ほうりゅうじ|聖徳宗
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法隆寺様の創建は607年です。
これはイスラム教の成立が612年とされている事と比較しても歴史の深さを感じられます。
法隆寺様の僧侶は創建から暫くは東室、西室、北室で止住されていました。しかし、11世紀末から12世紀初頭に掛けて落雷や火災や倒壊でこの三つを失います。東室は規模を縮小して再建されましたが残りは このタイミングでは再建されていません。
それに替わる坊舎として塔頭が建てられます。
瓦坊という塔頭が別当の生活の場とされていたのですが、瓦葺きいうことで それが院名になるほど当時は特別な仕様でした。その他の塔頭には築地もなく仕切りは曖昧で、屋根は茅葺きの簡素な造りのものだったようです。
法隆寺様の僧侶には当時の南都の大寺院と同じく身分制度がありました。
☆学衆
貴族の子弟など身分の高い人が取り立てられる。
学究に取り組み研鑽を重ねる僧侶。
☆堂衆
家柄などは問われない。
行事や法要を執り行い、夏は安居禅行を修する僧侶。
☆承仕
若年者で学衆に仕える僧侶。
上の二つの階級は確執が深く、1435年には争いから堂衆により南大門が焼き払われます。
学衆は主に西院の塔頭に、堂衆は主に東院の塔頭にと別れて止住していたことで、憂慮した織田信長により一時は西寺と東寺に分割されたりした時期もあります。
羽柴秀長が大和に入国すると法隆寺様の寺領は一気に召し上げられます。
このような流れの中、江戸初期に向けて塔頭は全盛期を迎え68院を数えました。また、封建制度が定着したこともあり、学衆と堂衆は「学衆上位」として歩みよりをみせます。
しかし、徐々に経済的に困窮し早くから瓦葺きなど寺院の手入れをされていない塔頭は次々に荒廃していきます。
ここに更に追い討ちをかけたのが明治維新の廃仏毀釈です。役所に廃院願いを提出する塔頭が続出します。
もはや法隆寺様自体の維持も困難を極める状態となり、寺宝を皇室に献納することで困窮を抜け出したりもしましたが、その時の同意文書の署名は残った12の塔頭の御住職だけでした。
現在は山門や表札のみが残り、往時の面影だけを観ることが出来る塔頭寺院が多数ありました。
お参りしている最中も不思議に思っていたのですが調べていく内に納得がいきました。

法隆寺と言えば聖徳太子。義務教育の年齢で教えられてきた。
自分が下調べもせずに何とかなるだろう、と軽い気持ちで行ったものだからいけないのだが、広すぎた。
入館受付女性の関西弁が全く何を言っているかわからないのだ。
え?どういう順路なの?結局、御朱印所はどこなのよ?
もう、行き当たりばったり、突っ切るしかない。
で、ある場所で、あ!御朱印所の入口に傘を忘れた!と気づき、戻ろうとすると、
「何やってんねん。順路ちゃうやろ」
と、男性、女性、両方のスタッフから言われたのだ。
え?傘を忘れてしまったので。。。
と説明しようにも、そんなキツイ言い方をしなくてもと泣きそうになった。
受付でも、
「順序ちゃうねん。何してんねん」
と言われたもので、
「すみません。そこの御朱印所の入口に傘を忘れてしまいまして。雨が降りそうなのに、駅までコンビニもないですし」
と説明する。
そんなこんなで泣きそうになりながら傘を取り戻したところに、空から雨が降り出した。
高齢女性の涙を誤魔化す雨やあ♪
最後の夢殿のスタッフの対応がとてもよく救われた。
教えてもらわなければ、Googleマップの案内に従い、中宮寺まで遠回りの猫が通るような道を通ったであろう。斑鳩神社も教えていただいた。感謝で終わったのであった。



令和6年(2024年)7月18日(木)
奈良県斑鳩町の法隆寺に参拝
祇園祭の先祭を見に京都に行き、神幸祭が終わった翌朝に奈良に移動
法隆寺駅北口から降りて法隆寺に向かう。商店街を歩いて大通りに出てそこから北に向かい、途中で左折してだらだら歩いていると法隆寺の真正面に出た。
そこから大通りを渡り松の間を通っていく。
まっすぐ歩いて南大門に到着。さらに進むと中門があり、仁王像が左右からにらんでいる。この中門が問題の門。真ん中に柱があるのだがそれが何を意味しているのか。それを明らかにしようとしたのが梅原猛「隠された十字架」だった。
左に向かうと拝観入り口がある。1,500円。さすが世界遺産、と言いたくなる拝観料ではある。
西院に入ると、五重塔と金堂が並んでいる。やはりよくできた配置だと思う。
金堂に入り、本尊の釈迦三尊像などを拝観。壁には壁画が見えるのだが、あれって、復元した物のはずだと思うのだが、そのあたりの解説みたいなのがどこかにあった方が良いのだと思う。
そして、五重塔の方は、4つの入り口から塑像が見えるのだけれど、おそらく鳥防止と思われる網があるので中の様子がさっぱりわからない。五重塔の上のところに鎌がついているのが法隆寺の謎の一つになっている。
北側の大講堂には大きな薬師三尊像。
それにしても、暑すぎるからかもしれないのだが、参拝客が意外に少ない。私の他には数名しか見当たらない。
世界遺産 酷暑のたまもの 独り占め
回廊部分の柱は真ん中の部分が少し太くなっていて、以前はこれはギリシア建築の影響を受けたエンタシスだみたいな話だったけれど、最近はそう言わないらしい。解釈が時代によって変わるのはよくあることなのだろうか。
回廊から退出し、順路どおりだと大宝蔵院に行くところだが、その逆の方すなわち西側の奥の方の小高いところに上ってみる。ここは前にも来たことがあるのだが、「峯の薬師」と呼ばれる薬師堂。お顔は隠れていてよく見えないのだがとにかくかなり大きそうな仏像があることはわかる。せっかくなので御朱印をいただく。直書き300円。
ここからは先ほど行った五重塔もよく見える。
降りて休憩所でしばし冷房にあたる。やはりしんどい。
大宝蔵院へ。国宝がずらり、というすごい場所。
やはり目玉は、この館の中でも特別な扱いの場所にある百済観音だろう。全体的にひょろひょろっとしている印象で、「美しい」と感じるかと言われると微妙であり、むしろ不気味な感じがするのだが、なんとも言えない、この世の物ではない雰囲気を感じさせる。
東院の夢殿は少し離れている。猛暑の中てくてく歩いて行く。先ほどの1,500円の拝観券は西院、大宝蔵院、東院の3カ所には入れるという物。
夢殿をぐるりと回る。
ここからは中宮寺にも行けるのだが、今回はそちらは見送る。
このような位置関係だと中宮寺も法隆寺の一部分のように見えてしまうけれど、二つの寺はどういう関係にあるのだろう?





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