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北野天満宮ではいただけません
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北野天満宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月31日(金)
参拝:2020年12月吉日
北野天満宮は、京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は菅原道真公。太宰府天満宮(福岡県太宰府市)とともに天神信仰の中心的神社。本殿、石の間、拝殿、楽の間が国宝、回廊、三光門、透塀、後門、東門が国指定の重要文化財。
創建は平安時代中期の947年、九州太宰府にて不遇の死を遂げた菅原道真公を祀るため、朝廷の命により朝日寺(東向観音寺)の最鎮らが社殿を造営したことに始まる。のちに藤原師輔(道真公を左遷させた藤原時平の甥)により壮大な社殿に造り直された。987年には初めての勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。その後も朝廷からの崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。
中世になると武家の信仰も受け、足利義満は1401年に明徳の乱の戦没者追悼のため当社境内に北野経王堂願成就寺を建立した。1587年には豊臣秀吉が境内で北野大茶湯を催行、1605年には豊臣秀頼が北野経王堂を再建、1607年には現在の壮麗な社殿を造営した。江戸時代には道真公の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになった。明治時代になると「北野神社」と改称し、近代社格制度のもと官幣中社に列格した。戦後「北野天満宮」の呼称を復活している。
当社は、京福北野線・北野白梅町駅の東方500mほどの市街地にある。南北に長い境内はかなり広く、南北には500m近く、東西も広いところで200mある。今出川通り(府道101号線)に面した境内南端から参道を北に進むと、途中「もみじ苑」があり秋には紅葉狩りの観光客でにぎわう。境内のやや北寄りに建つ社殿は現在でも壮麗。周辺には多くの境内社があり、見どころは満載。
今回は、二十二社の一社、旧官幣中社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、
京都観光の人気スポット、学童の修学旅行、遠足のメジャースポットということもあり、多くの人々で賑わっていた。
創建は平安時代中期の947年、九州太宰府にて不遇の死を遂げた菅原道真公を祀るため、朝廷の命により朝日寺(東向観音寺)の最鎮らが社殿を造営したことに始まる。のちに藤原師輔(道真公を左遷させた藤原時平の甥)により壮大な社殿に造り直された。987年には初めての勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。その後も朝廷からの崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。
中世になると武家の信仰も受け、足利義満は1401年に明徳の乱の戦没者追悼のため当社境内に北野経王堂願成就寺を建立した。1587年には豊臣秀吉が境内で北野大茶湯を催行、1605年には豊臣秀頼が北野経王堂を再建、1607年には現在の壮麗な社殿を造営した。江戸時代には道真公の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになった。明治時代になると「北野神社」と改称し、近代社格制度のもと官幣中社に列格した。戦後「北野天満宮」の呼称を復活している。
当社は、京福北野線・北野白梅町駅の東方500mほどの市街地にある。南北に長い境内はかなり広く、南北には500m近く、東西も広いところで200mある。今出川通り(府道101号線)に面した境内南端から参道を北に進むと、途中「もみじ苑」があり秋には紅葉狩りの観光客でにぎわう。境内のやや北寄りに建つ社殿は現在でも壮麗。周辺には多くの境内社があり、見どころは満載。
今回は、二十二社の一社、旧官幣中社、別表神社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、
京都観光の人気スポット、学童の修学旅行、遠足のメジャースポットということもあり、多くの人々で賑わっていた。
境内南端入口の<一の鳥居>。
参道を進んで<二の鳥居>。
さらに進むと<三の鳥居>。
参道の左側には<伴氏社>。菅原道真公の母君を祀る。
階段を登って<楼門>をくぐる。
堂門をくぐって右側にある、立派な<手水舎>。<北野の花手水>というだけあって、とてもきれい。屋根が守っているのは手水盤や参拝者ではなく牛の像?...(^_^;)
楼門近くの<牛の像>。当社境内にはたくさんの<牛の像>があって、一の鳥居から数えてすでに6頭目。すべてサイズ、材質、表情が違うのでお気に入りを見付けても面白そう~♪ (o^―^o)
手水舎の後ろにある<宝物殿>。
参道を進むと左手に<絵馬殿>。御朱印はこちら。御朱印拝受にたくさんの人が並んでいたが、熟練風の神職の方々の対応は、今まで見たことがないぐらいの手際の良さ。
<絵馬殿>は側面も絵馬がいっぱい。
絵馬殿の西側にある<宗像社>。
宗像社の左隣にある<大杉社>。
宗像社、大杉社の後ろ(西側)にある<猿田彦社>。
猿田彦社の左側(南側)は、有料拝観の<もみじ苑>。
猿田彦社の右側にある<稲荷神社>。
稲荷神社の北側にある鳥居。
こちらには<一之保神社>、<奇御魂神社>の2社が合祀されている。
さっきの鳥居の右手にもうひとつ<鳥居>。
こちらには<一夜松社>、<豊国神社>、<野見宿祢神社>の3社が合祀されている。
参道まで戻って、参道右側にある<狛犬>。当社では鳥居、楼門、三光門など参道上のいろんな場所に狛犬があるが、こちらの一対が最も古そうだったのでピックアップ。
参道左側の<狛犬>。勇ましくも凛々しい出で立ち。
ここから参道の両サイドに同サイズの社殿が並ぶ。まず参道右側の<白太夫社>。
参道左側の<福部社>。
つづいて参道右側、白太夫社の左隣にある<火之御子社>。
参道左側、<福部社>の右隣にある<老松社>。
火之御子社の左隣にある<撫で牛>。独特な色合いの石材を使っていて、最初撫で牛と気付かなかった...(^_^;)
老松社の右隣にある<撫で牛>。こっちは逆に超オーソドックス。
参道を進むと<三光門>。 国指定の重要文化財。勅額は後西天皇の宸筆。
三光門をくぐると、正面に社殿が見える。
参道右手の<授与所>。
<拝殿>全景。1607年、豊臣秀頼による造営。社殿は本殿、石の間、拝殿、楽の間のすべてが国宝。
<拝殿>正面。扁額はないみたい。
黄色い帽子の小学生は遠足かな?学生服は修学旅行?当社は学問の神様ということで、やっぱり学生や学童がよく似合う。(o^―^o)
お行儀の良い拝殿前の子供たち。先生が必死になって写真を撮りまくっているのが微笑ましい。
西側の回廊から出て奥(北側)の境内社を見て廻る。回廊も国指定の重要文化財。
回廊を出たところにある2つの社殿。
こちらは<七社>。那伊鎌社、一拳社、周枳社、宰相殿社、和泉殿社、三位殿社、大判事社の七社。江戸時代前期1662年の地震で倒壊した末社群を、江戸幕府の命で長屋形式で再建したもの。
こちらは<四社>。夷社、松童社、八幡社、若松社の四社。
こちらは<八社>。福部社、高千穂社、安麻神社、御霊社、早取社、今雄社、貴布禰社、荒神社の八社。
本来だとこのアングルから、本殿(国宝)、透塀(重文)、後門(重文、写真左端)が綺麗に写り込むはずだったが、残念ながら補修作業中...(^_^;)
境内北西部にある境内社<牛舎(うししゃ)>。
<牛舎>の正体は、特別な<撫で牛>。混雑緩和のためか、四方からお参りできる。その周りには大量の絵馬。数が半端ない!^^
こちらは社殿の北側にある<十二社>。寛算社、大門社、橘逸勢社、藤太夫社、文太夫社、淳仁天皇社、太宰少貳社、老松社、白太夫社、櫻葉社、吉備大臣社、崇道天皇社の十二社。
長屋形式の社殿でも、境内社ごとの扁額はピカピカ、紙垂はフレッシュ。さすが手入れが行き届いている。
境内北側に進むと、真っ赤な社殿が印象的な<地主神社>。
地主神社の左隣にある<老松社>。
老松社の左隣にある<文子天満宮>。
最後に境内北端にある<北門>。
実は自分は平野神社から歩いて来たので、境内に入ったのはこちらから。つまり、また正しい順路を完全に逆に廻ってしまったのでありました...(^_^;)
実は自分は平野神社から歩いて来たので、境内に入ったのはこちらから。つまり、また正しい順路を完全に逆に廻ってしまったのでありました...(^_^;)
すてき
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