しせんどう|曹洞宗
詩仙堂(丈山寺)京都府 一乗寺駅
拝観休止日 : 5月23日 開門時間 : 午前9時~午後5時 (受付終了午後4時45分)
京都市左京区にあるお寺です。
山号は六六山
宗旨宗派は曹洞宗
ご本尊は馬郎婦観音(めろうふかんのん)
です。
もともとは、徳川将軍家の家臣であった石川丈山が1641年に隠居のため、59歳の時に造営した山荘です。
丈山は1672年に90歳で没するまでここで詩歌三昧の生活を送り、後に寺院化されると、丈山にちなんで寺名は丈山寺とされました。
お庭の美しさが有名でお参りをしました。
用意されているサンダルに履き替えて、美しい庭を歩き回ることができます。
苔がびっしり生えている所があったのですが、3cmほど盛り上がっているのは初めて見ました。
ちょうど花の時期であるガクアジサイが美しかったです。
モリアオガエル(?)の卵もあり、オタマジャクシも泳いでいました。
詩仙堂の中心となる建物は凹凸窠(おうとつか)と呼ばれます。
現在では凹凸窠の中にある36詩仙(大陸の詩家36人)の肖像を掲げた詩仙の間にちなんで詩仙堂と呼ばれています。
詩仙は日本の三十六歌仙にならい、丈山は林羅山と意見を交わしながら漢、晋、唐、宋の各時代から選出され、狩野探幽によって描かれた肖像が詩仙の間の四方の壁に掲げられています。
なるほど山荘らしい建物で
読めませんの
読めませんの
左甚五郎作の欄間 元伏見桃山城のものだそうです
イギリス ダイアナ妃も参拝されていたのですね
少し離れて井戸もありました
鹿威し
苔がすごくて こんもり盛り上がっていました
別棟には立ち入り禁止でした
凹凸窠(おうとつか)を庭から見ると
ご本尊は開帳されていません
写真で紹介されていました
釜戸もありました
御本尊 馬郎婦観音
江戸時代の文人・石川丈山の晩年を過ごした山荘跡
現在は曹洞宗大本山永平寺の末寺
紅葉の時期で人が多くて、書院からのお庭は隅っこからしか撮れませんでした。
紅葉🍁は素敵でした✨
小有洞
竹林に挟まれた木漏れ日の注ぐ石段
中門 老梅関
唐様庭園
詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
詩仙堂は正確には凹凸窠 (おうとつか) という。凹凸窠とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。 丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸窠十境と見立てた。
住所 | 京都府京都市左京区一乗寺門口町27 |
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行き方 | 車 門前にいくつかの駐車場がある。
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名称 | 詩仙堂(丈山寺) |
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読み方 | しせんどう |
参拝時間 | 拝観休止日 : 5月23日 開門時間 : 午前9時~午後5時 (受付終了午後4時45分) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-781-2954 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.kyoto-shisendo.com/ |
ご本尊 | 馬郎婦観音 |
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宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
ご由緒 | 詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
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