みよしのじんじゃ
三芳野神社埼玉県 本川越駅
24時間可能
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり(初雁公園駐車場を利用可能 無料) |
ホテルで貰った川越市内の観光マップにこちらの神社が載っていたので見立寺から歩いて参拝。
途中に氷川神社の前を通ったのでひとまず立ち寄ってご挨拶をしてから改めて向かいました。
境内に隣接する形で川越城本丸御殿があり、その広さに圧倒。
屋敷内の見学もできるようですが、今回はパス。
境内は無人で、授与所のところに御朱印は川越氷川神社で頒布してるという張り紙が。
マジかー😱😱
さっき言ったばっかり&また炎天下の中を逆戻りすんのか🥵🥵
と思いきや、その張り紙の隣に別の張り紙があって、「既に川越氷川神社を参拝された方のために書き置きをご用意してあります。初穂料はおみくじのところに入れてください」と書かれた際の内容が!!
早速探してみますが、おみくじも御朱印を保管してるような物は一切なく...☹️☹️☹️
仕方がないので、またまた氷川神社へ戻りました。川越滞在時間3日間のうちに4回も訪れることになろうとは。
しかも氷川神社の方では、三芳野神社の御朱印の事についてはどこにも案内はないので、完全なる初見殺し笑
無事に御朱印を拝受してまた三芳野神社へ戻っていきました。
因みに御朱印は書き置きでの対応でしたが、後で落ち着いてからご朱印帳に貼ろうと一旦保管。川越の主な神社仏閣を参拝した後にさいたま市浦和区の調神社へ。三芳野神社の御朱印を貼ってないことを忘れてそのまま調神社の御朱印をお受けしたので、御朱印帳での順番が前後してしまって少しだけ残念な気持ちに💦
色々と御朱印を受けるまで苦労はありましたが、その分だけ体動かしたので、きっと健康には良かったはず!!・・・と思いたいです💦笑
童歌とおりゃんせ発祥の地だったんですね。
とおりゃんせってどんな唄だったか思い出そうとしても「かごめかごめ」しか出てこない💦
境内は川越城跡の目の前にあります。
近くには野球のグラウンドや美術館がありました。
境内横の駐車場(10台くらいの小規模で、常に満車状態)と脇道を挟んだ向こうには川越城本丸御殿が。
めちゃくちゃデカくて広い😝
表玄関
斜めから
鳥居を潜って
参拝
斜めから
境内社の蛭子社
こちらは同じく境内社の大黒社
わらべ唄の記念碑
御朱印と。
遠⑭小江戸・川越『三芳野神社』
川越城の鎮守ヽ(*´∇`)ノ
童唄《とおりゃんせ》発祥の地といわれる神社さん
「行きはよいよい帰りは怖い~♪」
川越城の中にあった天神様✨ 城外から長くて細い道を抜けて参拝へ向かう町人は、外に出る際(帰り)に厳しい取り調べを受ける~そんな様子が歌詞となり、現在まで歌い継がれているそうです。
日曜でしたので、こちらで氏子の方に御朱印をいただけました🍀(川越氷川神社もOK)
七五三詣に最も相応しい神社なのに、神仏習合の影響でずっと神職不在となって叶わないのが残念だとおっしゃっていました、、
奥ではお囃子の練習をしていて、すごく地域愛を感じる印象的な神社さんでした♡
川越城も記念投稿します、、すみません (^-^;
この後に行った『川越氷川神社』~若者で大混雑、、驚きました。
雰囲気のある参道😊 右には石の社号標
とおりゃんせの細道もこんな様子だったのかな~
🎵とおりゃんせとおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
~聞こえてくるようでした😌
真っ直ぐ木々の間を抜けると公園隣接の広々空間!
川越城の鎮守『三芳野神社』
子供の幸せを願い、たくさんの方が参詣されたと思うと感無量。
週末はこちらも拝受できる御朱印💓
川越氷川神社でいただいても同じ書置き対応。
側にある川越城で御城印もいただきました~
徳川幕府直営の社として庇護を受けた神社✨
現存の社殿は、寛永元年(1624年)に川越城主酒井忠勝が三代将軍家光の命を受けて造営。
御祭神は藤原道真公
天神様です🙏
川越城の七不思議にある《初雁の杉》
三芳野神社の裏にある大きな杉の老木には、いつの頃からか毎年雁が飛んでくる。杉の真上で三声鳴き、杉の回りを三度回り、南を指して飛び去った。
お稲荷さんもありました
授与所 (社務所?) の奥
お囃子のお稽古が始まるところ🎶
参道の右手には竹林があり、いい感じ😄
参道の左側は公園になっていて、昔の様子は全くないです(笑)
公園側から見るとここだけ異空間みたいな雰囲気でした~
そんな隣の公園を抜けて~
少し歩くと『川越城』✨
葵の御紋が素敵な昔の瓦
美しい襖
リアルに相談
御城印は、入館する時にチケットと一緒にお願いします
間口が大きくて、、
しかも逆光😂
三芳野神社は、平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。この為、「お城の天神さま」として親しまれている。この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向う小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしていた。
この細い参道が、童唄「通りゃんせ」の歌詞の発生の地であるといわれ、現在でも静かな環境を保持しており、伝説の豊かな地である。
なお、参道は、江戸時代より若干変化している。
平成十一年三月
川越市教育委員会
名称 | 三芳野神社 |
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読み方 | みよしのじんじゃ |
通称 | お城の天神さま |
参拝時間 | 24時間可能 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 素盞男尊、奇稲田姫命
菅原道真公 |
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創建時代 | 大同二年(807) |
本殿 | 権現造 |
ご由緒 | 三芳野神社は、平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。この為、「お城の天神さま」として親しまれている。この天神さまにお参りするには、川越城の南大手門より入り、田郭門をとおり、富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向う小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りしていた。
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概要 | 三芳野神社(みよしのじんじゃ)は、埼玉県川越市郭町の神社。童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。川越城築城以前から当地にあったが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになった。平成元年(1989年)に大修理が行われ、平成4年(1992年)に完成。埼玉県指定文化財。 |
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歴史 | 歴史[編集] さいたま市の氷川神社を勧請したとも、京都市の北野神社を勧請したともいわれているが定かではない。この三芳野という社名は在原業平の『伊勢物語』に出てくる「入間の郡三芳野の里」という地名が川越の旧地名であったことによる。 現存する社殿は、寛永元年(1624年)川越藩主酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営した[1]もので、鈴木近江守長次によって再興された。翌寛永2年には、天海大僧正を導師として遷宮式が行われた[1]。これ以後、喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となった。寛永3年(1626年)には徳川家光の侍講・林羅山がこの地で嫡男・叔勝の病気平癒を祈願した。 明暦2年...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 公共交通機関[編集] 西武新宿線本川越駅または東武東上線・JR川越線川越駅から東武バスで「上尾駅西口行き」、「埼玉医大総合医療センター行き」又は「川越運動公園行き」で約10分「川越氷川神社」バス停下車すぐ 西武新宿線本川越駅または東武東上線・JR川越線川越駅からイーグルバス・小江戸巡回バスで「蔵の街・氷川神社ルート」で約20分「氷川神社前」バス停下車すぐ 西武新宿線本川越駅または東武東上線・JR川越線川越駅から東武バスで「神明町車庫行き」、「桶川駅西口行き」、「鴻巣駅西口行き」、「鴻巣免許センター行き」、「八幡団地行き」又は「東松山駅行き」で約5分「喜多町」バス停下車徒歩1...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「三芳野神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E8%8A%B3%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100975875 |
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