ほうせんいん|天台宗大原寺勝林院塔頭|東山
宝泉院京都府 鞍馬駅
午前9時~午後5時 (受付終了は 午後4時30分となります)
大原寺勝林院塔頭。宗快法印によって嘉禎年間に創建され、当初は了性坊と呼ばれた。了性坊は文正年間まで記録に残るが以降は断絶したとされる。正徳6年(1716年)5月に宝泉院と改められた。
京都市左京区にあるお寺です。
宝泉院は勝林院の僧坊として古く800年前よりあったお寺です。
山号は魚山
宗旨宗派は天台宗
寺格は勝林院塔頭
ご本尊は阿弥陀如来
です。
拝観料にお茶席代が含まれており 客殿の縁側でゆっくりお茶をいただきました。
客殿庭園は 計算されて造庭されていると思うのですが とても美しいです。
少し下がって見ると 額縁の中に庭 のように見えます。
水琴窟が2つあり それぞれ音が違うのも楽しいです。
また石盤(石の琴)がありました。サヌカイト(黒曜石)でできているそうです。
宝楽園というお庭もあり そちらは神の世界をイメージして創作されたものだそうです。
客殿でほっこりして 宝楽園を楽しんだら あっという間に1時間以上経ちます。
法然上人が衣をかけたと伝わる石
囲炉裏の間
石盤
セットでいただけます
水琴窟2本
良い場所から埋まります
ここから宝楽園
猿田彦神社がありました
実光院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとして創建される。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって嘉禎年間(1235年 - 1238年)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていた。了性坊は文正年間(1466年 - 1467年)まで記録に残るが以降は断絶したとされる。
『両院僧坊歴代記』によれば宝泉坊として改めて再建をしたのは幸淵(1477年 - 1559年)である。幸淵の名が記録にでるのは元亀2年(1571年)9月の後土御門天皇三回忌の御懺法講の記録からであり、これは書院の再建年代として伝わる年代と合致する。このため、幸淵が了性坊の旧蹟に新たな坊を再興したのは元亀年間(1570年 - 1573年)初頭であると考えられる。
正徳6年(1716年)5月に宝泉院と改められた。
-Wikipediaよりー
住所 | 京都府京都市左京区大原勝林院町187 |
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行き方 | JR京都駅 烏丸中央口 から 徒歩5分程度で、
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名称 | 宝泉院 |
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読み方 | ほうせんいん |
通称 | 額縁寺 |
参拝時間 | 午前9時~午後5時 (受付終了は 午後4時30分となります) |
参拝料 | 大人800円 、中・高生700円、 小学生600円 (団体30名以上は、1割引) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-744-2409 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.hosenin.net/ |
京都洛北森と水の会 第11番 |
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ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 東山 |
院号 | 宝泉院 |
宗旨・宗派 | 天台宗大原寺勝林院塔頭 |
創建時代 | 嘉禎年間(1235年 - 1238年) |
開山・開基 | 宗快法印 |
ご由緒 | 実光院とともに大原寺勝林院の塔頭の一つとして創建される。『声明目録』を著すなど声明の大家として知られる宗快法印によって嘉禎年間(1235年 - 1238年)に創建され、当初は了性坊と呼ばれていた。了性坊は文正年間(1466年 - 1467年)まで記録に残るが以降は断絶したとされる。
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体験 | 御朱印重要文化財武将・サムライ |
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