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御厨神社ではいただけません
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みくりやじんじゃ

御厨神社
三重県 松阪駅

参拝自由

社務所:留守なことが多いため要事前連絡

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり

お書入れ ・本社 ・飯野高宮神山神社(兼務社) ・松尾神社(兼務社) ・蘭宇氣白神社(兼務社) セルフで押印 ・松阪霊地七福神の印 書置き ・本社の御朱印

御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

その他の巡礼の情報

松阪霊地七福神(恵比寿)

御厨神社について

7月半ばに行われる松阪祇園祭りの神社です。

おすすめの投稿

神祇伯
神祇伯
2024年11月03日(日)
1454投稿

7世紀に創建された伊勢の神宮へのお供物を作る土地である「御厨」を社名を持つ神社です。神宮の御厨は全国に600箇所以上あったとされ、三重県内も神戸が点在しており、それぞれが御厨として機能していましたが、現在では社名として残っているのは桑名市に点在しているのを除くと当社のみです。

御厨神社(三重県)

《鳥居と社号碑》
三重県特有の白塗りの伊勢鳥居です。

御厨神社(三重県)

《手水舎》
水は出ます。

御厨神社(三重県)

《高春稲荷社》

御厨神社(三重県)

《大山祇神社》
3社並んでいます。

御厨神社(三重県)

《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
当社は松坂城が築城されたあと、鬼門の鎮守として現在も松阪市の中心街に鎮座しており、あの国学の四大人の一人として有名な本居宣長先生の氏神さんでもありました。その縁で宣長先生が著したあの『古事記伝』全44巻が奉納されているそうです。読みたいですね。

御厨神社(三重県)

《本殿》
右手に社務所があり、当時は中から雅楽が聞こえていました。CDかな?と思ったらまさかの生演奏で、練習場になっているようです。お上手でした。
御朱印をいただくために参拝前に宮司さんに連絡すると松尾神社にいらっしゃり、印は社務所に戻らないとないとのことでお忙しい中いったん戻って応対していただきました。お忙しい中ありがとうございました。御厨神社と飯野高宮神山神社の御朱印をいただきました。

御厨神社(三重県)

《三圍稲荷神社》
日本の三大財閥である三井は元々伊勢の商人で、江戸に出てから三囲神社を守護神として信仰しており、当社にも分霊されました。
いつもお世話になって(🤛

御厨神社(三重県)

《神宮遥拝所》
違う面に宮城遥拝所とあり、おそらく皇居を指します。当社には明治天皇さまが神宮へ参拝する際に御駐車をされたということで、そういった縁で建てられているのかもしれません。

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歴史

当社の創始については詳らかなことはわからないが、その前身は飯高郡下ツ牧(現、平生)の平生御厨である。往古、平生は参宮の駅路にあたり勅使参向の時には当社に止館し、交通の安全を祈願したと伝える。それに由来してか、現在でも当社を見送神社と俗称している。中世には伊勢国司北畠氏の信仰篤く、度々供物が献納された。戦国時代に入ると戦火により社殿は退廃し、僅かに神垣が昔の名残りを留めるに過ぎなかった。天正12年(1584) 蒲生氏郷が四五百(よいほの)森に松坂城を構築する際、当社の尊厳を考え城郭の大手先に奉遷したが、元和6年(1620)紀州藩主徳川頼宣の家臣、長野九左衛門が城の鬼門の鎮守として現在地に移した。嘉永3年(1850年)紀州侯が「境内殺生禁断」の石標を献納し、毎年正月には城門において獅子舞を奉納するを例とした。明治2年(1869)2月明治天皇神宮御参拝の折、当地に御駐車されている。明治41年(1908)に八幡神社、奥津彦神社、市岐島姫神社を合祀した。因みに、国学の泰斗、本居宣長も当社を常に尊崇し、多数の図書を献じている。[三重県神社庁HP当神社ページより]

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御厨神社の基本情報

住所三重県松阪市本町2304番地
行き方

JR・近鉄「松阪駅」より徒歩10分。三交バス「本町」下車、徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称御厨神社
読み方みくりやじんじゃ
参拝時間

参拝自由

社務所:留守なことが多いため要事前連絡

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0598-21-4483
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神建速須佐之男命
加夫呂岐命
火産霊命
ご神体不詳
創建時代大化二年(646)ごろ
創始者不詳
本殿神明造
ご由緒

当社の創始については詳らかなことはわからないが、その前身は飯高郡下ツ牧(現、平生)の平生御厨である。往古、平生は参宮の駅路にあたり勅使参向の時には当社に止館し、交通の安全を祈願したと伝える。それに由来してか、現在でも当社を見送神社と俗称している。中世には伊勢国司北畠氏の信仰篤く、度々供物が献納された。戦国時代に入ると戦火により社殿は退廃し、僅かに神垣が昔の名残りを留めるに過ぎなかった。天正12年(1584) 蒲生氏郷が四五百(よいほの)森に松坂城を構築する際、当社の尊厳を考え城郭の大手先に奉遷したが、元和6年(1620)紀州藩主徳川頼宣の家臣、長野九左衛門が城の鬼門の鎮守として現在地に移した。嘉永3年(1850年)紀州侯が「境内殺生禁断」の石標を献納し、毎年正月には城門において獅子舞を奉納するを例とした。明治2年(1869)2月明治天皇神宮御参拝の折、当地に御駐車されている。明治41年(1908)に八幡神社、奥津彦神社、市岐島姫神社を合祀した。因みに、国学の泰斗、本居宣長も当社を常に尊崇し、多数の図書を献じている。[三重県神社庁HP当神社ページより]

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