ほうりゅうじ|聖徳宗
法隆寺のお参りの記録一覧(4ページ目)
法隆寺を参拝。
法隆寺へ来るのは30数年ぶり(40年近くなるのか)です。
南大門
中門越しに五重塔が見えます。
五重塔と金堂
御朱印
「以和為貴」
書き終わったあと「わをもってとうとしとなす」と文字の説明を受けました。
御朱印
「峰薬師如来」
西円堂でいただけます。
《聖徳太子ご霊跡巡り その14》
日向寺を後にし、本日の最終目的地へ。
第14番霊場「法隆寺」です。
皆さんよくご存じのことでしょう。
古代寺院の姿を今に伝えてくれるお寺であり、聖徳太子ゆかりの寺院です。金剛寺ゆかりの止利仏師の最高傑作、国宝釈迦三尊像を見てきました。
その15へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtr/Dgtks/14324/176163/
その13へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtr/Hmgtrtm/Dmmgt/13543/174878/
《ご朱印》
第14番「尺寸王身仏像」
《南大門》
《ご由緒書》
《中門》(国宝)
《五重塔》(国宝)
《金堂》(国宝)
1400年の時の流れで失われたり形を変えてしまった寺院が多い中、その姿をとどめていることのなんと尊いことか。
(-人-)
《廻廊》(国宝)
《大講堂》(国宝)
左から金堂、中門、五重塔
《鐘楼》(国宝)
《聖霊院》(国宝)
ご朱印はコチラでいただけます。
《絵殿》(重要文化財)
《舎利殿》(重要文化財)
《伝法堂》(国宝)
《夢殿》(国宝)
夢のような空間、夢のような時間。
金堂の釈迦三尊像、大宝蔵院の夢違観音、玉虫厨子、百済観音像…。どれも忘れたくなくて目に焼き付けました。
何度でも訪れたくなる場所でした。
6月15日・・・
クラウドファンディング終了😢
おぼけーっ私OUT
涙の過去参拝記録画像です
6月15日、奈良県斑鳩町の世界遺産・法隆寺は、コロナ禍で参拝客が減り、運営が厳しいとして、クラウドファンディングで寄付を募る、と発表されました。
参拝客がコロナ禍前の半分以下に落ち込み、拝観料の収入が大幅減。約18万平方mに及ぶ敷地の設備の管理や、樹木の手入れなど、日常の運営費が足りなくなったのが理由でした。
「奈良にある法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺など観光寺院は、檀家や墓を持たず、収入源は、全国から来る参拝者の拝観料のほか、寄進や写経などの料金です。 法隆寺に所蔵されている国宝や重要文化財など約2500点の修理には、国の補助がありますが、それ以外の美術品の修理費や敷地の管理は、拝観料で賄ってきました。そのため、参拝客が減ると運営に大きな打撃を受けてしまうのです」
目標額は2000万円。
クラウドファンディングのサイト「READYFOR」上で
《世界遺産法隆寺―1400年の歴史遺産を未来へ―》として、6月15日午後2時から支援を募ったところ、わずか半日足らずで目標額を達成されました。
開始からわずか半日で目標額を達成したことについても、
《法隆寺は、目標額達成を受け、以下のように感謝の言葉を綴られました。
《皆様からの多大なるご支援により、支援募集開始の翌朝という予想もしていなかった早さで、第一目標金額の2000万円を達成することができました。これほどまでの反響をいただけるとは思っておらず、一同大きな驚きと共に、法隆寺を大切に想ってくださる皆様の存在、お気持ちを改めて感じ、感謝の念に堪えません。誠にありがとうございます》
~・~・~・~
五重塔の龍!
五重塔の天邪鬼
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺 マンホール
法隆寺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山の寺院。本尊は釈迦如来(国宝)。南都七大寺の一つ(諸説有)。別名は「斑鳩寺」、「法隆学問寺」など。ユネスコの世界遺産に「法隆寺地域の仏教建造物」の構成資産の1つとして登録されている。また境内は<国の史跡>に指定されているほか、建物だと南大門、金堂、五重塔、鐘楼、大講堂、夢殿などが国宝。仏像だと金堂安置、五重塔安置、講堂安置、大宝蔵院所在などの多くの仏像が国宝。国指定の重要文化財の建築物、仏像も多数ある。
創建は推古天皇15年(607年)、開基は推古天皇と聖徳太子。601年以降、聖徳太子が現在の東院伽藍の位置に斑鳩宮を建造、当寺はこの斑鳩宮に接して建立された。およそ19万㎡弱(東京ドーム4個分)ある境内は、金堂、五重塔と中心とした西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられる。西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群である。
聖徳太子による建立の後、聖徳太子の弟・来目皇子(くめのみこ)の子孫・登美氏が支配下に置いたが、平安時代初頭に復興・自立の動きをした。また平安中期の925年には西院伽藍のうち大講堂と鐘楼が焼失、室町時代の1435年には南大門を焼失するなど何度か火災に遭うが、大火災には遭っておらず建物、仏像などの文化財が現在まで残っている。
近世には、17世紀初めには豊臣秀頼が伽藍を修復、18世紀にかけては江戸幕府5代将軍・徳川綱吉とその生母・桂昌院が伽藍を修造した。
明治期に入ると廃仏毀釈の影響で資金難になり、管長の判断で聖徳太子画像など宝物300点を皇室に献納、金壱万円を下賜された(宝物は現在、東京国立博物館の法隆寺宝物館にて保管)。
仏教宗派としては、明治初めに真言宗に改宗したが、1882年に興福寺とともに法相宗として独立、1950年には法相宗から独立して聖徳宗を設立した。
当寺は、JR大和路線・法隆寺駅の北方2km弱の場所にある。徒歩30分ぐらい。国道25号線に面した参道入口から歩くと、広々とした参道の両側に土産物屋などが並んでいて、観光気分が盛り上がる。西院伽藍と東院伽藍は300mほど離れており、両方しっかり見て回るとそれなりの距離を歩くことになる。
参拝時は週末の朝一、開門時間の8時に西院伽藍からスタートしたが、参拝者はぱらぱら程度、職員数の方が多いぐらい。その後も参拝者はさほど増えなかった。拝観には、西院伽藍、東院伽藍、隣接の中宮寺と合わせて2時間ほどかかった。
※自分は「法隆寺」を小学生の時から知っているのに、学生時代の修学旅行でも大人になってからの個人旅行でも「法隆寺」には来たことがなかったので、いわば「憧れの法隆寺」として参拝。実際は境内は広々していて建物は立派で見どころもたくさん。でも参拝者が少なくて雰囲気がのんびりしている。すごく好印象!
国道25号線に面した参道入口と寺号標。
松並木の参道を数百m進むと、国宝<南大門>。三間一戸の八脚門。室町時代の1438年再建。
<南大門>は、当初中門前の石段上にあったが、寺域拡張で現在地に移築。
西院伽藍にかけての参道。
西院伽藍を代表する中門(中央)、五重塔(左)、金堂(右)の3建築物を望遠レンズで圧縮してみた。
国宝<中門>は正面が四間二戸、側面が三間の入母屋造の二重門。飛鳥時代建立。
<中門>にある日本最古(8世紀初頭)の仁王像の左側・吽形像。雨ざらしで補修が甚だしく、体部が木造の後補になっているとのこと。
右側の阿形像。力強い。
<中門>の左手前にある<世界遺産認定記念碑>。
西院伽藍の西廻廊の外側(西側)にある、国宝<三経院・西室>。三経院は住宅風仏堂で、西室は僧坊。いずれも平安期に焼失、鎌倉期の1231年に再建。
西院伽藍の西回廊の南端にある<拝観受付>。開門は8:00でそれまでは入れてもらえない。笑
受付から歩いてすぐ目に飛び込む、南側からの<五重塔>と<金堂>のツーショット。いずれも飛鳥時代建立。
国宝<五重塔>は、現存世界最古の木造五重塔で、高さは32.55m。初重から五重までの屋根の逓減率が高いのが特徴で、五重の屋根の一辺は初重のほぼ半分。
国宝<金堂>は、入母屋造の二重仏堂で、桁行五間、梁間四間、二重、初層裳階付。上層に部屋はなく外観のみ。
堂内には釈迦三尊像(国宝)、薬師如来坐像(国宝)、阿弥陀三尊像(重文)、四天王立像(国宝)、毘沙門天・吉祥天立像(国宝)を安置。
<五重塔>と<金堂>の奥にある、国宝<大講堂>。桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺。平安中期990年の再建。
堂内には薬師三尊像(国宝)と四天王像(重文)を安置。
この日は風が強く、正面の寺幕が思いっきり巻き上がって、国宝<薬師三尊像>が外から丸見え(堂宇内は撮影禁止)。
<大講堂>の西側、<西回廊>の北端にある国宝<経蔵>。奈良時代建立。内部に観勒僧正坐像(重文)を安置。内部非公開。
<大講堂>の東側、<東回廊>の北端にある国宝<鐘楼>。平安時代建立。
<大講堂>の裏手にある、重文<上御堂>。鎌倉時代建立。内部に釈迦三尊像(国宝)、四天王像(重文)を安置。
こちらは風と関係なく、国宝<釈迦三尊像>が外から丸見えだったので望遠レンズにて(堂宇内は撮影禁止)。
北側からの<金堂>、<五重塔>のツーショット。写真構図上はベストか。
国宝<回廊>の東側。飛鳥時代建立。
<東回廊>の南端にある西院伽藍の出口を出て、すぐ左手(東側)にある<聖霊院>の<水屋>。
国宝<聖霊院(しょうりょういん)>。聖徳太子を祀る堂宇。鎌倉時代建立。聖徳太子と眷属像(国宝)、如意輪観音半跏像(重文)、地蔵菩薩立像(重文)を安置。<聖霊院>の後方にある僧坊<東室(ひがしむろ)>も国宝で、奈良時代建立。御朱印はこちら。
東室に並行して建つ、東室の付属建物、重文<妻室(つまむろ)>。平安時代建立。
<妻室>の東側に建つ、国宝<綱封蔵(こふぞう)>。寺宝を保管するための高床式の蔵で、2つの蔵を1つの屋根で覆っている。平安時代建立。
<綱封蔵>の奥にある、国宝<食堂(じきどう)>。奈良時代建立。食堂本尊は薬師如来坐像(重文)。
<食堂>の奥にある、<大宝蔵院(百済観音堂)>。1998年建立。百済観音像をはじめとする寺宝を公開している。多くの国宝、重文が展示されている。
写真撮影位置が<大宝蔵院>の入口で、中庭を囲むように拝観順路が設定されている。正面の堂宇には、主役の国宝<観音菩薩立像(百済観音)>が安置されている。
順路を進むと中門前に繋がっている東西参道に出る。東に向かうと見えるのが、国宝<東大門>。
<東大門>をくぐると、東院伽藍までの参道が数百m伸びる。
東院伽藍の入口、重文<東院四脚門>。鎌倉時代建立。
塔院伽藍の<水屋>。
塔院伽藍のメイン、国宝<夢殿>。奈良時代建立の八角円堂。堂内には、聖徳太子の等身像とされる国宝<観音菩薩立像(救世観音)>、国宝<行信僧都坐像>、国宝<道詮律師坐像>、重文<聖観音立像>を安置。
※重文の<南門>が工事中のため、南西側から<夢殿>を撮影。
<夢殿>の北側にある<絵殿及び舎利殿>。左側が<絵殿>、右側が<舎利殿>。鎌倉時代の建立。国指定の重要文化財。
<絵殿>と<舎利殿>の間の通路。奥に見えるのが、国宝<伝法堂>。
国宝<伝法堂>は、聖武天皇夫人、橘古那可智の住居が東院に移築奉納された建物。
<伝法堂>の東側に建つ、国宝<鐘楼>。ここで東院伽藍は一通り拝観完了。
帰りの途に就く。西院伽藍に戻って、もう一度<中門>と<五重塔>。
最後に、南大門を通して見た<中門>と<五重塔>。よく映える!
聖徳太子ゆかりの法隆寺に約50年ぶりに行ってきました!
「和を以って貴しと為す」の御朱印をいただきました!
西院伽藍の五重塔と金堂です!
東院伽藍の夢殿です!
世界文化遺産登録の石碑です!
日本で最初に世界遺産に指定された寺院です。
聖徳太子が父である用明天皇のために発願されて、615年に完成しました。
大きく3つのエリアに分かれています。
中門です。
西円堂。
「峯の薬師」と呼ばれる薬師如来が祀られています。
こちらでも御朱印をいただく事が出来ます。
西円堂から見た五重塔。
五重塔です。
金堂です。
釈迦三尊、薬師如来、阿弥陀三尊等が祀られています。
経蔵です。
大講堂。
薬師三尊が祀られています。
聖霊院。
聖徳太子尊像が祀られています。
御朱印はこちらでいただけます。
ちなみに、当寺院の御朱印帳には「憲法十七条」の部分が掲載されています。
大宝蔵院と百済観音堂。
名宝が安置されています。
また、玉虫厨子が安置されています。
夢殿。
太子供養の伽藍で太子信仰の聖地です。
10月から1か月間、本尊の特別開帳がされていました。春にも行われます。
舎利殿です。
奈良と言えばこのお寺ですね。東大寺と並び修学旅行のメッカですよね。
小学校の修学旅行、大学の卒業旅行に続き三度目の訪問ですが、やっぱりその時々で考えも,
印象も違いますね。
でも、いつ来ても、圧巻の素晴らしさです。特に、飛鳥時代の伽藍配置、仏像の素晴らしさ、教科書で習ったエンタシス、アルカイックスマイル、聖徳太子の教えが至るところに見られます。
応時の栄光繁栄と衰退を肌で感じられます。
法隆寺は聖徳太子の怨念を封じ込めるために、蘇我氏が建立したとの説がありますが、山門の真ん中に柱を建てて聖徳太子が出られないようにしているというのが、現実味を帯びて見えます。
境内が広く、玉砂利が敷いてあるので、少し歩きづらいです。
東大寺から始まって、一日中歩き回った後の訪問でしたので、感動とともに、拝観後はくたくたになったのを覚えてます。
少し混んでますが、時間をたっぷり取って、ゆっくり拝観するのが、おすすめです。
教科書で見たことのある国宝がたくさん見られますよ。
到着は3時前だったのですが、近くの駐車場はすべて満車、少し離れたところに停めました。
やはり夕方はまだまだ人通りが多く、拝観も賑やかでした。
中門越しに五重塔を望む
金堂と五重塔
中門
講堂
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