にんなじ|真言宗御室派|大内山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方仁和寺のお参りの記録一覧
絞り込み



念願だった仁和寺の御室桜に出掛けました。
朝、9:30 の観覧券をネット予約しましたが、9時過ぎの時点で駐車場側(東側)入り口は待ちなしでした。さあ御室桜へ。天気も良くちょうど満開でした。
御室桜は背が低い遅咲きの桜です。土壌が粘土質で、酸素や養分が足りないために根を張れず、高く育たないそうです(HPより)。江戸時代より人気を集め、多くの和歌にも詠まれているそうです。
人も多かったのですが広い範囲に広がるので、鑑賞しにくいほどにはいません。ただ、五重塔をバックにするフォトスポットは、近年観覧台が設けられ、緩和されたとはいえ混雑してました。
この後、金堂、御影堂、観音堂を参拝しました。御朱印は三か所でいただけますが、切り絵含めて種類が多くそれぞれの場所でいただける御朱印が異なるので、作戦が必要。
御室桜を満喫出来て、忘れられない花見になりました。
もっと読む

京都市右京区にある世界遺産に登録されているお寺です。
五大明王大祭でお参りしました。
5年ぶりに金堂の五大明王の壁画を観ることができるのです。
紅葉の時期は人混みがつらいので ぎりぎり最後の日にお参りしました。
紅葉がもう見ごろを過ぎていますので 比較的空いていました。
建物はどれも見事な造りで さすがに江戸時代のものは立派です。
さて 本日の目的金堂に向かいます。
昨年まではビニル袋をいただいていたのですが 今回はエコバッグのような袋をいただきました。
靴を入れるだけでは勿体ない エコバッグとして使います。
お堂の中では 僧侶による説明を聞くことができました。
お話がお上手で 楽しい時間はあっという間にすぎました。
「888年宇多天皇開基だけは覚えて帰ってください。」 こういうのいいですね。
応仁の乱で荒廃し 160年ほど後に再興されたとのことですが 120年もの間 「ここに立派なお寺があったらしい」 と伝えられていたなんて想像しがたいものです。
重要な仏像などを避難させていたことが再興のきっかけだとか。
その強い思いが120年の時を経て再興につながったそうです。
金堂の仏像も立派で素晴らしいのですが いよいよ五大明王です。
もちろん金堂内陣は写真撮影禁止ですので 写真はありません。
江戸時代に描かれた壁画ですが 彩色などは当時のままだそうで 300年以上も前の彩色がそのまま残っているのは 奇跡とも言えると思いました。
クリアファイルやポストカードなと販売していましたので 私はポストカードを購入しました。
由緒についてはHPに
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となります。以降、皇室出身者が仁和寺の代々住職(門跡)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。そのような中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、法燈とともに伝えられていきました。
応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、ようやく再興の機会が訪れます。『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。
さらには慶長時代の御所建て替えとも重なり、御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来たのです。
慶応3年(1867年)、第30世 純仁法親王が還俗したことにより皇室出身者が住職となる宮門跡の歴史を終えます。また、明治20年(1887年)には御殿の焼失がありましたが、大正時代になると再建。
昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財としてユネスコの「世界遺産」に登録され新たな歴史を刻んでいます。
とありました。

御室御所とも称される。
888年宇多天皇によって建立された。
応仁の乱(1467年~1477年)の兵火で焼失したが、1634年徳川家光が再興を許し、1641年~46年にかけて幕府の援助で伽藍が整備され現在の形となった。
寛永年間(1624年~1645年)京都御所の建て替えにより、紫宸殿、清涼殿、常御殿が下賜され移築されている。
1887年宸殿(旧・常御殿)を焼失。現在の建物は1890年~1914年にかけて新築されたものである。
宸殿は将棋の竜王戦の対局場としても使用された。
金堂(1613年建築・京都御所の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年 ~1644年)に移築したもの)で国宝。
観音堂(1641年~1645年再建)、五重塔(1644年再建)、経蔵(1641年~1645年再建)、鐘楼(1644年再建)、二王門(1641年~1645年再建)、中門(1641年~1645年再建)、御影堂(1641年~1645年再建)、御影堂中門(1641年~1645年再建)、本坊表門(慶長年間(1596年~1615年)建築)、遼廓亭(茶室・尾形光琳の屋敷から移築された。江戸時代中期1661年~1750年建築)、飛濤亭(茶室・1830年~1867年建築)、九所明神本殿(仁和寺の鎮守。1641年~1645年再建)、左殿(1641年~1645年再建)、右殿(1641年~1645年再建)は重文指定されている。
京都府のおすすめ🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
































































