たいしゃくじ|高野山真言宗|宝生山
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帝釈寺到着。正月の名残がまだ境内に。帝釈天って知名度の割に祀られているところってそこまで多くないイメージ。聖徳太子の創建とのこと。境内には帝釈天降臨の松やふれ愛観音などいろいろ見どころもあり🤗本堂には帝釈天に地蔵菩薩、十一面観音、毘沙門天とどれも平安~室町にかけての仏像類があるとのことですがご不在で拝観叶わず・・・出直しです😅
高野山真言宗 宝生山 帝釈寺
摂津国八十八箇所霊場 第52番札所
勝尾寺のお参り後、帝釈天をご本尊とするお寺ということでなんとなく気になりお参りさせていただきました。
境内はとてもきれいにされていて、ベンチなども用意されているので、もし近所に住んでいたら暖かい日にはふらっと立ち寄りのんびりしたいくらい落ち着くところでした。
桜の名所でもあるそうで、これからの季節は花見がてらにお参りするのもいいですね。
寺伝によると聖徳太子の夢に神々が現れ、その御神告によって宝塔が建立されたとのこと。
ご本尊は帝釈天、脇侍に毘沙門天と弁財天が祀られており、この三天が祀られていることからもとは三天寺と称していたそうです。
こちらの住所は、箕面市粟生外院。
なぜ外院なのかなとは思っていたのですが、貞観年中に清和天皇が勝尾寺に行幸された際、こちらに参籠されたことから勝尾寺を内院、帝釈寺を外院とされたそうです。
山門
本堂
南無稚児大師(弘法大師(空海)の幼少の頃)
六地蔵様
ふれ愛観音
水上権現
こちらは稲荷社かな?
帝釈天降臨松の碑
かつて樹齢1200年、樹高20数メートル、幹周りは大人5人が手をつないでやっとという大きな松の木があり、帝釈天が降臨されたとされています。
落雷と老朽により、昭和30年に伐採されたそうです。
鐘楼
太平洋戦争末期に徴用されてしまったそうですが、昭和40年頃に復元され現在に至るそうです
本堂横から
箕面巡りで帝釈寺へ。摂津國八十八ヶ所第52番札所で、ご本尊は帝釈天です。帝釈寺といえば勝尾寺の外院で、節分祭の福護摩祭りが有名です。 もう40年以上もつづく、この寺の伝統行事で、築かれた護摩壇に火が入ると、山伏らの熱祈の中、願い事が書かれた護摩木が燃え上がります。 その護摩の残り火でおこなう火渡り修行❗️😳にも、子供から大人まで毎年多くの方が挑戦されます。今はコロナ禍で一般参加は中止のようです。やってみたいような、みたくないような‥😅もう年齢的に足の裏の皮も硬くなってて耐えれるかもしれませんけど。🤣
お寺の駐車場に到着した時に、御住職らしき方が入れ違いでお出かけになられたようでしたが、とりあえず参拝に境内へ。
広くゆったりとした境内で、美しくお手入れされていました。中央辺りに、ふれあい観音さまがいらっしゃって、かなり触れられて愛されてるご様子で、いい色合いで微笑まれておられます。🥰また、お寺の関係者の方がとても親切に対応して下さりました。ステキな参拝になりありがとうございました。🙇♀️
ふれあい観音さま
お顔が優しい💕
お地蔵さま
本堂
水上権現
水掛け不動
南無稚児大師像
帝釈天降臨地
歴史
古義真言宗高野山金剛峯寺末流なり。外院の里にあり。人皇34代推古天皇の御宇、聖徳太子の創立なり。
貞観年中に清和天皇勝尾寺へ行幸し給う時、初めて当寺に入り給い、山上の勝尾寺を都卒の内院に表し、当寺を外院と称し給う。それより以来、外院を以ってこの里の地名となる。
応仁年中以後に度々の兵乱にかかり、諸堂消失し、大に衰微す。慶安2年3月、秀栄法師入院し、当寺を中興す。
境内に明神水あり。手足の痛みに付て功あり。この水至て美なり。
名称 | 帝釈寺 |
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読み方 | たいしゃくじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 072-729-4028 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.taishakuji.or.jp |
SNS |
巡礼の詳細情報
摂津国八十八箇所 |
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詳細情報
ご本尊 | 帝釈天 |
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山号 | 宝生山 |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 推古天皇時代 |
開山・開基 | 聖徳太子 |
文化財 | 絹本著色愛染明王像 箕面市指定有形文化財 |
ご由緒 | 古義真言宗高野山金剛峯寺末流なり。外院の里にあり。人皇34代推古天皇の御宇、聖徳太子の創立なり。
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体験 | 写経・写仏お宮参り七五三食事・カフェ札所・七福神巡り |
Youtube | |
Wikipediaからの引用
概要 | 帝釈寺(たいしゃくじ)は大阪府箕面市粟生外院にある高野山真言宗の仏教寺院。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寺伝によれば当寺は聖徳太子の創造で、貞観年中(859年~877年)清和天皇勝尾寺行幸の時、当寺に参籠され、勝尾寺の外院となったという。 応仁の乱の兵火で堂宇ことごとく焼失して衰微していたが、慶安2年(1649年)僧秀栄が再建して今日に至る[1]。 ^ 天坊幸彦『三島郡の史蹟と名勝』(1961)(大阪府学務部編『大阪府史蹟名勝天然記念物』 三島郡(1974)に収録 全国書誌番号:.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citatio...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 阪急バス「外院」から徒歩3分 |
引用元情報 | 「帝釈寺 (箕面市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%9D%E9%87%88%E5%AF%BA%20%28%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%B8%82%29&oldid=90116188 |
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