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楽しみ方北野天満宮のお参りの記録一覧
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1週間も京都市内を旅行すると、1日ごとに違うエリアに行きたくなって、とりあえず拝観料がかからないところを検索していたら、北野天満宮という音は聞き覚えがあるなとここまでやって来ました。天満宮というものの位置付けがよくわかっていなくてなんとなく凄そうという浅い考えで行ったのですが、まさかここまで穴場だとは!
人は少なくて、雰囲気もとても落ち着いています。学問の神様「菅原道真」が御祭神のようなので受験生にはとても人気があるのかもしれませんね。大迫力の本殿は近づいてみると繊細さが際立って見えてこの細かい細工の一つ一つがこの国の時代の流れを全て知っているのだなとリスペクトの気持ちが湧きました。
受験生はもちろん、きっと誰にとっても安心する空間です。近くの一本うどんのお店たわらやさんはいつ行っても売り切れで、仕方なくきつねそば注文しましたが、目が飛び出るほど美味しかったです。でも一本うどん諦められないのでまたリベンジしようと思います。







北野天満宮は、京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は菅原道真公。太宰府天満宮(福岡県太宰府市)とともに天神信仰の中心的神社。本殿、石の間、拝殿、楽の間が国宝、回廊、三光門、透塀、後門、東門が国指定の重要文化財。
創建は平安時代中期の947年、九州太宰府にて不遇の死を遂げた菅原道真公を祀るため、朝廷の命により朝日寺(東向観音寺)の最鎮らが社殿を造営したことに始まる。のちに藤原師輔(道真公を左遷させた藤原時平の甥)により壮大な社殿に造り直された。987年には初めての勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。その後も朝廷からの崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。
中世になると武家の信仰も受け、足利義満は1401年に明徳の乱の戦没者追悼のため当社境内に北野経王堂願成就寺を建立した。1587年には豊臣秀吉が境内で北野大茶湯を催行、1605年には豊臣秀頼が北野経王堂を再建、1607年には現在の壮麗な社殿を造営した。江戸時代には道真公の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになった。明治時代になると「北野神社」と改称し、近代社格制度のもと官幣中社に列格した。戦後「北野天満宮」の呼称を復活している。
当社は、京福北野線・北野白梅町駅の東方500mほどの市街地にある。南北に長い境内はかなり広く、南北には500m近く、東西も広いところで200mある。今出川通り(府道101号線)に面した境内南端から参道を北に進むと、途中「もみじ苑」があり秋には紅葉狩りの観光客でにぎわう。境内のやや北寄りに建つ社殿は現在でも壮麗。周辺には多くの境内社があり、見どころは満載。
今回は、二十二社の一社、旧官幣中社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、
京都観光の人気スポット、学童の修学旅行、遠足のメジャースポットということもあり、多くの人々で賑わっていた。
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