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春日大社は、奈良県奈良市にある神社。式内社(名神大)、二十二社(上七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約1,000社ある春日神社の総本社。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。
奈良時代の768年に平城京の主と五国民の繁栄を祈願するために藤原永手が創建。中臣氏、藤原氏の氏神である春日神を祀る。春日神は主祭神4柱の総称で、武甕槌命(たけみかづち:常陸国鹿島の神;藤原氏守護神;第一殿)、経津主命(ふつぬし:下総国香取の神;第2殿)天児屋根命 (あめのこやね:河内国平岡の神;藤原氏祖神;第3殿)、比売神(ひめがみ:天児屋根命の妻;第4殿)。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛し、平安時代初期には当社例祭の「春日祭」が官祭(勅祭)とされた。850年には武甕槌命と経津主命が、940年には天児屋根命が、朝廷から神階の最高位である正一位を授かった。927年の延喜式神名帳では「大和国添上郡 春日祭神四座 並名神大 月次新嘗」と記載されている。
藤原氏の氏寺である興福寺との関係が強く、平安時代初期の813年に藤原冬嗣が興福寺・南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音(ふくうけんさく~/ふくうけんじゃく~)が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていき、平安時代、鎌倉時代、室町時代と長きにわたり、実質的に大和国を支配した。ただ、安土桃山時代に入り織豊政権に屈し、所領は大きく制限され、江戸時代も同規模で推移した。
明治時代に入り神仏分離令で興福寺が衰退する中、「春日神社」と改称し官幣大社に列した。昭和戦後に入り、他の多くの春日神社との混同回避のため「春日大社」と改称した。
当社は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで20分ほどの春日大社前バス停すぐの場所に二の鳥居がある。境内は透塀で囲われた神域以外にも非常に広く、社の数も非常に多い。丁寧に見て廻ろうとすると1、2時間では足りない感じ。
参拝時は週末の夕方で、雨は土砂降り、16時以降につき神域内の社殿の有料拝観はすでに終わっていたが、老若男女問わず多くの参拝者が来ていた。16時以降でも社務所は開いていて、御朱印は拝受することができた。
※春日神社前バス停から、あまり考えずに坂道を上がって行ったら、正門である南門ではなく、桂昌殿脇の進入不可の門に到達し頭が混乱。それは良しとして回廊伝いに何とか参拝所まで来ると、メインの特別拝観(神域の有料拝観)はすでに時間外で終了。これには大ショック。
早々の再参拝決定につき落ち込むが、せめて何かしっかりやって帰ろうと境内案内図を見て考え、今回は境内南部の摂末社を廻る「福の神 若宮十五社めぐり」を完璧に廻ることにした。
次回参拝時までペンディングなのは①「御本殿特別拝観 回廊内巡りと、②「開運招福 水谷九社めぐり」(境内北西部の摂末社を廻るもの)。

768年に称徳天皇の勅命により創建。
国家国民の守護神であり藤原氏の氏神として朝廷からも手厚く保護され、現在では全国三千社以上の春日神社の総本社です。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、春日社は法相擁護の神であるとして、947年から春日社の社領で読経を開始し、江戸時代まで神仏習合の状態が続いていました。
平氏の南都焼き討ちに際し、春日東西両塔は罹災したが、春日社には平氏の乱入がなく、かえって南都復興が公家・武家から祈願され春日社は栄えます。
明治四年に官幣大社春日神社、昭和21年春日神社を春日大社に改称。
石燈籠などを観ると、現在も春日社を継承しているようです。
参道部分と本社関係を分割して投稿します。
参拝が三月でしたので華やかな草木の絵が無く寒々してますが、藤の花が咲くころがお勧め。
今年になって御朱印は書置きでした。
私もその一人ですが、朱印帳の直書きにこだわりのある方はご確認ください。
春日大社には二千を超える石燈籠があると言われ、有名な燈籠も数多くあり一冊の本が書けるほどあるようです。ご興味のある方は研究してみてください。

一の鳥居
平城京の東京極となる東七坊大路(京街道)に面し、三条大路(三条通り)の東端に位置します。
木造の春日鳥居で柱間5.2m、高さ6.75m、柱径98cmの大鳥居。
社伝では836年創建、文献上では11世紀中ごろには確認されるようです。
江戸時代の1634年に造り替えされて事が知られるが、その後の沿革がはっきりせず、現在の鳥居の建設年次がはっきりとしません。
昭和36年9月16日の第二室戸台風で倒れ、修理復旧されています。
柱は八角の杉柱を心柱とし、桶側式に檜厚板16枚を張りたて円柱として、地下1.9m下の礎石上に掘立として建てられています。

影向の松 ヨウゴウノマツ
春日の神の姿が現れたという、周囲3.3m樹高18m、樹齢約300年の黒松であったが、平成になって枯死し、後継樹が育っています。
能舞台の鏡板に描かれる松は、神の依代でこの影向の松がルーツだと。

本社・摂社・末社を周ってみました。
若宮十五社めぐりや水谷九社めぐり、一部断片を投稿しました。

若宮十五社めぐり 若宮
天児屋根命の御子・天押雲根命アマノオシクモネノミコトを祀る。
社伝では、若宮は長保五年(1003)年に母神の本社第四殿に出現されたとされ、長承四(1135)年に若宮社の社殿が創建された。
春日若宮おん祭は、長承三年の飢饉により関白藤原忠通が五穀豊穣を祈り、
保延二(1136)年九月十七日に創始されたものとされる。
室町時代の応承頃から、旧暦十一月十七日に行われるようになり、
江戸時代には興福寺に代わり幕府が祭礼費用を負担し、
徳川将軍の名代として影向の松」の下で、おん祭の検分を行うことは奈良奉行の重要な職務であった。
明治三十三年以降、新暦十二月十七日に固定された。「

若宮十五社めぐり
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