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さんぜんいんもんぜき|天台宗魚山

三千院門跡の御由緒・歴史
京都府 鞍馬駅

ご本尊薬師如来
創建時代延暦年間(782-806)
開山・開基最澄
ご由緒

延暦年間(782-806)に最澄が延暦寺を開いた事から始まります。その後慈覚大師に引き継がれ、平安後期以来、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は比叡山山内から近江坂本、京都市中と移動しました。そのつど寺名も変わり、明治維新後現在の地に移り、「三千院」として1200年の歴史を繋いでいます。殊に大原の地は慈覚大師により中国山東省「魚仙」より伝えた、天台声明(仏教音楽)の根本道場が開かれ、のちに融通念仏を広めた良忍上人が「声明」を集大成したところです。「仏教音楽 声明」の聖地、「念仏」による祈りの里として往生極楽を願う人々のあこがれの里となってきました。

歴史
歴史[編集] 三千院は天台三門跡の中でも最も歴史が古く、最澄が延暦年間(782年 - 806年)、比叡山延暦寺を開いた時に、東塔南谷(比叡山内の地区名)の梨の大木の傍に一宇を構え、「円融房」と称したのがその起源という。後の「梨本門跡」の名はこれに由来している[1][2]。 その地に貞観2年(860年)、承雲和尚が最澄自刻の薬師如来像を安置した伽藍を建て、円融院と称した。承雲はまた、比叡山の山麓の東坂本(現・大津市坂本)の梶井に円融院の里坊(山寺の僧が山下の人里に設ける住まい)を設けた。応徳3年(1086年)には梶井里に本拠を移し円徳院と称した[1]。梶井の地名と、加持(密教の修法)に用い...Wikipediaで続きを読む
引用元情報三千院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E5%8D%83%E9%99%A2&oldid=97045921

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