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春日大社のお参りの記録一覧
奈良県 近鉄奈良駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年04月21日(火)3428投稿

春日大社は奈良県奈良市の奈良公園にある神社です。
昨日 白毫寺に藤の花を見に行ったのですが ほとんど咲いていなくて残念な思いをしました。
今日こそ咲いている場所を・・・とチョイスしたのが春日大社(万葉植物園)です。
春日大社の回廊内特別拝観が9時からでしたので その時刻に合わせて参拝しました。

駐車場からはずいぶん離れていますが 一の鳥居をくぐり 二の鳥居をくぐり 手水で清めたら祓戸神社で本殿参拝の準備をします。
祓戸神社は 本殿へ参拝する前に立ち寄って心身を清める場所です。
御祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で 参拝者が知らず知らずのうちに犯した罪や 心についた穢れ(けがれ)を祓い清めてくださる神様です。
ここで清めることで 初めて本殿の神様の前に立つ資格が得られると考えられています。
南門をくぐる前に 榎本神社にも参拝します。
榎本神社は 春日大社が創建される前からこの地に鎮座していたとされる「地主神」を祀る神社です。
御祭神は 猿田彦大神で ご利益は道開き・長寿・厄除けと言われています。
南門のすぐ前には 出現石があります。
出現石は 南門のすぐ手前 参道の地面にひょっこりと顔を出している不思議な石のことです。
一見すると道端にある何の変哲もない石のように見えますが 実は春日大社のなかでも非常に重要な聖域の一つとされています。
最も古い伝承では 太古の昔に神様が降臨された神聖な「磐座」であるとされています。
春日大社が創建される以前からの原始的な信仰の対象だったと考えられています。

南門を入ると 砂ずりの藤が咲いていました。
まだ二分咲きだそうですが 熊蜂がぶんぶんとんでいて 良い香りがしました。
ひとまず満足して いよいよ回廊内特別拝観です。
本殿での参拝のできる拝観コースを選びました。
入ってすぐに境内末社が4基あります。
井栗神社:祭神は高御産霊神
穴栗神社:祭神は穴次神
辛榊神社:祭神は白和幣
青榊神社:祭神は青和幣

本殿の中門から先には入れません。
中門の横には 「手力雄・飛来天神社参拝所」があります。
この2つの神社は 通常は直接間近まで行くことができない場所に位置しているため この参拝所からお参りする形になります。
東回廊をぐるっとまわっていったん外に出ます。
本殿東側 お山の麓に「御蓋山浮雲峰遥拝所」があります。
春日大社の第一殿にお祀りされている武甕槌命は 奈良時代の初め 平城京を守るために茨城県の鹿島神宮から白い鹿の背に乗ってやってきたと伝えられています。
その際 最初に着地された場所が御蓋山の山頂にある「浮雲峰」です。
「御蓋山浮雲峰遥拝所」は 神様が初めて降り立った山頂を 遠くから拝むための場所です。

再び回廊の内側に戻ってきました。
春日大社で最も目立つのは 大きな杉の木です。
本社大杉の樹齢は1000年ともいわれる巨木です。
本殿まわりにはいくつもの境内末社があります。
岩本神社:祭神は筒男命・中筒男命・底筒男命
風宮神社:祭神は級長津彦神・級長津姫神
椿本神社:祭神は角振神
椿本神社:祭神は角振神
栗柄神社:祭神は火酢芹命
海本神社:祭神は大物主神
杉本神社:祭神は大山咋神
佐軍神社:祭神は布津之霊

本殿裏手には 藤浪之屋があります。
藤浪之屋は 昼間でも万燈籠の幻想的な雰囲気を体験できる場所です。
本来 春日大社の約3,000基もの燈籠に火が灯る「万燈籠」は 年に数回(節分と8月のお盆)しか行われません。
しかし この藤浪之屋の中では その美しさをいつでも見られるように再現されています。
特別拝観を終えて 次は燈籠が並ぶ禰宜道を歩きました。
「春日大明神」と書かれた燈籠を3つ見つければ 生涯お金に困らないそうです。
私は2つしか見つけられませんでした。
なにせ文字が読みにくいのです。
また再チャレンジします。

この後 若宮十五社巡りと春日五大龍神巡りと水谷九社巡りをするのですが それはまた別投稿にさせていただきます。
ネット情報も 今回は割愛させていただきます。

春日大社(奈良県)

一の鳥居 ずいぶん離れています

春日大社(奈良県)

神鹿の銅像

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k0512
k0512
2026年01月27日(火)1744投稿

全国に約3,000社ある春日神社の総本社で、ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されています。

768年に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀り、主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とします。

藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、813年に藤原冬嗣が興福寺に南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音は、春日社の第一殿の祭神・武甕槌命の本地仏であるとされました。
神仏習合が進むにつれて春日社と興福寺は一体のものとなっていくと、春日大明神は法相擁護の神とされ、947年からは神前読経が始められました。

神前読経は当初は興福寺の僧だけではなく東大寺の子院・東南院の僧も行っていて、1100年に白河法皇は神前での一切経読経のために一切経蔵を春日社に寄進すると同時に、読経をするのに必要な経費を得るための所領として興福寺子院大乗院に越前国坂井郡河口荘を寄進しています。
ただし、僧は本殿がある内院には入れませんでした。

興福寺や東大寺が平清盛と対立すると1181年12月28日に平重衡によって南都焼討が行われました。
これにより、春日社に隣接している興福寺と東大寺はほぼ全焼し、壊滅的な被害を被りました。
その一方で春日社は春日西塔と東塔が焼失した他、当寺は春日社の摂社で現在は大神神社の境外摂社となっている率川神社が全焼する被害が出ましたが、主要部はからくも被害を免れました。

戦国時代になると全国の荘園は各地の武将に横領されて収入は激減し、興福寺衆徒であった筒井順慶などが織田信長の家臣となるなどし、興福寺と春日社の威勢はすこぶる衰えていきました。
1580年には興福寺は2万1,000石、春日社は1,400石の石高しかなくなっていました。

豊臣秀吉の天下統一後の1595年には、春日社は秀吉により大和国添上郡大柳生、東九条、中城、大江に3,206石の所領を認められました。

参拝者が沢山いて、混んでました💦
御朱印は書き置きのみでした。

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