ほうりゅうじ|聖徳宗
法隆寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
日本初🇯🇵お寺の世界遺産✨【法隆寺】
お目当ては春の特別公開中の💫聖徳太子様こと救世観音立像💫
当時伝染病が蔓延し、これを聖徳太子の怨念によるものと考えた人々が太子を供養するために作られた仏像です🤔なんと明治時代まで封印がとけないよう布や和紙でぐるぐる巻きにされたいたそう💦可哀想😭
しかし、その結果仏像様は大変良好な状態で保たれているみたいです🥰💎
ふくよかなお顔と鼻は特徴的👃
世界最古の木造建築【五重塔】と【金堂】も迫力大🌈下段には裳階が使われています❗️
大きな屋根は構造上にも外観上にも不利になるため裳階が使われるとか🏗
大宝蔵院 百済観音像もご立派でした🥰
柿くへば 鐘がなるなり 法隆寺
正岡子規
今度は秋に参りたいと思います🎵
本日(4月11日)は法隆寺東院伽藍 夢殿の秘仏、救世観音菩薩立像の春の特別開扉初日。
早起きして、朝昼兼用のサンドウィッチ弁当&コーンスープを作り、電車で法隆寺に行って来ました!
若い頃は歩いても全然平気だった駅からの20分が辛く感じ、夫婦して年をとったことを痛感しました(^_^;)
とても久し振り(多分30年はあいてます)だし、夫は初めてとのことでしたので、西院伽藍・大宝蔵院・東院伽藍(お目当ての夢殿)とフルに拝観出来る参拝券にしました!
※東院伽藍側から出るとすぐにある、中宮寺の参拝も割引となります。
御朱印は聖霊院と西円堂で授かります。
※特別開扉の救世観音菩薩の御朱印も聖霊院でいただきます。
平日、コロナ禍ということもあってか、ゆったりと拝観することが出来ました。
法隆寺を出て中宮寺へ
ご本尊の如意輪観世音菩薩(国宝)は聖徳太子のお母君「穴穂部間人皇女」がモデルと言われていますが、慈悲・慈愛溢れるお姿はいつ観ても心現れます。
帰りに柿の葉すしを買って、バスで駅まで戻り、まほろばへの想いを馳せて帰路に着きました(*^^*)
西院伽藍 中門(飛鳥時代)
西院伽藍 金堂(飛鳥時代)
西院伽藍 五重塔(飛鳥時代)
西院伽藍 大講堂(平安時代)
大講堂側より観た金堂、五重塔
聖徳太子 十七条憲法の御朱印「和を以て貴しとなす」
西円堂 薬師如来御朱印
東院伽藍 夢殿(奈良時代)
夢殿 救世観音菩薩 御朱印
中宮寺(旧斑鳩御所)
中宮寺本堂
尼寺らしい可愛らしい山吹の花が咲いています(*^^*)
御本尊菩薩半跏像(如意輪観世音菩薩) 御朱印
いつ以来かわからんくらいの法隆寺。当然ながら御朱印は初めてです。修学旅行が多数来ていて賑やかでした。飛鳥の息吹を伝える伽藍は壮大で、日本の歴史がここにあるという感じ。改めて凄いです。頑張って全部網羅しました。
以和為貴の御朱印です。遂に拝受できました。
特別公開中の夢殿救世観音さまの御朱印です。
西円堂の峯薬師如来さま御朱印です。
南大門。
南大門を入って中門を望む。遠くに五重塔が見えます。
この日の夜はイベントが予定されていて、中門前は足場が組まれ拝観できませんでした。残念。なのでこの写真は古い写真を引っ張ってきました。これぞ法隆寺です。
中門前から夢殿方面。長い!
廻廊を潜り東院中へ。五重塔。ほーっとため息。初層が外からですが拝観できます。こんな建築を1400年も前にどうやって作ったのでしょうか。
金堂。文化財防火のきっかけとなった火事による壁画焼損。見たかったですね。ですが飛鳥時代の釈迦三尊像や薬師如来像は現存しています。
大講堂。薬師三尊像が安置されてます。
廻廊。
東大門。ここから西院をでます。
東院夢殿横の通り。風情があります。
夢殿。聖徳太子の宮跡。
夢殿裏は紅葉してました。
また西院へ戻って、今度は西円堂へ。
西円堂。薬師如来さまが拝観できます。法隆寺の御朱印は聖霊院で受けられますが、西円堂のみはここで受ける事になります。
法隆寺を参拝。
法隆寺へ来るのは30数年ぶり(40年近くなるのか)です。
南大門
中門越しに五重塔が見えます。
五重塔と金堂
御朱印
「以和為貴」
書き終わったあと「わをもってとうとしとなす」と文字の説明を受けました。
御朱印
「峰薬師如来」
西円堂でいただけます。
《聖徳太子ご霊跡巡り その14》
日向寺を後にし、本日の最終目的地へ。
第14番霊場「法隆寺」です。
皆さんよくご存じのことでしょう。
古代寺院の姿を今に伝えてくれるお寺であり、聖徳太子ゆかりの寺院です。金剛寺ゆかりの止利仏師の最高傑作、国宝釈迦三尊像を見てきました。
その15へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtr/Dgtks/14324/176163/
その13へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtm/Dmmgt/13543/174878/
《ご朱印》
第14番「尺寸王身仏像」
《南大門》
《ご由緒書》
《中門》(国宝)
《五重塔》(国宝)
《金堂》(国宝)
1400年の時の流れで失われたり形を変えてしまった寺院が多い中、その姿をとどめていることのなんと尊いことか。
(-人-)
《廻廊》(国宝)
《大講堂》(国宝)
左から金堂、中門、五重塔
《鐘楼》(国宝)
《聖霊院》(国宝)
ご朱印はコチラでいただけます。
《絵殿》(重要文化財)
《舎利殿》(重要文化財)
《伝法堂》(国宝)
《夢殿》(国宝)
夢のような空間、夢のような時間。
金堂の釈迦三尊像、大宝蔵院の夢違観音、玉虫厨子、百済観音像…。どれも忘れたくなくて目に焼き付けました。
何度でも訪れたくなる場所でした。
6月15日・・・
クラウドファンディング終了😢
おぼけーっ私OUT
涙の過去参拝記録画像です
6月15日、奈良県斑鳩町の世界遺産・法隆寺は、コロナ禍で参拝客が減り、運営が厳しいとして、クラウドファンディングで寄付を募る、と発表されました。
参拝客がコロナ禍前の半分以下に落ち込み、拝観料の収入が大幅減。約18万平方mに及ぶ敷地の設備の管理や、樹木の手入れなど、日常の運営費が足りなくなったのが理由でした。
「奈良にある法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺など観光寺院は、檀家や墓を持たず、収入源は、全国から来る参拝者の拝観料のほか、寄進や写経などの料金です。 法隆寺に所蔵されている国宝や重要文化財など約2500点の修理には、国の補助がありますが、それ以外の美術品の修理費や敷地の管理は、拝観料で賄ってきました。そのため、参拝客が減ると運営に大きな打撃を受けてしまうのです」
目標額は2000万円。
クラウドファンディングのサイト「READYFOR」上で
《世界遺産法隆寺―1400年の歴史遺産を未来へ―》として、6月15日午後2時から支援を募ったところ、わずか半日足らずで目標額を達成されました。
開始からわずか半日で目標額を達成したことについても、
《法隆寺は、目標額達成を受け、以下のように感謝の言葉を綴られました。
《皆様からの多大なるご支援により、支援募集開始の翌朝という予想もしていなかった早さで、第一目標金額の2000万円を達成することができました。これほどまでの反響をいただけるとは思っておらず、一同大きな驚きと共に、法隆寺を大切に想ってくださる皆様の存在、お気持ちを改めて感じ、感謝の念に堪えません。誠にありがとうございます》
~・~・~・~
五重塔の龍!
五重塔の天邪鬼
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺 マンホール
法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山の寺院。本尊は釈迦如来(国宝)。南都七大寺の一つ(諸説有)。別名は「斑鳩寺」、「法隆学問寺」など。ユネスコの世界遺産に「法隆寺地域の仏教建造物」の構成資産の1つとして登録されている。また境内は<国の史跡>に指定されているほか、建物だと南大門、金堂、五重塔、鐘楼、大講堂、夢殿などが国宝。仏像だと金堂安置、五重塔安置、講堂安置、大宝蔵院所在などの多くの仏像が国宝。国指定の重要文化財の建築物、仏像も多数ある。
創建は推古天皇15年(607年)、開基は推古天皇と聖徳太子。601年以降、聖徳太子が現在の東院伽藍の位置に斑鳩宮を建造、当寺はこの斑鳩宮に接して建立された。およそ19万㎡弱(東京ドーム4個分)ある境内は、金堂、五重塔と中心とした西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
聖徳太子による建立の後、聖徳太子の弟・来目皇子(くめのみこ)の子孫・登美氏が支配下に置いたが、平安時代初頭に復興・自立の動きをした。また平安中期の925年には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失、室町時代の1435年には南大門を焼失するなど何度か火災に遭うが、大火災には遭っておらず建物、仏像などの文化財が現在まで残っている。
近世には、17世紀初めには豊臣秀頼が伽藍を修復、18世紀にかけては江戸幕府5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍を修造した。
明治期に入ると廃仏毀釈の影響で資金難になり、管長の判断で聖徳太子画像など宝物300点を皇室に献納、金壱万円を下賜された(宝物は現在、東京国立博物館の法隆寺宝物館にて保管)。
仏教宗派としては、明治初めに真言宗に改宗したが、1882年に興福寺とともに法相宗として独立、1950年には法相宗から独立して聖徳宗を設立した。
当寺は、JR大和路線・法隆寺駅の北方2km弱の場所にある。徒歩30分ぐらい。国道25号線に面した参道入口から歩くと、広々とした参道の両側に土産物屋などが並んでいて、観光気分が盛り上がる。西院伽藍と東院伽藍は300mほど離れており、両方しっかり見て回るとそれなりの距離を歩くことになる。
参拝時は週末の朝一、開門時間の8時に西院伽藍からスタートしたが、参拝者はぱらぱら程度、職員数の方が多いぐらい。その後も参拝者はさほど増えなかった。拝観には、西院伽藍、東院伽藍、隣接の中宮寺と合わせて2時間ほどかかった。
※自分は「法隆寺」を小学生の時から知っているのに、学生時代の修学旅行でも大人になってからの個人旅行でも「法隆寺」には来たことがなかったので、いわば「憧れの法隆寺」として参拝。実際は境内は広々していて建物は立派で見どころもたくさん。でも参拝者が少なくて雰囲気がのんびりしている。すごく好印象!
国道25号線に面した参道入口と寺号標。
松並木の参道を数百m進むと、国宝<南大門>。三間一戸の八脚門。室町時代の1438年再建。
<南大門>は、当初中門前の石段上にあったが、寺域拡張で現在地に移築。
西院伽藍にかけての参道。
西院伽藍を代表する中門(中央)、五重塔(左)、金堂(右)の3建築物を望遠レンズで圧縮してみた。
国宝<中門>は正面が四間二戸、側面が三間の入母屋造の二重門。飛鳥時代建立。
<中門>にある日本最古(8世紀初頭)の仁王像の左側・吽形像。雨ざらしで補修が甚だしく、体部が木造の後補になっているとのこと。
右側の阿形像。力強い。
<中門>の左手前にある<世界遺産認定記念碑>。
西院伽藍の西廻廊の外側(西側)にある、国宝<三経院・西室>。三経院は住宅風仏堂で、西室は僧坊。いずれも平安期に焼失、鎌倉期の1231年に再建。
西院伽藍の西回廊の南端にある<拝観受付>。開門は8:00でそれまでは入れてもらえない。笑
受付から歩いてすぐ目に飛び込む、南側からの<五重塔>と<金堂>のツーショット。いずれも飛鳥時代建立。
国宝<五重塔>は、現存世界最古の木造五重塔で、高さは32.55m。初重から五重までの屋根の逓減率が高いのが特徴で、五重の屋根の一辺は初重のほぼ半分。
国宝<金堂>は、入母屋造の二重仏堂で、桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層に部屋はなく外観のみ。
堂内には釈迦三尊像(国宝)、薬師如来坐像(国宝)、阿弥陀三尊像(重文)、四天王立像(国宝)、毘沙門天・吉祥天立像(国宝)を安置。
<五重塔>と<金堂>の奥にある、国宝<大講堂>。桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。平安中期990年の再建。
堂内には薬師三尊像(国宝)と四天王像(重文)を安置。
この日は風が強く、正面の寺幕が思いっきり巻き上がって、国宝<薬師三尊像>が外から丸見え(堂宇内は撮影禁止)。
<大講堂>の西側、<西回廊>の北端にある国宝<経蔵>。奈良時代建立。内部に観勒僧正坐像(重文)を安置。内部非公開。
<大講堂>の東側、<東回廊>の北端にある国宝<鐘楼>。平安時代建立。
<大講堂>の裏手にある、重文<上御堂>。鎌倉時代建立。内部に釈迦三尊像(国宝)、四天王像(重文)を安置。
こちらは風と関係なく、国宝<釈迦三尊像>が外から丸見えだったので望遠レンズにて(堂宇内は撮影禁止)。
北側からの<金堂>、<五重塔>のツーショット。写真構図上はベストか。
国宝<回廊>の東側。飛鳥時代建立。
<東回廊>の南端にある西院伽藍の出口を出て、すぐ左手(東側)にある<聖霊院>の<水屋>。
国宝<聖霊院(しょうりょういん)>。聖徳太子を祀る堂宇。鎌倉時代建立。聖徳太子と眷属像(国宝)、如意輪観音半跏像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)を安置。<聖霊院>の後方にある僧坊<東室(ひがしむろ)>も国宝で、奈良時代建立。御朱印はこちら。
東室に並行して建つ、東室の付属建物、重文<妻室(つまむろ)>。平安時代建立。
<妻室>の東側に建つ、国宝<綱封蔵(こふぞう)>。寺宝を保管するための高床式の蔵で、2つの蔵を1つの屋根で覆っている。平安時代建立。
<綱封蔵>の奥にある、国宝<食堂(じきどう)>。奈良時代建立。食堂本尊は薬師如来坐像(重文)。
<食堂>の奥にある、<大宝蔵院(百済観音堂)>。1998年建立。百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。多くの国宝、重文が展示されている。
写真撮影位置が<大宝蔵院>の入口で、中庭を囲むように拝観順路が設定されている。正面の堂宇には、主役の国宝<観音菩薩立像(百済観音)>が安置されている。
順路を進むと中門前に繋がっている東西参道に出る。東に向かうと見えるのが、国宝<東大門>。
<東大門>をくぐると、東院伽藍までの参道が数百m伸びる。
東院伽藍の入口、重文<東院四脚門>。鎌倉時代建立。
塔院伽藍の<水屋>。
塔院伽藍のメイン、国宝<夢殿>。奈良時代建立の八角円堂。堂内には、聖徳太子の等身像とされる国宝<観音菩薩立像(救世観音)>、国宝<行信僧都坐像>、国宝<道詮律師坐像>、重文<聖観音立像>を安置。
※重文の<南門>が工事中のため、南西側から<夢殿>を撮影。
<夢殿>の北側にある<絵殿及び舎利殿>。左側が<絵殿>、右側が<舎利殿>。鎌倉時代の建立。国指定の重要文化財。
<絵殿>と<舎利殿>の間の通路。奥に見えるのが、国宝<伝法堂>。
国宝<伝法堂>は、聖武天皇夫人、橘古那可智の住居が東院に移築奉納された建物。
<伝法堂>の東側に建つ、国宝<鐘楼>。ここで東院伽藍は一通り拝観完了。
帰りの途に就く。西院伽藍に戻って、もう一度<中門>と<五重塔>。
最後に、南大門を通して見た<中門>と<五重塔>。よく映える!
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