御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ネコ大バナー※石山寺ではいただけません

いしやまでら|東寺真言宗石光山

石山寺

滋賀県 石山寺駅

参拝時間8:00〜16:30(最終入山16:00)
本堂拝観9:00〜16:00
拾翠園10:00〜15:30

投稿する
077-537-0013

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印 (2種類)

石山寺の御朱印は2種類あります。

  • 大伽藍の御朱印
  • 御詠歌の御朱印

大伽藍の御朱印

300円

右から「西国十三番」梵字の下に「石山寺」の文字が入った印、「石山寺之印」が押され、それぞれ「奉拝」、「大伽藍」、「石山寺」の墨書きが重ねられています。
左上の印は西国三十三所巡礼1300年記念印で、石山寺では紫式部が描かれています。
紫式部は石山寺で源氏物語を書き始めたという逸話があります。
※2021年3月31日まで押していただけます

御詠歌の御朱印

300円

右から「西国十三番」の印、梵字の下に「石山寺」の文字が入った印、「石山寺之印」が押されています。
3つの印に重ねて
「後の世を 願うこころは かろくとも ほとけのちかい おもき石山」
と御詠歌が墨書きされています。
※死んだ後に極楽へ行くことを願う私の願いなど、到底及びもしないほど多くの生きている者たちのあらゆる願いを聞き入れようとする観音さまの誓いは、石山のように重くゆるぎない

御朱印帳 (1種類)

石山寺でいただける御朱印帳は1種類です。

紫式部の御朱印帳

1000円

江戸時代の絵師、土佐光起が描いた「紫式部図」を表紙にした御朱印帳です。

授与場所

御朱印・御朱印帳はともに本堂の中にある納経所でいただけます。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

御朱印をもっと見る|
153
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

有料駐車場あり(600円)(140台駐車可)

巡礼

春の京阪・御朱印めぐり2021神仏霊場巡拝の道西国三十三所霊場
西国三十三箇所第13番札所
びわ湖百八霊場第1番札所

ご利益

石山寺について

紫式部ゆかりの寺


西国三十三カ所第十三番 札所


びわ湖108霊場

おすすめの投稿

惣一郎
2021年06月09日(水)
959投稿

石山寺は、滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺院。山号は石光山。本尊は如意輪観世音菩薩。西国三十三所観音霊場13番札所。本堂と多宝塔が国宝。東大門、鐘楼、御影堂、蓮如堂、三十八所権現社本殿、経蔵、宝篋印塔が国指定の重要文化財。

寺伝によると、聖武天皇の発願により奈良時代の747年、東大寺を開山した良弁が聖徳太子の持念仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まり。正倉院文書によると、その後当寺の伽藍の整備は国家的事業として推進されたとしている。平安時代になると、聖宝、観賢、淳祐(菅原道真の孫)などの高僧が座主(ざす;住職と同義)となった。この頃、<石山詣>が宮廷の官女の間で盛んとなり、『蜻蛉日記』や『更級日記』などにも描写され、紫式部が『源氏物語』の着想を得たのも石山寺とされている。『枕草子』にも「釈迦仏の御すみかなるがあはれなるなり。石山。」と記載されている。
現在の伽藍のうち、本堂阿1096年の再建、東大門、多宝塔は鎌倉時代初期に源頼朝の寄進による建立とされ、この頃、現在の寺観が整ったとされる。

当寺は琵琶湖の南端近くにあり、京阪石山坂本線の終点・石山寺駅から瀬田川西岸を1km弱南下した位置にある。入口の東大門は小山の麓にあり、小山全体が境内となっている。当寺は創建以降、兵火にあったことがないそうで、その分伽藍も古さ、由緒のようなものを感じる。

参拝時は週末の午前中で、多くの家族連れなどが参拝に訪れていた。

石山寺の山門

境内入口の<東大門>。1190年造営、慶長年間(1596年~1615年)に大規模改修。三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺。国指定の重要文化財。

石山寺の山門

東大門の天井。<石山寺>の扁額は小さく控え目。

石山寺(滋賀県)

左側の<吽形仁王像>。力強い。

石山寺の像

右側の<阿形仁王像>。色の褪せ具合が美しい。

石山寺の建物その他

東大門をくぐったところ。しばらく参道がまっすぐ続く。桜がちらほら。

石山寺の山門

途中、参道右側に<寶印大黒天>の門。

石山寺の本殿

<寶印大黒天>は950年ほど前(平安時代後期)に安置されたとのこと。

石山寺の周辺

さらに進むと参拝受付(志納所)があり、それを越えると右手に<くぐり岩>が現れる。周辺の岩はすべて大理石で、池は奈良・天平時代からあるんだとか。

石山寺の建物その他

その先に<比良明神影向石(ひらみょうじん。ようごうせき)>。聖武天皇から東大寺大仏建立の黄金調達を命じられ、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受け、当地を訪れると、岩の上に座した比良明神から、当地が観音の霊地であることを告げられたとのこと。

石山寺の手水

参道右側に<水屋>。

石山寺の建物その他

水屋の先にある地蔵堂。かすれた墨文字には<那*与市 地**>とある。那須与一のことか?

石山寺の建物その他

堂宇のあるエリアへの階段。

石山寺の建物その他

階段の途中左手にあるお堂。

石山寺の建物その他

階段を登り切ったところ。正面に天然記念物の<珪灰石(けいかいせき)>と、その上に<多宝塔>、左側には<蓮如堂>と<本堂>、右側には<観音堂>、<毘沙門堂>、<御影堂>がある。

石山寺の庭園

石山寺を代表するカット。黒々とした<珪灰石>の上に、国宝の<多宝塔>が載っているように見える。

石山寺の建物その他

階段上がってすぐ右側の<観音堂>。西国三十三観音霊場の全ての観音を安置している。

石山寺の建物その他

観音堂の左隣にある<毘沙門堂>。江戸中期1773年の建立で、正面三間、側面二間、一重、宝形造、桟瓦葺。堂内に兜跋(とばつ)毘沙門天と吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)の三体を祀る。毘沙門天像は平安時代後期の作で、国指定の重要文化財。

石山寺の建物その他

毘沙門堂の参道を挟んで左隣にある<御影堂(みえいどう)>。室町時代の建立で、正面三間、側面三間、宝形造、檜皮葺。弘法大師、良弁、淳祐の御影を安置。国指定の重要文化財。

石山寺の建物その他

<珪灰石>は、石灰岩に花崗岩が接触したことによる熱作用で変質したもの。 通常は大理石となるが、石山寺のように雄大な珪灰石となるのは珍しいのだという。この石が<石山寺>の名称の由来。

石山寺の建物その他

階段上がって左側にある<蓮如堂(れんにょどう)>。懸造、桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、妻入、桟瓦葺。慶長年間の境内復興の際に淀殿が三十八所権現社本殿の拝殿として造営された。国指定の重要文化財。

石山寺の本殿

蓮如堂の右側を抜けると階段があり、その上に<本堂>がある。本堂の建立は不詳、奈良時代の761年ごろ拡張したことが正倉院文書に記されている。1078年に焼失し、1096年に再建されたのが現在の本堂。1602年に淀殿が改修。

石山寺の本殿

本堂入口。真っ赤な<大提灯>が見える。堂内は撮影禁止。御朱印はこちら。
本堂の造りは、桁行七間、梁間四間、寄棟造の<本堂>と、桁行九間、梁間四間、寄棟造で懸造(舞台造)の<礼堂(らいどう)>と、その両棟を結ぶ<相の間>で構成される総檜皮葺の建物になっている。

石山寺(滋賀県)

階段上がってすぐのところにある<紫式部の間>。紫式部が参籠し「源氏物語」を執筆した間。

石山寺の本殿

本堂への階段上がって、右手上方にある<三十八所権現社本殿>。1602年建立。一間社、流造、檜皮葺。国指定の重要文化財。

石山寺の本殿

三十八所権現社本殿から見た<本堂>。どの角度からも全体を見ることはできない。

石山寺の建物その他

三十八所権現社本殿の上方にある<経蔵>。桃山時代の建立と推定される。桁行三間、梁間二間、高床校倉、一重、切妻造、桟瓦葺。かつては国宝の淳祐内供筆聖教等を収蔵した。国指定の重要文化財。

石山寺の建物その他

経蔵と向かい合うように建つ<鐘楼>。源頼朝の寄進と伝わるが、様式などから鎌倉後期のものと考えられている。梵鐘には銘がないが平安時代の物と考えられている。国指定の重要文化財。

石山寺の建物その他

経蔵と鐘楼の間にある階段を登ると、国宝の<多宝塔>。

石山寺の建物その他

多宝塔は、下層が方形、上層が円形の平面に宝形造の屋根を載せた二重塔。1194年、源頼朝の建立と伝わる。
内部の四天柱の柱絵と須弥壇上の快慶作の大日如来像はいずれも国指定の重要文化財となっている。

石山寺の末社

多宝塔の右手離れた場所にある<若宮>。2002年の建立。祭神に天照皇大神を拝し、大友皇子(弘文天皇)を崇る。三十八所権現社が親神。

石山寺の建物その他

若宮から左に進んだ、見晴しの良い場所に建つ<月見亭>。保元年間(1156年~1159年)、後白河天皇の行幸以降、多くの天皇・皇后が訪れ、明治天皇、大正天皇、昭和天皇も行幸されたという。右側の建物は<芭蕉庵>。

石山寺の建物その他

月見堂の後方高台に建つ<心経堂>。1990年建立。

石山寺の自然

心経堂近くからの景色。桜が良い咲き具合~♪

石山寺の自然

このあと、本堂裏手境内を散策する。名前は分からないが、紫色が美しい樹木。満開の桜にも負けていない。

石山寺の建物その他

境内最奥部にある<光堂>。

石山寺の景色

光堂からの景色。眼下には梅園や牡丹園がある。

石山寺(滋賀県)

光堂の手前にある<紫式部像>。

石山寺の庭園

山を下ってきたところにある庭園(無憂園)。

石山寺(滋賀県)

本堂と谷を隔てた<雅の台>という場所から見た舞台造りの<本堂>。

石山寺の建物その他

最初の階段近くまで戻って来て、島崎藤村ゆかりの<密蔵院>。

もっと読む
投稿をもっと見る(119件)

歴史

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

歴史をもっと見る|
22

石山寺の基本情報

住所滋賀県大津市石山寺1-1-1
行き方

京阪電気鉄道石山坂本線「石山寺」駅より徒歩10分
JR西日本琵琶湖線「石山」駅より京阪バス「石山寺山門前」下車
信楽高原バス「京阪石山寺」より徒歩10分

アクセスを詳しく見る
名称石山寺
読み方いしやまでら
参拝時間

参拝時間8:00〜16:30(最終入山16:00)
本堂拝観9:00〜16:00
拾翠園10:00〜15:30

参拝料

入山料:大人600円、小学生250円、本堂内陣:大人500円、小学生250円、拾翠園500円

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号077-537-0013
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.ishiyamadera.or.jp/
SNS

詳細情報

ご本尊如意輪観音
山号石光山
宗旨・宗派東寺真言宗
創建時代天平十九年(747年)
開山・開基良弁僧正
札所など

西国三十三箇所第13番札所
びわ湖百八霊場第1番札所

文化財

本堂、多宝塔(国宝)
東大門、御影堂、蓮如堂、三十八所権現社、経蔵、鐘楼、亀谷禅尼供養塔、如意輪観世音菩薩、本尊胎内仏、金剛蔵王立像心木、如意輪観音跏像、石山寺縁起絵巻全七巻、源氏物語巻末摘花(国指定重要文化財)
毘沙門堂(県指定有形文化財)
紫式部供養塔(重要美術品)
硅灰石(天然記念物)

ご由緒

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。
『石山寺縁起絵巻』によれば[2]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神(≒白鬚明神)の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。そして程なく(実際にはその2年後に)陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は霊験あらたかなること立証できたわけだが、如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。(その他資料としては『元亨釈書』[3] や、後代だが宝永2年(1705年)の白鬚大明神縁起絵巻がある[4]。)
その後、天平宝字5年(761年)から造石山寺所という役所のもとで堂宇の拡張、伽藍の整備が行われた。正倉院文書によれば、造東大寺司(東大寺造営のための役所)からも仏師などの職員が派遣されたことが知られ、石山寺の造営は国家的事業として進められていた。これには、淳仁天皇と孝謙上皇が造営した保良宮が石山寺の近くにあったことも関係していると言われる。本尊の塑造如意輪観音像と脇侍の金剛蔵王像、執金剛神像は、天平宝字5年(761年)から翌年にかけて制作され、本尊の胎内に聖徳太子念持仏の6寸如意輪観音像を納めたという。
以降、平安時代前期にかけての寺史はあまりはっきりしていないが、寺伝によれば、聖宝、観賢などの当時高名な僧が座主(ざす、「住職」とほぼ同義)として入寺している。聖宝と観賢はいずれも醍醐寺関係の僧である。石山寺と醍醐寺は地理的にも近く、この頃から石山寺の密教化が進んだものと思われる。
石山寺の中興の祖と言われるのが、菅原道真の孫の第3世座主・淳祐(890-953)である。内供とは内供奉十禅師(ないくぶじゅうぜんじ)の略称で、天皇の傍にいて、常に玉体を加持する僧の称号で、高僧でありながら、諸職を固辞していた淳祐がこの内供を称され、「石山内供」「普賢院内供」とも呼ばれている。その理由は淳祐は体が不自由で、正式の坐法で坐ることができなかったことから、学業に精励し、膨大な著述を残している。彼の自筆本は今も石山寺に多数残存し、「匂いの聖教(においのしょうぎょう)」と呼ばれ、一括して国宝に指定されている。このころ、石山詣が宮廷の官女の間で盛んとなり、「蜻蛉日記」や「更級日記」にも描写されている。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、源頼朝の寄進により建てられたものとされ、この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。

体験食事・カフェ御朱印国宝重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り
Youtube

Wikipediaからの引用

概要
石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗の大本山の寺院。山号は石光山。本尊は如意輪観世音菩薩(如意輪観音)。開山は良弁。西国三十三所第13番札所。 2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される。 本尊真言:おん ばだら はんどめい うん ご詠歌:後の世を願うこころはかろくとも ほとけの誓いおもき石山
歴史
歴史[編集] 『石山寺縁起絵巻』によれば[1]、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが始まりとされている。聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるもの...Wikipediaで続きを読む
引用元情報石山寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%9F%B3%E5%B1%B1%E5%AF%BA&oldid=89958569

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy and Terms of Service apply.

行きたい
投稿する
お問い合わせ
めめ小バナー