の重要文化財。

毘沙門堂の参道を挟んで左隣にある<御影堂(みえいどう)>。室町時代の建立で、正面三間、側面三間、宝形造、檜皮葺。弘法大師、良弁、淳祐の御影を安置。国指定の重要文化財。

<珪灰石>は、石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもの。 通常は大理石となるが、石山寺のように雄大な珪灰石となるのは珍しいのだという。この石が<石山寺>の名称の由来。

階段上がって左側にある<蓮如堂(れんにょどう)>。懸造、桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、妻入、桟瓦葺。慶長年間の境内復興の際に淀殿が三十八所権現社本殿の拝殿として造営された。国指定の重要文化財。

蓮如堂の右側を抜けると階段があり、その上に<本堂>がある。本堂の建立は不詳、奈良時代の761年ごろ拡張したことが正倉院文書に記されている。1078年に焼失し、1096年に再建されたのが現在の本堂。1602年に淀殿が改修。

本堂入口。真っ赤な<大提灯>が見える。堂内は撮影禁止。御朱印はこちら。
本堂の造りは、桁行七間、梁間四間、寄棟造の<本堂>と、桁行九間、梁間四間、寄棟造で懸造(舞台造)の<礼堂(らいどう)>と、その両棟を結ぶ<相の間>で構成される総檜皮葺の建物になっている。

階段上がってすぐのところにある<紫式部の間>。紫式部が参籠し「源氏物語」を執筆した間。

本堂への階段上がって、右手上方にある<三十八所権現社本殿>。1602年建立。一間社、流造、檜皮葺。国指定の重要文化財。

三十八所権現社本殿から見た<本堂>。どの角度からも全体を見ることはできない。

三十八所権現社本殿の上方にある<経蔵>。桃山時代の建立と推定される。桁行三間、梁間二間、高床校倉、一重、切妻造、桟瓦葺。かつては国宝の淳祐内供筆聖教等を収蔵した。国指定の重要文化財。

経蔵と向かい合うように建つ<鐘楼>。源頼朝の寄進と伝わるが、様式などから鎌倉後期のものと考えられている。梵鐘には銘がないが平安時代の物と考えられている。国指定の重要文化財。

経蔵と鐘楼の間にある階段を登ると、国宝の<多宝塔>。

多宝塔は、下層が方形、上層が円形の平面に宝形造の屋根を載せた二重塔。1194年、源頼朝の建立と伝わる。
内部の四天柱の柱絵と須弥壇上の快慶作の大日如来像はいずれも国指定の重要文化財となっている。

多宝塔の右手離れた場所にある<若宮>。2002年の建立。祭神に天照皇大神を拝し、大友皇子(弘文天皇)を崇る。三十八所権現社が親神。

若宮から左に進んだ、見晴しの良い場所に建つ<月見亭>。保元年間(1156年~1159年)、後白河天皇の行幸以降、多くの天皇・皇后が訪れ、明治天皇、大正天皇、昭和天皇も行幸されたという。右側の建物は<芭蕉庵>。

月見堂の後方高台に建つ<心経堂>。1990年建立。

心経堂近くからの景色。桜が良い咲き具合~♪

このあと、本堂裏手境内を散策する。名前は分からないが、紫色が美しい樹木。満開の桜にも負けていない。

境内最奥部にある<光堂>。

光堂からの景色。眼下には梅園や牡丹園がある。

光堂の手前にある<紫式部像>。

山を下ってきたところにある庭園(無憂園)。

本堂と谷を隔てた<雅の台>という場所から見た舞台造りの<本堂>。

最初の階段近くまで戻って来て、島崎藤村ゆかりの<密蔵院>。

西国観音霊場第13番札所。
今回の京都滋賀お参り弾丸ツアーの最終目的地です。
実はこの石山寺さんは大好きなお寺で、過去に3度お参りしています。
最後にお参りしたのは15年前。
あの頃は若かったし、胸に哀しみを抱えていたので、久しぶりの訪問にどんな気持ちになるかなと思っていました。
おりしも激しい雨が降りしきる中、歳を重ねた今、心穏やかに手を合わせることができたのが嬉しかったです。

重文の東大門。
瀬田川に向かって立っています。

鎌倉時代の建立。
仁王様は運慶・湛慶の作。

力強い!

すごい迫力です。
かっこええわぁ🥰

東大門を後ろから。
門の外にしじみ飯のお店が並んでます。

長く清潔な参道。
昔、紅葉の頃に来たときは燃えるような赤に染まっていました。

東大門をくぐってすぐの拾翠園。

その奥の御池にある龍神様。
金龍龍王社といいます。
大日如来の化身で、石山寺の守護神。

大黒天様にお参りしていきましょう。

僧侶の夢にあらわれて湖水より出現した大黒天様。

参道の奥まったところにある御手水舎。

本堂への石段です。

御神木の千年杉。

石段を上がり切ると観音堂に毘沙門堂が並んでいます。

毘沙門堂。
おっと、雨が激しくなってきました。

雨に濡れた境内。

蓮如堂。
重要文化財。

蓮如堂から御本堂へ。
桜が美しい。

御本堂入口です。
国宝!

人の気配がしたので目を凝らすと、紫式部が。

ご本尊は如意輪観音様。
御朱印はこちらでいただきます。

三十八所権現社。
石山寺の鎮守様。重文です。

御影堂。

雨に煙る多宝塔。
あっ、あれは…

天然記念物の珪灰石。
石山寺の名前の由来になりました。

多宝塔の方に行ってみよう。

紫式部供養塔と芭蕉の句碑。

目隠しして抱きつくと願いが叶うんですって。

鐘楼。
こちらも重文。

多宝塔。
日本が誇る国宝です。
なんて優美なかたち…

多宝塔の裏から

心経堂。
花山法王西国三十三ヶ所復興一千年記念として、平成2年に建てられたそうです。

ミツバツツジが咲いてました。
石山寺は自然公園みたい。

今回いただいた御朱印。

平成14年7月にいただいた御朱印。

同12月にいただいた御朱印り

平成18年にいただいた御朱印。

初めて参拝しました。ごつごつした岩山の斜面に建てた感じですが境内は広いです。古の人々が巨岩に何を想ったのか、紫式部は何を感じたのか想いを馳せるのもいいと思います。斜面ばかりなので、来るなら靴を選んだほうが良いです。

東大門と茶店です。にぎわい始めている感じ。良かった。

くぐり岩。くぐると願いが叶うそう。かなり狭くて一生懸命くぐっているうちに願うの忘れた。

毘沙門堂と観音堂です。

本堂の舞台。岩山の斜面に作られているので、舞台造になってます。紫式部がそうしたように、琵琶湖を見おろせるそうです。

石山寺の名の由来となった巨岩。昔の人はおそれを抱いたのでしょうね。上部に多宝塔。

こちらが多宝塔。最古だとか。

八大龍王社です。龍が潜むらしいです。

龍王社に続く道。凛としてます。こういう感じは大好物です。

梅園での梅、まだまだこれからだと思います。

御朱印拝受しました。堂々としてます。

西国観音巡礼13番・神仏霊場会滋賀14番
御縁起
奈良時代東大寺を建立した聖武天皇は、大仏の鍍金に必要な黄金を求めていたが見つからず岡寺を開いた義淵の弟子である良弁に祈願を命じた。
良弁は蔵王権現からのお告げを受け近江の地に至り、比良明神の化身にあう。
比良明神の導きにより山中の霊石に、天皇の念持仏を安置して祈ると、そのかいあって陸奥から黄金が献上された。
祈願が成就したので仏像を移そうとすると、像が岩から離れない。
そこで仏像を祀る堂を建て(744年)勅願寺となる。
武士の時代になると、源頼朝・足利尊氏などの武家棟梁の庇護を受け、豊臣秀吉の側室も礼堂を寄進しています。
石山寺境内には、毘沙門堂・大黒堂・蓮如堂・御影堂など様々な堂宇が立ち並び、多方面な信仰の寺となっています。

東大門
門前には「しじみ飯」の看板。琵琶湖水系の固有種である「セタシジミ」はこの辺りの特産品。
駐車場のかたわらに「石山貝塚」の碑・
ご参拝のおりにはぜひご賞味を。

比良明神影向石
良弁僧正が夢告を受けこの石山の地を訪れた時、岩の上の老人がお告げの場所はこの地である事を告げた。
この老人が近江の地主である比良明神で、座っている石が「比良明神影向石」として大切に守られています。

天然記念物の硅灰石(ケイカイセキ)と多宝塔
石山寺の「石山」の起こりとなるものです。

毘沙門堂
兜跋毘沙門天立像を祀ります。

手前の蓮如堂と国宝の本堂
硅灰石の大きな岩盤上の平地に建つ正堂と、傾斜地に懸造りで建つ礼堂の二つの建築を相の間でつないでいる。
滋賀県最古の建築物で、正堂は1078年焼失ののち1096年再建。礼堂は1602年竣工。

源氏の間
本堂の東側にある小部屋に、紫式部が「源氏物語」を書き起こした所といわれ「源氏の間」と呼ばれています。
紫式部は石山寺に7日間参籠し8月15夜「今宵は十五夜なりけりと思し出でて……」と書き始める「源氏物語」、清少納言は「枕草子」に、蜻蛉日記や更級日記などの、平安女流文学作品に石山寺が登場します。
女性の参拝が多いお寺さんです。

月見亭
近江八景に選ばれている「石山の秋月」。
旧暦の八月の十五夜(中秋の名月)には多くの参拝客が集まり、月見を観賞しますが今年はどうでしょうかね。

鐘楼(重文)
源頼朝の寄進と伝えられますが、様式や木材の風触より鎌倉時代後期の建造が正しいようです。

硅灰石群より蓮如堂を眺めます。

御影堂
弘法大師、良弁、淳祐の御影を安置しています。

紫式部ゆかりのお寺。石山と言うだけあって、ゴツゴツの岩山が境内にありました。
紫式部関連のグッズも多く用意されてました。

正面

石山より多宝塔を望む

本堂へ続く階段

本堂

石山の庭園を望む

多宝塔


西国33所巡礼で参拝。13番札所。

本堂(国宝)

本堂(国宝)


多宝塔(国宝)


経蔵(重文)

鐘楼(重文)

三十八所権現社本殿(重文)


東京に戻る新幹線の時間を20時半過ぎにして、最後はちょっと足を延ばして石山寺へ。
石山寺は滋賀県大津市にある、源氏物語 紫式部ゆかりの花の寺。
土地勘がないので、京都から滋賀というと、かなり移動するような感じがしていたのだが、京都駅から石山駅までは
東海道本線の新快速で13分。そこからバスに乗り約10分で到着。意外と近いです。(笑)
大本山 石山寺 紅葉ライトラップ「あたら夜もみじ」を観に行きました。

手書きの御朱印が頂けます。





さかさもみじ
閼伽井屋の池に映るもみじ。
上から見ると、深淵の底に引き込まれそうで、足がすくんでしまったものの、
とても美しかった。




駐車場600円。参拝600円。紫式部ゆかりのお寺






手水舎の周りが池になっている。はじめて見ました。

手水舎。現在コロナ対策のため使えません




源頼朝と亀谷禅尼の供養塔がある「石山寺」
瀬田川沿いを走るR422沿い。
有料駐車場はあるが、この日は特別拝観もあったのでなかなか停めれず、国道も渋滞。
東大門をくぐり、まっすぐ進むと志納所で受付。
入ってすぐ右の階段を登れば、正面に天然記念物の「娃灰色」、毘沙門堂や蓮如堂が囲い、奥に本堂。以下略。
まあまあ広い境内で、全部回ればそれなりの時間がかかる。
御本尊の如意輪観世音菩薩ご開帳で、コロナで閉鎖していたのに公開期間が少なかったので頑張って行ったのに、後日ご開帳期間が伸びてた。。。
御朱印は2時間待ち、ご開帳も長蛇の列と大人気でした。それに見合うご本尊が凄い良い。
亀谷禅尼は頼朝の子の乳母。石山寺で尼になっている。
頼朝が石山寺再興に助力したとかで、東大門も多宝塔も鐘楼も頼朝寄進です。

東大門

大黒さん

頼朝と亀谷禅尼の供養塔

本堂(ここの本堂は奥張ってるから全体を見にくいよね)

天然記念物

カエル
滋賀県のおすすめ2選❄️
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