やくしじ|法相宗
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楽しみ方薬師寺のお参りの記録一覧(5ページ目)

藤原京からかなりの寺院が新しい都・平城京に移った大寺は、大官大寺は大安寺、法興寺は元興寺、厩坂寺は興福寺と、いづれもその名称を変えています。
薬師寺だけは、平城京に移ってもその名称を変えていません。
薬師寺は680(天武九)年に皇后ウノノサラノヒメミコ(後の持統天皇)の病気平癒のために天武天皇が建立を発願。
持統の病気は平癒したが、天武天皇は寺の完成を見る事無く686(朱鳥元)年に崩御。
そこで持統天皇が天武天皇の遺志を引き継いで薬師寺造営事業を継続。
688(持統二)年に法会を盛大に行われた。
寺院の創建の目的には、色々ある思われますが、薬師寺はその名のごとく薬師如来の力により病気に打ち勝つことを目的に建立。
遷都にあたっても寺名を変えなかったのは、創建の根本の理由が明確であったからであろうと想われます。
平安時代の973(天禄四)年の火災で金堂と東西両塔を残し焼失、その後も堂舎の再建と地震や火災による被災を繰り返す。
1528(享禄元)年に筒井順興の争乱により罹災、ほとんどの堂塔が灰燼に帰す。
その後は1600(慶長五)年に仮金堂、1852(嘉永五)年に小規模な講堂を再建、西塔は再建されず。
1967(昭和42)年、新しく住職となった高田好胤は金堂の復興を発願資金集めに着手。
新金堂が1976年に完成の後も、西塔・中門・回廊南・大講堂・北回廊・食堂と復興事業は継続されています。
現在の薬師寺の姿は多くの人々の支援によって実現したもの、1200年を超える時代をくぐり抜けてきた東塔と1981年に落成した西塔は、薬師寺の歴史そのもの、僧侶の努力と皆々の支援の大切さを感じます。
両塔の遠景
観光ポスター等でよく見る、大池よりバックに若草山の遠景。
薬師寺八幡宮 (休ヶ岡八幡宮)
薬師寺の鎮守として、別当栄紹が宇佐から勧請したと伝わります。
宇佐八幡神が東大寺に勧請される際、ここで休んだとしてこの名が残ります。
本殿には木造で国宝の三神像を祀っていたが、現在は奈良国立博物館に寄託。
孫太郎稲荷神社
南門
薬師寺の正面はこの南門だそうです。
平木大明神
弁財天
若宮社
勧進所
龍王社
東院堂
養老年間(717~724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈って建立、973(天禄4)年焼失。
現在の建物は1285年(弘安八)の再建で鎌倉時代の優れた和様建築。
当初は南面して建てられ、1733年(享保18)に西向きに変えられた。
中門
飛鳥時代の寺院は法隆寺のように二重造りの中門に金剛力士像を置いたが、奈良時代以降は南大門が二重になって力士像もそちらに移り一重の中門には仁王像を安置した。
復元では尊名を定めず、阿形(東)と吽形(西)の仁王像を安置、元来は塑像であったが木造で塑像風に造られた。
東塔
天平二年(730)に完成したと伝わります。創建当初から残る唯一の建築。
各層に裳階と呼ばれる小さな屋根があるため、一見すると六重塔に見えるが構造は三重塔。
西塔
東塔の調査をもとに復元。長年の間に部材が縮にだりめり込んだ部分を復元したため、東塔より若干高い。
金堂
大小の屋根が重なる軽快な姿は、平安時代から竜宮造りと呼ばれる。
使用された外回りの用材は台湾檜、現在は輸出禁止です。
大講堂
2003年(平成15)に落慶、古代伽藍では僧侶の学舎である講堂の方が金堂よりも大きく、この大講堂も白鳳時代の規模で再現。
食堂
平成29年再建。
不動堂
慈恩殿
まほろば会館
女性コーラスの美しい音色が聴こえました。
玄奘塔
仏教の聖典は実に多くかつ深いと。経キョウ・律リツ・論ロン・といういわゆる三蔵に総括される仏教経典に精通した僧侶には、三蔵法師の称号が贈られる。
三蔵法師といえば玄奘三蔵が思い出されるほど有名、「般若心経」は玄奘三蔵の翻訳によるといわれています。

2年前に薬師寺を訪れたときは、東塔は解体大修理中でした。 この度、念願叶って12年ぶりに蘇った国宝・薬師寺東塔を拝覧することができました。 裳階部分の白壁と空の青さ、芝の緑のコントラストが何とも美しく暫し時間の経つのを忘れ見入ってしまいました。 そして今回薬師寺さんを訪れたもう一つの目的が東塔の置物御神籤を戴くことでした。 薬師寺・東塔の置物御神籤、かなりレアです。置物御神籤コレクターとしては、土鈴やストラップ等では無く御神籤を企画・作成くださった薬師寺さんには感謝の一言でしかありません。
薬師寺・東塔
薬師寺・東塔
薬師寺・東塔(手前)と西塔(奥)
御朱印・釋迦如来
薬師寺東塔の御神籤

世界遺産、法相宗大本山『 薬師寺 』
少し時間が出来たので寄らせて頂きました。
特別公開されているところもあり
ゆっくり見たかったのですが時間がなく断念…
金堂
西塔
東塔
大講堂
蓮
御本尊(薬師如来)の御朱印
釈迦如来、限定の御朱印
西国四十九薬師霊場
第一番の御朱印
ロータスロード限定御朱印

薬師寺は、奈良県奈良市にある法相宗の大本山の寺院。本尊は薬師三尊像(国宝)。南都七大寺の一つ。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。また旧境内は<国の史跡>に指定されているほか、建物だと東塔、東院堂が国宝、仏像だと本尊の薬師三尊像、東院堂本尊の観音菩薩立像などが国宝に指定されている。南門、休岡八幡神社、休岡若宮社などが国指定の重要文化財。
創建は飛鳥時代の天武天皇9年(680年)に天武天皇の勅願により藤原京(現・奈良県橿原市城殿)に造営を始めたが、天武天皇は完成を見ず686年に没し、持統天皇、文武天皇が伽藍整備を引き継いだ。710年の平城遷都後、718年ごろに現在地(奈良市西ノ京)に移転した。
平安中期の973年の火災で金堂、東塔、西塔を残し多くの建物を焼失、戦国時代の1528年には興福寺衆徒による兵火で東塔、東院堂を残し全山焼失、結果、奈良時代の建物は東塔のみが現存。
1600年に金堂、1852年に大講堂が再建されたものの往時の大伽藍とは程遠かったが、1967年に管主・高田好胤が白鳳伽藍復興事業を開始し、1976年以降、金堂、西塔、中門、東西廻廊、大講堂、食堂(じきどう)と次々に再建した。
当寺は、近鉄橿原線・西ノ京駅の東側100mほどの場所にある。東西に走る公道を挟んで境内が南(白鳳伽藍)と北(玄奘三蔵院伽藍)に分かれているが、メインは南側。広大な境内にある伽藍はほとんどが南向きに建っているので、拝観受付は白鳳伽藍の北側と南側にあるが、南側から拝観する方が順当。拝観券は2種類あって、通常拝観券とプラス特別公開の拝観券がある。
参拝時は週末の昼ごろで、参拝者はそれなりにいたが、境内が広いので人が集まる状態にはならなかった。
白鳳伽藍の北側にある寺号標と<與樂門>。北方にある唐招提寺や西方にある西ノ京駅から歩いてくるとこちらに着く。
寺号標の裏にある<世界遺産認定記念碑>。
門をくぐって左手にある<拝観受付>。ここから境内を通過して南端の<南門>に向かう。
<南門>の軒下から見た<中門>。1984年再建。右上が<東塔>、左上が<西塔>。
<中門>右側の阿形仁王像。パステルグリーン×ゴールドでカラフル。
<中門>左側の吽形仁王像。パステルブルー×ゴールドでカラフル。
<中門>手前左側にある<水屋>。写真外左側に拝観受付がある。
<水屋>の後ろに神社が3つある。左端は<平木大明神社>、中央は<弁財天社>。
右端にある<休岡若宮社>。綺麗に塗り直してあるが、鎌倉時代末期の建立、一間社春日造。なにげに国指定の重要文化財。
中門をくぐって右手にある、国宝<東塔>。薬師寺唯一の奈良時代の建造物で730年建立。相隣含む総高は34.1mで、日本で4番目に高い仏塔(東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぐ)。見た目は六重塔に見えるが、三重塔で各層裳階付の構造。幾度と修理が行われ、最近では昭和、平成に実施。
中門をくぐって左手にある<西塔>。1528年に戦火で焼失、1981年に再建。
中門をくぐって正面にある<金堂>。1976年再建。内陣のみ鉄筋コンクリート、その他は耐久性のあるヒノキ材を使用。1600年再建の旧金堂は1975年に興福寺に移築、仮講堂となっている。
<金堂>内中央に安置されている、国宝<薬師如来像>。奈良時代の仏教彫刻の最高傑作の一つとされる。ちなみに、薬師如来が座る宣字形台座も国宝。建物外から見えたが、堂内は撮影禁止。
<薬師如来>の右側に立つ、国宝<日光菩薩像>。
<薬師如来>の左側に立つ、国宝<月光菩薩像>。
<西塔>と<金堂>の間にある<佐々木信綱歌碑>。東塔を題材とした句を詠んでいる。
その隣にある<会津八一歌碑>。こちらも東塔を題材とした句を詠んでいる。
<金堂>と<東塔>、その背後に<東回廊>。
「国宝 東塔 初層特別開扉」の拝観のために、東回廊の裏(写真左側)に向かう。
東塔から見て回廊裏にある、国宝<東院堂>。鎌倉時代の1285年再建。奈良時代に元明天皇の冥福を祈るため、娘の吉備内親王が建立した東禅院が前身。江戸時代の1733年に南向きから西向きに変更された。日本最古の禅堂。堂内厨子の本尊<聖観音立像>は国宝。
順路の矢印に従って進むと、中門まで戻らされて回廊の裏と表を歩き、東回廊中央に到着。初層開扉といっても入ることはできず、天井を見せるための写し鏡が扉内に設置されていた。
ここから金堂の北側に向かう。まず伽藍最大の建物<大講堂>。幅41m、奥行20m、高さ17m。2003年の再建。本尊は奈良時代の<弥勒三尊>で国指定の重要文化財。基壇には四天王と阿僧伽(あさんが)・伐蘇畔度(ばすばんどう)を祀る。後堂にはインド鹿野苑から唐・長安を経て遣唐使により伝えられたという、国宝<仏足石>を祀る。
大講堂の北側、その東側にある<鐘楼>。
大講堂の北側にある<食堂(じきどう)>。当日は<阿弥陀三尊浄土図公開>を開催。
食堂の西側にある<西僧坊>。当日は<水煙特別公開>を開催。東塔の相隣(てっぺんの部分)の展示。
東塔相隣の解説図(館内は撮影可と知って喜ぶ)。
こちらが<水煙>。高さが1.8m、重さが1枚当たり100㎏とのこと。塔の災い除けの意味があり、薬師寺東塔では水煙だが、他の塔では火焔文様が多いとのこと。
水煙に透かし彫りされた、笛を吹く飛天。
水煙には、飛雲の中に笛を奏で、花を播き、衣を翻して舞う24人の飛天が透かし彫りされている。
相隣の根元、<檫管(さつかん)>の部分にある銘文。東塔の創建経緯が129文字で記されている。奈良時代に刻んだものだと思うと、感動の一言。一見の価値、十二分にあり。
<食堂>の北側にある<不動堂>。
南側の白鳳伽藍を出て、公道を挟んで北側にある玄奘三蔵院伽藍に向かう。南側の公道に面した<大門>。
広場を通過して、遠方に見えるのが伽藍全体。
玄奘三蔵院伽藍の南側入口<礼門>。
伽藍の中央にある<玄奘塔>。

法相宗大本山薬師寺をお参りしました。
なんと高校の就学旅行以来、49年ぶりの薬師寺です。
ご本尊「薬師如来」と「聖観世音」2枚の御朱印を頂きました。
薬師三尊像(国宝・白鳳時代)が安置されている金堂の全景!
東塔(国宝・白鳳時代)
六層に見えますが三重の塔です。
大講堂
正面41m、奥行20m、高さ17mと伽藍最大の建造物です。
ご本尊は「弥勒三尊像」。

ステイホームな今日この頃。
年末のお参りを蔵出し投稿です。
奈良の世界遺産「薬師寺」へ。
薬師如来にお会いしに。
《駐車場からの参道》
《世界遺産の碑》
《中門:二天王像》
それでは参りましょうか。
《左:大講堂、右:金堂》
《左:金堂、右:東塔》
《回廊》
《西塔》
《金堂》
薬師如来、月光菩薩、日光菩薩がおられます。
いずれも国宝。
《東塔》(国宝)
30年ほど前、扉から内部を見た事が。
四天王像が安置されていた記憶があります。
やっぱり美しいですね…。
《大講堂》
弥勒三尊像などがおられます。
広い伽藍を堪能させていただきました。
そろそろお暇しましょうかね。
善き男子でありたいと思ってますので
使ってもよろしいでしょうか…。(´・ω・`)

薬師寺 参拝日 令和2年11月8日
西国四十九薬師霊場第一番の御朱印を頂きました
金堂
東塔
西塔
大講堂
食堂
鐘楼
東院堂
仁王門
西国四十九薬師霊場宝印帳のページ
西国四十九薬師霊場第一番の御朱印

夏の昼下がりに訪問。季節は秋のはずなのに真夏のような暑さでした。
西塔は新しくキレイでしたが、応時の面影を残すのにはきれいすぎて、やはり、趣のある東塔の方に魅了を感じてしまいます。
仏像は立派なもので、ゆっくり眺めても飽きが来ないです。
丁度何分か後に説法というか講話が始まるとの事でしたが、残念なことに、時間に追われる旅でしたので、時間が取れませんでした。
奈良を旅するのなら、細かい計画を立てずに、時間にゆとりを持って旅行するのがおすすめです。
このお寺は遠景がいかにも奈良っぽくて好きです。
工事中の東塔と金堂
新しい西塔
手前の橋の上から遠くに薬師寺を望む
薬師寺伽藍図
聖観世音菩薩像
薬師三尊像。やっぱり薬師寺はこれですよね。
薬師如来さまに病気回復をお願いしました
奈良県のおすすめ2選🌸
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