はやぶさじんじゃ
隼神社奈良県 近鉄奈良駅
参拝自由
駐車場 | なし | ||
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御朱印 | - | ありません |
JR奈良駅から春日大社までの三条通りの一角に鎮座する神社です。本宮は春日大社末社として本殿裏に祀られている椿本神社で、こちらもかつてはその名前で呼ばれていたようです。除災招福の神様として崇敬されています。
《鳥居と境内》
本当にこじんまりと建ってます。近鉄奈良駅から降りた場合、一度南の通りを進むと見つかると思います。
《拝殿》🙏
中に入ることはできません。また南向きを固定されているようで真っ直ぐにはお参りできません。遥拝としては問題はないかと思います。
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
小さなお社ですがかなり事細かく書かれています。ここにある平安遷都と共に移って創建されたのが左京区にある梛神社・隼神社の隼神社としていますが、両社で共通見解ではないようです。しかし京都の隼神社の御祭神は春日四神のうちの武甕槌神・經津主神さまなので無関係ではないのかも?
ただ、春日大社の椿本神社が除災招福の御幣が授与できるほどに御神徳が高く、同じくあやかるために隼神社としてこちらに分社され、平安京遷都で分社され式内社になるほどに信頼されていたことが窺えます。春日神さまを守る神様から都を守る神様に。大躍進ですね。
「昔は春日山にあり、椿本の神祠という」と『大和志』には記されている。当初の祠は治承4年(1180年)の兵火で炎上し失われ、その後神木を祀るようになった。
由緒には「いつの頃からか神木の東に弁財天の小祠が設けられ、現在宗像神社として配祀されている。これはもと神宮寺の庭内社と称す。降って建治4年(1278年)興福寺の大火で再度の火難に類焼して終に現状の小祠となる」と記される。
平安遷都に伴い、この地から京都に分祀されたという。
名称 | 隼神社 |
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読み方 | はやぶさじんじゃ |
通称 | 角振明神 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
ご祭神 | 角振隼総別命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 舒明天皇僧安五年(655年) |
創始者 | 茅努王 |
本殿 | 春日造 |
ご由緒 | 「昔は春日山にあり、椿本の神祠という」と『大和志』には記されている。当初の祠は治承4年(1180年)の兵火で炎上し失われ、その後神木を祀るようになった。 由緒には「いつの頃からか神木の東に弁財天の小祠が設けられ、現在宗像神社として配祀されている。これはもと神宮寺の庭内社と称す。降って建治4年(1278年)興福寺の大火で再度の火難に類焼して終に現状の小祠となる」と記される。 平安遷都に伴い、この地から京都に分祀されたという。 |
体験 | 祭り |
概要 | 隼神社(はやぶさじんじゃ)は、奈良県奈良市角振新屋町(つのふりしんやちょう)にある神社。角振明神・角振隼明神等とも呼ばれ、椿本神社と呼ばれたこともある。鎮座する角振新屋町・角振町の町名の由来ともなった。 |
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歴史 | 歴史[編集] 「昔は春日山にあり、椿本の神祠という」と『大和志』には記されている[1]。当初の祠は治承4年(1180年)の兵火で炎上し失われ、その後神木を祀るようになった[1]。 由緒には「いつの頃からか神木の東に弁財天の小祠が設けられ、現在宗像神社として配祀されている。これはもと神宮寺の庭内社と称す。降って建治4年(1278年)興福寺の大火で再度の火難に類焼して終に現状の小祠となる」と記される[1]。 平安遷都に伴い、この地から京都に分祀されたという[1]。 ^ a b c d 引用エラー: 無効な タグです。「shishi」という名前の注釈に対するテキストが指定されて...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「隼神社 (奈良市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9A%BC%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%29&oldid=77492515 |
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