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春日大社のお参りの記録一覧(10ページ目)
奈良県 近鉄奈良駅

穏暖
穏暖
2021年04月24日(土) 18時29分06秒
832投稿

春日大社に参拝しました。覗いてみたら空いてたので距離を取ってお参りしました。初めて参拝しましたが、石灯籠が立ち並ぶ長い参道を歩いて拝殿へ。ご神域の緑を背景にして朱が映えます。灯籠の間から顔を出す小鹿が人気者になってました。

春日大社の御朱印

御朱印です。シンプルです。

春日大社の鳥居

二の鳥居。

春日大社のその他建物

参道の石灯籠。とにかくたくさんあります。

春日大社の山門・神門

南門。ここから中へ。

春日大社の自然

拝殿前の藤がきれいでした。

春日大社の山門・神門

中門。この奥がご本殿になります。

春日大社の自然

大杉。回廊の屋根を突き抜けてます。というか建物が後ですかね。

春日大社のその他建物

春日大社といえばの釣灯籠。万灯籠ではきれいでしょうね。

春日大社のその他建物

苔むした石灯籠。

春日大社の芸術

藤浪之屋の中です。幻想的。まっくらで足元も見えません。

春日大社のその他建物

別角度の大杉と中門です。

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惣一郎
惣一郎
2021年04月26日(月) 13時38分38秒
1269投稿

春日大社は、奈良県奈良市にある神社。式内社(名神大)、二十二社(上七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約1,000社ある春日神社の総本社。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。

奈良時代の768年に平城京の主と五国民の繁栄を祈願するために藤原永手が創建。中臣氏、藤原氏の氏神である春日神を祀る。春日神は主祭神4柱の総称で、武甕槌命(たけみかづち:常陸国鹿島の神;藤原氏守護神;第一殿)、経津主命(ふつぬし:下総国香取の神;第2殿)天児屋根命 (あめのこやね:河内国平岡の神;藤原氏祖神;第3殿)、比売神(ひめがみ:天児屋根命の妻;第4殿)。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛し、平安時代初期には当社例祭の「春日祭」が官祭(勅祭)とされた。850年には武甕槌命と経津主命が、940年には天児屋根命が、朝廷から神階の最高位である正一位を授かった。927年の延喜式神名帳では「大和国添上郡 春日祭神四座 並名神大 月次新嘗」と記載されている。
藤原氏の氏寺である興福寺との関係が強く、平安時代初期の813年に藤原冬嗣が興福寺・南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音(ふくうけんさく~/ふくうけんじゃく~)が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていき、平安時代、鎌倉時代、室町時代と長きにわたり、実質的に大和国を支配した。ただ、安土桃山時代に入り織豊政権に屈し、所領は大きく制限され、江戸時代も同規模で推移した。
明治時代に入り神仏分離令で興福寺が衰退する中、「春日神社」と改称し官幣大社に列した。昭和戦後に入り、他の多くの春日神社との混同回避のため「春日大社」と改称した。

当社は、JR奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バスで20分ほどの春日大社前バス停すぐの場所に二の鳥居がある。境内は透塀で囲われた神域以外にも非常に広く、社の数も非常に多い。丁寧に見て廻ろうとすると1、2時間では足りない感じ。

参拝時は週末の夕方で、雨は土砂降り、16時以降につき神域内の社殿の有料拝観はすでに終わっていたが、老若男女問わず多くの参拝者が来ていた。16時以降でも社務所は開いていて、御朱印は拝受することができた。

※春日神社前バス停から、あまり考えずに坂道を上がって行ったら、正門である南門ではなく、桂昌殿脇の進入不可の門に到達し頭が混乱。それは良しとして回廊伝いに何とか参拝所まで来ると、メインの特別拝観(神域の有料拝観)はすでに時間外で終了。これには大ショック。
早々の再参拝決定につき落ち込むが、せめて何かしっかりやって帰ろうと境内案内図を見て考え、今回は境内南部の摂末社を廻る「福の神 若宮十五社めぐり」を完璧に廻ることにした。
次回参拝時までペンディングなのは①「御本殿特別拝観 回廊内巡りと、②「開運招福 水谷九社めぐり」(境内北西部の摂末社を廻るもの)。

春日大社のその他建物

市内循環バスを降りた場所から素直に(?)坂道を上がって行く。

春日大社のその他建物

有名神社の参道にしては地味だな~、人がほとんどいないな~と思いながら、なだらかな坂道をさらに進むと、、、

春日大社の本殿・本堂

朱色の門があったので覗き込む。これが本殿?
なんか変。賽銭箱もない。進入禁止の看板。なんでかな?(他にも迷っている人が数名...)

春日大社のその他建物

右方向になだらかに下がって行く回廊があるので進んでみる。

春日大社の本殿・本堂

2つ目の門。もっと変。もちろん賽銭箱もない。もちろん進入禁止の看板。

春日大社の庭園

3つ目の門。やっぱり変だが、人が歩いているし、入れる状態になっている。

春日大社の庭園

藤の花が七分咲き。素直にきれい。当社の巫女さんは全員、藤の花をモチーフにしたかんざしを頭に付けている。
(巫女さんは撮影禁止と外国語での注意書あり。笑)

春日大社の本殿・本堂

やっと神社らしい建物が見えてきた。<拝殿>かな?

春日大社の本殿・本堂

<拝殿>だと思ったら、後で案内板を見ると<参拝所>とのこと。

春日大社の本殿・本堂

参拝所の奥には、特に何も見えない。うーん。。。

春日大社の本殿・本堂

唯一気になったのは、左端に巨大な樹木の根の部分があって、その大きさは見事。
参拝所の後ろには授与所がある。御朱印はそちら。

春日大社のその他建物

参拝所の右手に「特別参拝受付 500円」と書いた看板と建物があるが、よく見ると「本日の特別参拝受付は終了致しました」とある。
Σ(゚д゚lll)ガーン
社殿の主要なエリアが有料であることも、時間制限があることも知らなかったので、せっかく遠くから来たのに要再参拝に。敗因は事前調査をしなかったことなので分かりやすい...涙

春日大社の山門・神門

参拝所から振り返って<南門>を出る。随神門ではなくただの門。
自分の心を察してか、雨足が強くなり、大量の雨粒が写真にもしっかり写り込む。

春日大社のその他建物

ここでようやく境内案内板を発見。いかに順路を間違えたかを理解する。
ただ、このまま引き下がるのも悔しいので、せめて本殿以外の摂末社などをしっかり見て廻ろうと決める。

春日大社のその他建物

南門近くの、神域の南側にあるはずの<榎本神社>。遷座中でいきなり遙拝...涙

春日大社のその他建物

それでは今から、<福の神 若宮十五社めぐり>をすることに。神域の南側にある摂末社を廻る。

春日大社の鳥居

神橋を渡って参道を進むとすぐ左手に現れる<本宮神社遙拝所>。御蓋山の本宮神社を遙拝する。768年に本社第一殿の御祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が白鹿に乗って御蓋山頂上の浮雲峰に天降った神蹟。

春日大社の末社・摂社

さらに進むと、突き当りに当エリアのメインの<若宮>が見えて来る。右側の古巨木は<若宮大楠>。神功皇后の御手植えと伝わる。

春日大社の末社・摂社

<若宮>の手前に3つ社がある。こちらは参道左側に<②一童社(三輪神社)>。

春日大社の末社・摂社

参道左側、写真左は<③兵主神社>、右は<④南宮神社>。

春日大社の本殿・本堂

いよいよメインの<①若宮>本殿が鳥居と塀で覆われている。

春日大社の本殿・本堂

拝殿からの<①若宮>。

春日大社の本殿・本堂

横から見た造り。拝殿の背後に建物がある(この後の一部摂末社にもこの建物がある)。

春日大社の末社・摂社

右手の一段下がった場所にある<⑮夫婦大国社>。

春日大社のその他建物

<若宮十五社めぐり>の受付がこちら。受付をして玉串札を受け取り、各社・各遥拝所で札を納め、満願で御朱印とおしるしが授与されるとのこと(受付:9時から15時)。

春日大社の末社・摂社

参道左側、2社に対して鳥居が立っている。写真左は<⑤広瀬神社>、右は<⑥葛城神社>。

春日大社の末社・摂社

参道左側、<⑦三十八所神社>。

春日大社の末社・摂社

参道右側に、<⑦三十八所神社>に対応する建物がある。

春日大社の末社・摂社

参道左側、<⑧佐良気神社>。

春日大社のその他建物

参道左側、<⑨明恵上人解脱上人春日明神遥拝所>。

春日大社の末社・摂社

参道左側、<⑩宗像神社>。

春日大社のその他建物

参道左側、立札がないと見過ごしそうな<護摩壇>。弘法大師(空海上人)が護摩を焚いて祈願されたとのこと。

春日大社の末社・摂社

参道最奥、<⑪紀伊神社>。拝殿正面に対応する建物がある。写真左側には<龍王珠石>。善女龍王が尾玉を納めたという。

春日大社のその他建物

参道右側、<⑫伊勢神宮遙拝所(磐座)>。

春日大社のその他建物

参道右側、<⑬元春日枚岡神社遥拝所>。

春日大社の末社・摂社

参道右側、たくさん赤い幟が立っている<⑭金龍神社>。これで15社満願!

春日大社のその他建物

再び参道を戻る。参道両側に建つ、古い奉納燈籠の数が半端ない。

春日大社の山門・神門

再び<南門>。<若宮十五社めぐり>の所要時間は30分ほどであったが、満足度は高いかも。

春日大社のその他建物

ここから正規の<表参道>を下って、正規の境内入口の<二の鳥居>に向かう。

春日大社のその他建物

<表参道>の中ほどにある<到着殿>。

春日大社の手水舎

<二の鳥居>の近くに<伏鹿手水舎>。

春日大社の末社・摂社

<二の鳥居>の近くにある<祓戸神社>。

春日大社の鳥居

最後にやっと<二の鳥居>。狛犬にも歴史を感じる。

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湯守りと妖怪
湯守りと妖怪
2021年04月11日(日) 21時43分59秒
41投稿

768年に称徳天皇の勅命により創建。
国家国民の守護神であり藤原氏の氏神として朝廷からも手厚く保護され、現在では全国三千社以上の春日神社の総本社です。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、春日社は法相擁護の神であるとして、947年から春日社の社領で読経を開始し、江戸時代まで神仏習合の状態が続いていました。
平氏の南都焼き討ちに際し、春日東西両塔は罹災したが、春日社には平氏の乱入がなく、かえって南都復興が公家・武家から祈願され春日社は栄えます。
明治四年に官幣大社春日神社、昭和21年春日神社を春日大社に改称。
石燈籠などを観ると、現在も春日社を継承しているようです。

参道部分と本社関係を分割して投稿します。
参拝が三月でしたので華やかな草木の絵が無く寒々してますが、藤の花が咲くころがお勧め。
今年になって御朱印は書置きでした。
私もその一人ですが、朱印帳の直書きにこだわりのある方はご確認ください。
春日大社には二千を超える石燈籠があると言われ、有名な燈籠も数多くあり一冊の本が書けるほどあるようです。ご興味のある方は研究してみてください。

春日大社の鳥居

一の鳥居
平城京の東京極となる東七坊大路(京街道)に面し、三条大路(三条通り)の東端に位置します。
木造の春日鳥居で柱間5.2m、高さ6.75m、柱径98cmの大鳥居。
社伝では836年創建、文献上では11世紀中ごろには確認されるようです。
江戸時代の1634年に造り替えされて事が知られるが、その後の沿革がはっきりせず、現在の鳥居の建設年次がはっきりとしません。
昭和36年9月16日の第二室戸台風で倒れ、修理復旧されています。
柱は八角の杉柱を心柱とし、桶側式に檜厚板16枚を張りたて円柱として、地下1.9m下の礎石上に掘立として建てられています。

春日大社の自然

影向の松 ヨウゴウノマツ
春日の神の姿が現れたという、周囲3.3m樹高18m、樹齢約300年の黒松であったが、平成になって枯死し、後継樹が育っています。
能舞台の鏡板に描かれる松は、神の依代でこの影向の松がルーツだと。

春日大社のその他建物

春日塔跡
奈良国立博物館横の敷地内にその遺構が残る春日社の塔。
西塔は1116年に関白藤原忠実によって建てられ、東塔は1140年鳥羽上皇によって建てられる。
興福寺の五重塔と同じとされています。
治承の兵火で焼失、東塔は1217年・西塔は1246年に再建されるが、1411年の雷火でいずれも焼失、その後再建されていません。

春日大社のその他建物

馬出橋 まだしのはし
一の鳥居の東約150m付近にある参道最初の橋で幅約9m・長さ1.2mで、気付かずに通り過ぎる事が多いです。
春日若宮おん祭りの流鏑馬・競馬の出発点とされます。
もとは木橋で明治27年に、現在の擬宝珠高欄の石橋になっています。

春日大社の自然

ムクロジの大木
木の上部より竹が育っています。

春日大社のその他建物

春日若宮御旅所
1136年に始まったとされる春日若宮おん祭りの御旅所で、ここに仮宮をを建て神幸を仰ぎ一日の祭礼が奉賽されます。
春日若宮おん祭りは、12月に斎行される大和一国を挙げての大祭で、その中心的な祭典がここで行われます。
中央の芝舞台は芝居の語源とも言われています。
御旅所の右側にある長蔵は、明治初年に大乗院の長屋門の材を転用したものと言われています。

春日大社の庭園

浮見堂
宗教施設ではないので浮御堂とはなっていません。

春日大社の庭園

片岡梅林
古い年輪を重ねた木が多いです。

春日大社のその他建物

石燈籠
参道を横切る自動車道を渡った南側に、おそらく一番大きな石燈籠があります。
明治四十年に大阪の砂糖商伊藤茂七が寄進した石燈籠がデンと。
明治の汚職事件に、日本製糖会社が台湾における製糖を保護する法律の延長改正法案を通過させるため、有力衆議院議員を買収した日糖事件。
伊藤茂七は、この日本製糖会社の重役で、燈籠を寄進した翌年に逮捕されています。
お役人様に対する賄賂と接待は、今も昔も同じということですね。

春日大社の庭園

雪消の沢 ゆきげのさわ
古歌によく詠まれる有名な泉となっていますが、
鹿の水浴びで、水の少ない時は泥だらけの小池です。

春日大社の庭園

飛火野
雪消沢の東南一体は、明治23年に奈良離宮の用地となった場所。
大正14年に春日大社境内地に編入、春日野の原植生を物語るイチイガシの巨木が点在します。
明治41年、秋期陸軍特別大演習の賜宴会場として使用され、その玉座跡に記念して植えられた玉座の楠が大きく枝を広げています。

春日大社のその他建物

馬止橋 まどめのはし
万葉植物園・荷茶屋の前、水谷川が飛火野へ分水される流れに架かる橋。
馬場の終点に架かる橋。
ここは複数の道に分かれる分岐点であることから、仏教における六道輪廻を表す六道と繋がり、鎌倉時代には春日野の下には地獄が有るとする春日地獄の思想から、春日明神を信仰する人は地獄に落ちたとしても、地蔵菩薩がが救い出してくれるという信仰が広まっていました。

春日大社のその他建物

鹿苑
明治三十四年から武徳会の春日野馬場があった所で、昭和天皇の即位御大典を記念し、昭和四年に現在のコンクリート製の鹿苑が作られました。
鹿の角切りは、江戸時代第四代奈良奉行の溝口信勝が1672年に始めたもので、、中断再開を繰り返して現在にいたります。

春日大社の末社・摂社

末社 壷神社
南郷(高畑)と北郷(浮雲)の春日社家町の鎮守を明治十一年に合祀いたもの。
酒造業者の信仰により再興寄進される燈籠が多い。

春日大社のその他建物

車舎 くるまやどり
二の鳥居より以内は古くから乗物禁止、これから先の参道は石段が続き牛車は無理。
車舎は文字通りの車庫で、参詣時に牛車を置いた場所。
現在の建物は1632年のもの。

春日大社の末社・摂社

祓戸神社
瀬織津姫を祀る。本地仏は阿弥陀如来とされた。
祓の神で春日参詣にあたっては、社前の祓戸燈籠の火袋に置かれた祓串で自祓をおこなっていたとのこと。

春日大社の動物

祓戸神社の傍らには畳石があります。
畳一畳程度の大きさの石が無造作に、工事の石材の余分かと思いきや、
八万六千六百五十四の蛇毒神を封じてあると。
ピンときません。

春日大社の鳥居

二の鳥居

春日大社の手水舎

伏鹿の手水所
明治八年に造られた手水所。
当初の銅製鹿は昭和十八年に戦争で供出。現在の鹿は昭和二十八年のもの。
水鉢はもと榎本神社前にあったもので、横井宗清の寄進銘。
横井宗清は高天町の酒屋で寛永二(1625)年から14年間、毎年春日社に石燈籠を寄進しており、14基が確認されている。
春日大明神を念じ、博打で財を成したと伝え、寛永十九年に火災で財産を失ったのは神罰だと噂したと伝えます。

春日大社のその他建物

剣先道
参道から分かれ、藤鳥居を経て慶賀門に至る道で、藤原一門のみの参詣道とされる。
剣の先の形に石が敷かれ、剣先石は決して踏んではならないとされた。
藤の花が咲くころには通行も増えますが、かなり踏まれています。

春日大社のその他建物

到着殿
平安時代の989年、一条天皇の行幸時に行在所として用いられたという。
勅使参詣の際の到着をここで記す。現在の建物は1413年のもの。

春日大社の庭園

若草山を望みます。
日本固有の芝に覆われたなだらかな山、江戸時代からワラビ摘み・野遊びの山だあった。菅笠を三重にかさねたような山容から「三笠山」と呼ばれていました。
この呼称は幕末から明治初期に始まったようで、春日社の御蓋山(三笠山)との混乱が生じた。
昭和10年の三笠宮の官号制定により「三笠山」では不敬ということで「若草山」への統一が図られた。
山焼きの起源については、興福寺と東大寺の境界争いが五万日の奉行預かりとなり、境となる山を焼くようになった。
境界を双方立ち合いの上で焼き払って和解したのが起源とされていたが、十世紀頃には芝山となっており、江戸時代には毎年正月に野焼きを行っていたようで、最もらしい起源となっていますが、本当のことは、さて。
3月の第三土曜日から12月第二日曜の日中は入ることができます。
山頂の牛ケ墓や弁慶石、体力と気力が充実している時に登ってみます。
大正時代にはエスカレーター計画もあったようですが、不許可で正解でした。

春日大社の動物

鹿さん
明治初期の廃仏毀釈によって鹿を保護する機運が失われ、初代県令である四条隆平は、鹿は神仏の使いであるとの迷信を払拭するため鹿狩りを行った。
鹿はすき焼きにして食べられ、一時期絶滅の危機に瀕するほど頭数減らしました。
まどろむ鹿や、鹿せんべいを追いかけている姿に、住みやすい場所になったようです。
奈良の住民は早起きである。自分の家の前に死んだ鹿がいると大変なことになるから、早く起き死んだ鹿が家の前に置いてあったら、こっそり隣の家の前に移動しておかなければならない。だから早起きなんだと、有名なお話し。

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