ほうこうじ|天台宗山門派
方広寺京都府 七条駅
境内自由。本堂は特別公開時のみ公開。
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楽しみ方
「京の冬の旅」4ヶ寺目は 方広寺にお参りしました。
先にお参りした 光清寺から地下鉄東西線二条駅に向かう途中に 以前TVで見て気になっていた 京都式まぜそばのお店(脳天喜)で昼食をとり京阪電車七条駅へ 徒歩10分位で到着!
豊国神社の大きな鳥居を目指して・・すぐにわかりました😊
盧舎那仏を本尊とする天台宗の寺院 山号はありません
豊臣秀吉公が大仏を安置するため 文禄4年(1595)に創建されました
二代目の大仏は19m・・しかし地震により倒壊 その後の大仏も四代目まで再建されましたが 地震 火事 落雷などにあいその後は再建されていません 現在の本尊は 1/10の大きさで 金色にかがやいていました
大黒堂の内陣には80枚の花天井 秀吉公が護寺したという手のひらサイズの大黒天さま 御前立は甲冑を着た勇ましい大黒天さまが
また 日本画家・吉川霊華による掛け軸「神龍図」は元々は 大黒堂の内々陣の天井画だったそうで 4.5mと大きなものです😲
そして なんと言っても 「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれたことで「大坂冬の陣」のきっかけとなったとされる梵鐘 重さ90トンもある大きな梵鐘の下に入り ガイドさんが内側をペンライト?で照らしたのは 女性の横顔(に見えました)淀君の怨念と聞いて 思わず背筋がブルブル
さむ~くなりますね😢😲
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「京の冬の旅」の特別公開で参拝しました。
京都市東山区にあるお寺です。
大河ドラマ「豊臣兄弟」にちなんで本堂が特別公開されています。
方広寺には有名な鐘銘事件の鐘があり 通常も鐘を見ることはできますが 特別拝観では鐘楼殿の中に入って鐘に触ることができます。
まずは大黒殿と本堂の拝観から。
以前に訪れた時には外から見るだけでしたが 内部に入って説明を伺うことができました。
本堂には第3代大仏の1/10スケールの大仏がありました。
文化元年(1804年)に開眼供養が行われた座高約2mの大仏です。
往時の大仏の造形を伝えるものは数が少なく 貴重なものです。
通常非公開ですが 外からガラス戸越しに若干は見られるよう配置されています。
大黒堂には 桓武天皇の勅命により最澄が延暦寺を建立するため比叡山登山中のお告げにより彫刻されたと伝えられている大黒天像があります。
また その像を秀吉が気に入り1/10サイズで作らせ 手元に置いていたとする像も大黒天堂に安置されていています。
通常は非公開です。
ガイドさんの説明を伺い こちらをじっくり拝観するだけで30分以上かかります。
それから外に出て鐘楼殿です。
梵鐘は 慶長19年(1614年)京都三条釜座の名越三昌により鋳造されました。
大きさは高さ4.2m 外形2.8m 厚さ0.27m 重さは82.7トンで 日本第二位の重さだそうです。
ちなみに第一位は京都市東山区にある知恩院の鐘と仰っていましたが 知恩院の鐘は約70トンの重さだそうです。ガイドの方は90トンと仰っていましたが。
ということは方広寺が一位?
かなり分厚い鐘で 私の掌が縦にすっぽり収まります。
鐘の内部には 白く女性の顔らしきものが見えます。
徳川家康公のいちゃもんつけにより豊臣家が滅んだことに対する 君の怨念だと伝わるそうです。
そりゃそうですよね。
この鐘は秀頼公と淀君が鋳造したものですから。
約1時間 すべての説明を聞いた後は御朱印ですね。
今までの参拝では御朱印をいただくことができませんでした。
今回は御朱印帳と御朱印とお守りをいただきました。
そして最後は 大仏殿跡にも行きました。
公園になっていて その中央がこんもり高くなっていました。
そこが大仏殿跡と説明に書いてありました。
豊国神社と方広寺の参拝だけで2時間以上 大満足でした。
すぐ近くにある[世界カフェ]世界の留学生と話せるカフェで昼食。
留学生とお喋りしながらお食事を楽しめます。
これも楽しかった~。
ネット情報です。
山号なし
宗派は天台宗
ご本尊は盧舎那仏
創建年は文禄4年(1595年)
開山は古渓宗陳
開基は豊臣秀吉
別称は大仏殿
文化財は梵鐘(重要文化財)・大仏殿跡および石塁・石塔(国の史跡)です。
豊臣秀吉が発願した大仏(盧舎那仏)を安置するための寺として文禄4年(1595年)に創建された。
豊臣時代から江戸時代の中期にかけて新旧3代の大仏が知られ それらは文献記録によれば 6丈3尺(約19メートル)とされ 東大寺大仏の高さ(14.7メートル)を上回り 大仏としては日本一の高さを誇っていた。
そのため江戸時代には 3代目大仏が寛政10年(1798年)に落雷で焼失するまでは 日本三大仏の一つに数えられた。
大田南畝著とされる『半日閑話』(街談録)には3代目大仏が落雷で焼失した時について「(大仏は)御鼻より火燃出 誠に入滅の心地にて京中の貴賎 老若 其外火消のもの駆け付け 此時に至りいたし方なく感涙を催し ただ合掌十念唱えしばかり也」とあり 3代目大仏の焼失は京都民衆に大変惜しまれた。
東大寺大仏と異なり 3代目大仏は木造であったため 大仏は(台座・基壇を除き)跡形もなくなってしまった。
東大寺大仏殿の再建が完了した宝永6年(1709年)から 方広寺大仏・大仏殿が落雷で焼失した寛政10年(1798年)までは 京都(方広寺)と奈良(東大寺)に 大仏と大仏殿が双立していた。
江戸時代の東大寺大仏殿再建にあたり 方広寺2代目大仏殿を手本として大仏殿が設計されたことから 現存の東大寺大仏殿の建築意匠は方広寺大仏殿のそれを引き継いだものと言っても過言ではない。
天保14年(1843年)に規模が縮小されつつも再建された4代目大仏は 1973年(昭和48年)まで存続していたが 失火により焼失し 方広寺から大仏は姿を消した。
大仏について。
初代:1595年 - 1596年(約1年間):慶長伏見地震で損壊
( - ):完成前に鋳造工事中の事故で焼失 膝部分まで鋳造が完了していた
2代目:1612年 - 1662年(約50年間):寛文近江・若狭地震で損壊?
3代目:1667年 - 1798年(約131年間):落雷で焼失
4代目:1843年 - 1973年(約130年間) :失火で焼失
鐘銘事件については記述が長すぎるため割愛させていただきます。

天正14(1586)年、豊臣秀吉により創建された天台宗山門派の寺院。創建時は本尊として19mもの木造大仏が安置されていたが、慶長元年(1596)慶長の大地震により大仏は倒壊。
慶長9年頃、放火により炎上したあと、豊臣秀頼が再興しました。大仏の全高18mという東大寺大仏殿をもしのぐ壮大さであった。偉容を誇った大仏殿は、寛政10年(1798)に落雷による火災で大仏もろとも焼失。天保年間に寄進された旧大仏木造半身像も昭和48年、火災によって焼失。現在は、当時の大仏の大きさの10分の1サイズのご本尊「毘盧舎那如来」が本堂に安置されている。
同寺「梵鐘」は三条釜座の鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって慶長17年(1612)に、制作されました。方広寺鐘銘事件(京都大仏鐘銘事件)の引き金となった「国家安康、君臣豊楽」の銘で有名な梵鐘が現在も残されており、国の重要文化財に指定されています。
| 住所 | 京都府京都市東山区茶屋町527-4 |
|---|---|
| 行き方 | 京阪電車「七条駅」下車、徒歩約8分 |
| 名称 | 方広寺 |
|---|---|
| 読み方 | ほうこうじ |
| 通称 | 大仏殿方広寺 |
| 参拝時間 | 境内自由。本堂は特別公開時のみ公開。 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-531-4928 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| SNS |
| ご本尊 | 毘盧舎那如来 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 天台宗山門派 |
| 創建時代 | 文禄4年(1595年) |
| 開山・開基 | 開山:古渓宗陳 開基:豊臣秀吉 |
| 文化財 | 梵鐘(重要文化財) |
| ご由緒 | 天正14(1586)年、豊臣秀吉により創建された天台宗山門派の寺院。創建時は本尊として19mもの木造大仏が安置されていたが、慶長元年(1596)慶長の大地震により大仏は倒壊。
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