さんぜんいんもんぜき|天台宗|魚山
三千院門跡京都府 鞍馬駅
3月~12月7日/8:30~17:00(閉門17:30)
12月8日~2月/9:00~16:30(閉門17:00)
さんぜんいんもんぜき|天台宗|魚山
3月~12月7日/8:30~17:00(閉門17:30)
12月8日~2月/9:00~16:30(閉門17:00)
御朱印(7種類)
三千院門跡では、7種類の御朱印をいただけます。
また、行事に合わせた直書きのカラフルな御朱印が頒布されています。
西国四十九薬師霊場 本尊薬師如来の御朱印
真ん中に本尊薬師如来と書かれ、右上に西国薬師第四十五番の印、真ん中に梵字(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)の火炎宝珠印、左上に西国四十九薬師霊場開創三十周年記念印、左下に三千院の文字、三千院の印が押されています。
三千院宸殿には、伝教大師作と伝わる秘仏本尊「薬師瑠璃光如来」が祀られています。
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 併設駐車場なし |
京都市左京区にあるお寺です。
前からお参りしたくてできず ようやくお参りできたお寺の一つです。
「京都~大原三千院♪」 と聞いたことがある方 いらっしゃいますよね。
山号は魚山
宗旨宗派は天台宗
ご本尊は薬師如来
です。
かつては 貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にあります。
青蓮院 妙法院とともに 天台宗山門派の三門跡寺院の1つです。
歴史を紐解くと 最澄が開いた比叡山延暦寺から始まります。
。。。膨大な量なので割愛します。
建物も歴史を感じる素晴らしいものばかりですが 私は境内の木々や苔に魅力を感じました。
苔生した境内は 京都市指定の名勝ですが 苔寺(西芳寺)にも劣らないと思います。
国宝の阿弥陀如来及両脇侍坐像は 往生極楽院のご本尊ですが さすがに写真撮影はできません。
建物の外からそれとなく撮ってみました。
わらべ地蔵 おさな六地蔵 は 程よく苔がついていてかわいらしいです。
鎌倉時代に掘られた石仏(阿弥陀如来坐像)がおられたり 見どころが多いです。
また秋にお参りしたいと思いました。
方丈入り口
方丈の茶席
方丈庭園
往生極楽院
わらべ地蔵
七福神
不動堂
観音堂
5cmほどの観音様を奉納できます
石仏(阿弥陀如来様)
おさな六地蔵
六体以上あります
東門
天台宗五箇室門跡の一つ。伝教大師が比叡山延暦寺建立の際草庵を結んだのに始まる。梶井門跡、梨本門跡と呼ばれていたが、明治四年法親王還俗に伴い梶井御殿内の持仏堂、霊元天皇宸筆の勅額により三千院と公称されるようになった。仏教音楽発祥の地。
「きょおとーおーはら、さんぜんりー」「それじゃ、母をたずねて…になったゃうねー」
聚碧園。客殿からの池泉観賞式庭園。
宸殿。ご本尊は伝教大師作、薬師瑠璃光如来。
宸殿前の有清園。池泉回遊式庭園。
杉木立と苔、
往生極楽院。恵心僧都源信が父母の菩提のため建立したとされる。
三千院と言えば、わらべ地蔵。
弁財天、宇賀神。
金色不動堂。こちらでは不動明王、弁財天の御朱印が頂けます。となりでお茶がふるまわれていました。
あじさい苑。
あじさい苑。
観音堂。こちらでは観音菩薩の御朱印がいただけます。
芹生でアイスぜんざい。宿泊にも便利でした。
延暦年間(782-806)に最澄が延暦寺を開いた事から始まります。その後慈覚大師に引き継がれ、平安後期以来、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は比叡山山内から近江坂本、京都市中と移動しました。そのつど寺名も変わり、明治維新後現在の地に移り、「三千院」として1200年の歴史を繋いでいます。殊に大原の地は慈覚大師により中国山東省「魚仙」より伝えた、天台声明(仏教音楽)の根本道場が開かれ、のちに融通念仏を広めた良忍上人が「声明」を集大成したところです。「仏教音楽 声明」の聖地、「念仏」による祈りの里として往生極楽を願う人々のあこがれの里となってきました。
名称 | 三千院門跡 |
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読み方 | さんぜんいんもんぜき |
参拝時間 | 3月~12月7日/8:30~17:00(閉門17:30)
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参拝料 | 一般700円、中高生400円、小学生150円 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-744-2531 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.sanzenin.or.jp/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
西国薬師四十九霊場 第45番 | 御真言: おん ころころ せんだり まとうぎ そわか |
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神仏霊場巡拝の道 | |
近畿三十六不動尊霊場 |
ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 魚山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 延暦年間(782-806) |
開山・開基 | 最澄 |
文化財 | 阿弥陀三尊坐像(国宝)
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ご由緒 | 延暦年間(782-806)に最澄が延暦寺を開いた事から始まります。その後慈覚大師に引き継がれ、平安後期以来、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は比叡山山内から近江坂本、京都市中と移動しました。そのつど寺名も変わり、明治維新後現在の地に移り、「三千院」として1200年の歴史を繋いでいます。殊に大原の地は慈覚大師により中国山東省「魚仙」より伝えた、天台声明(仏教音楽)の根本道場が開かれ、のちに融通念仏を広めた良忍上人が「声明」を集大成したところです。「仏教音楽 声明」の聖地、「念仏」による祈りの里として往生極楽を願う人々のあこがれの里となってきました。 |
体験 | 仏像博物館国宝重要文化財札所・七福神巡り |
概要 | 三千院(さんぜんいん)は、京都市左京区大原来迎院町にある天台宗の寺院。山号は魚山(ぎょざん)。本尊は薬師如来。三千院門跡とも称する。 京都市街の北東に位置する山中、かつては貴人や仏教修行者の隠棲の地として知られた大原の里にある。青蓮院、妙法院とともに、天台宗山門派の三門跡寺院の1つに数えられている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 三千院は天台三門跡の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦年間(782年 - 806年)、比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷(比叡山内の地区名)の梨の大木の傍に一宇を構え、「円融房」と称したのがその起源という。後の「梨本門跡」の名はこれに由来している[1][2]。 その地に貞観2年(860年)、承雲和尚が最澄自刻の薬師如来像を安置した伽藍を建て、円融院と称した。承雲はまた、比叡山の山麓の東坂本(現・大津市坂本)の梶井に円融院の里坊(山寺の僧が山下の人里に設ける住まい)を設けた。応徳3年(1086年)には梶井里に本拠を移し円徳院と称した[1]。梶井の地名と、加持(密教の修法)に用い...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 京都バス10・16・17・18・19・95系統「大原」バス停より徒歩10分。 |
引用元情報 | 「三千院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E5%8D%83%E9%99%A2&oldid=97045921 |
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