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いしやまでら|東寺真言宗石光山

石山寺
滋賀県 石山寺駅

参拝時間8:00〜16:30(最終入山16:00)
本堂拝観9:00〜16:00
拾翠園10:00〜15:30

御朱印・御朱印帳

御朱印 (2種類)

石山寺の御朱印は2種類あります。

  • 大伽藍の御朱印
  • 御詠歌の御朱印

大伽藍の御朱印

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御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

有料駐車場あり(600円)(140台駐車可)

巡礼

春の京阪・御朱印めぐり2021神仏霊場巡拝の道西国三十三所霊場近江西国三十三箇所
近江西国三十三観音霊場第3番
江州三十三観音第1番
びわ湖百八霊場第1番

ご利益

石山寺について

紫式部ゆかりの寺


西国三十三カ所第十三番 札所


びわ湖108霊場

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なむなむ
2023年05月25日(木)
146投稿

東寺真言宗 石光山 大本山石山寺に参拝しました。(過去2回参拝していますが未投稿😅)

ご本尊は日本で唯一の勅封秘仏 二臂如意輪観世音菩薩で、安産・福徳・縁結び・厄除けにご利益のある観音さまとして、広く信仰されてきました。
観音さまが33の姿で人々を救済することにちなみ、33年ごとに御開扉が行われます。
平安時代には京都の清水寺や奈良の長谷寺と並んで三観音とされ、多くの方々の信仰を集めました。
石山寺は天平19年(747)、聖武天皇の勅願により、奈良 東大寺の別当 良弁僧正が創建しました。平安時代には真言宗寺院となり、数多くの貴族や女流文学者が参拝する「石山詣」が盛んになりました。
西国三十三所 第十三番
近江西国三十三所 第三番
びわ湖百八霊場 第一番
神仏霊場巡拝の道 第一四六番(滋賀第十四番)

この日、門前にて「青鬼まつり」が行われると知り、参拝しました。
青鬼まつりは、降魔招福の誓いを立てられた石山寺屈指の学僧 朗澄律師(ろうちょうりっし、1132〜1209)の遺徳をしのぶお祭りで、毎年5月第3日曜日に開催されています。
学問の寺・石山寺には、石山寺一切経(重要文化財、約4,600帖)や石山寺校倉聖教(重要文化財、約2,000点)をはじめとする、膨大な経典・聖教(僧侶の修行用のテキスト)群が伝えられています。朗澄律師は、これらのお経や聖教の収集・整備・保存に尽力された方の一人であり、自分の死後、鬼の姿となってこの聖教類を守護して降魔招福を誓われました。
『石山寺縁起絵巻』第六巻には、鬼の姿となった朗澄律師が描かれています。
東大門に向かって、杉の葉で作られた高さ5メートルの青鬼の像が建てられ、参拝者を出迎えます。
また、昨年は中止となった「青鬼太鼓」「青鬼踊り」の奉納も行われました。
当日は暑いくらいの大変良い天気☀️となり、門前には、まつり開始前の朝早くから、たくさんの参拝者でした。
また、参拝者の方々に、降魔招福と書かれた団扇の授与(限定数のため引換券配布、出来るだけ多くの方に行き渡るように基本1家族に1枚)もあり、皆さんそのご利益に授かろうと、賑わっておりました。

過去2回参拝していますが、未投稿😅
先にこちらを投稿しました😊

石山寺(滋賀県)

参拝者を迎える、東大門に向かって杉の葉で作られた高さ5メートルの青鬼の像
凄い迫力があります。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

お練り

石山寺(滋賀県)

青鬼さん登場‼️

石山寺(滋賀県)

夏日となり、青鬼さんはさぞかし暑い🥵ことでしょう。熱中症にならないか心配。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

青鬼太鼓の披露。
素晴らしかったです。

石山寺(滋賀県)

青鬼踊り
恐ろしくなくて、優しい鬼さんでした。

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

踊りのお役の方々

石山寺(滋賀県)

1家族1枚授与して頂いた、降魔招福うちわの引換券

石山寺(滋賀県)

お祭り終了後、入山入口手前にて拝受される、降魔招福うちわの引換券を手に並ぶ参拝者の人波💦

石山寺(滋賀県)

1家族に1枚拝受して頂いた、降魔招福うちわ。感謝🙏🏻🥰

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

青もみじ

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺の建物その他
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺の像

紫式部像
大河ドラマで、また注目されますね🥰

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)

門の内側にいる🐸さんがお見送り

石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺の仏像
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺(滋賀県)
石山寺の建物その他
石山寺(滋賀県)

今一度東大門を振り返って🙏🏻

石山寺(滋賀県)

おまけ
あまりの暑さ💦で、門前のカフェにて今年初のかき氷🍧
美味しかった😋

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歴史

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

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石山寺の基本情報

住所滋賀県大津市石山寺1-1-1
行き方

京阪電気鉄道石山坂本線「石山寺」駅より徒歩10分
JR西日本琵琶湖線「石山」駅より京阪バス「石山寺山門前」下車
信楽高原バス「京阪石山寺」より徒歩10分

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名称石山寺
読み方いしやまでら
参拝時間

参拝時間8:00〜16:30(最終入山16:00)
本堂拝観9:00〜16:00
拾翠園10:00〜15:30

参拝料

入山料:大人600円、小学生250円、本堂内陣:大人500円、小学生250円、拾翠園500円

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号077-537-0013
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.ishiyamadera.or.jp/
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご本尊如意輪観音
山号石光山
宗旨・宗派東寺真言宗
創建時代天平十九年(747年)
開山・開基良弁僧正
札所など

近江西国三十三観音霊場第3番
江州三十三観音第1番
びわ湖百八霊場第1番

文化財

本堂、多宝塔(国宝)
東大門、御影堂、蓮如堂、三十八所権現社、経蔵、鐘楼、亀谷禅尼供養塔、如意輪観世音菩薩、本尊胎内仏、金剛蔵王立像心木、如意輪観音跏像、石山寺縁起絵巻全七巻、源氏物語巻末摘花(国指定重要文化財)
毘沙門堂(県指定有形文化財)
紫式部供養塔(重要美術品)
硅灰石(天然記念物)

ご由緒

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

体験食事・カフェ御朱印国宝重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り
Youtube

Wikipediaからの引用

概要
石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗の大本山の寺院。山号は石光山。本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。開山は良弁。西国三十三所第13番札所。 鷲尾光遍が1910年(明治43年)石山寺座主となって以来、座主は旧華族鷲尾家が世襲している。 2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。
歴史
歴史[編集] 『石山寺縁起絵巻』によれば[1]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるもの...Wikipediaで続きを読む
引用元情報石山寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9F%B3%E5%B1%B1%E5%AF%BA&oldid=98609544

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