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こんぷくじ|臨済宗南禅寺派佛日山

金福寺
京都府 一乗寺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
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パーキング
駐車場
-

金福寺について

与謝蕪村の眠る寺


「花の生涯」ヒロイン・村山たか女終焉の地

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くるくるきよせん
2023年07月04日(火)
1385投稿

京都市左京区にあるお寺です。
山号は佛日山
宗旨宗派は臨済宗南禅寺派
ご本尊は聖観音菩薩
です。
詩仙堂の少し南にあるこの寺には与謝蕪村の墓所があり、松尾芭蕉が滞在したとされ、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって再興された芭蕉庵があります。
慈覚大師円仁の遺志により、安恵僧都が創建し、円仁自作の聖観音菩薩像を安置されました。
写真撮影はできませんでしたので、説明の写真の写真を撮りました。
境内を少し上ったところに芭蕉庵があります。
茅葺き屋根の庵で、内部は千利休が造った待庵に似た三畳台目の茶室となっています。
元禄時代に鐡舟和尚と親交の深かった松尾芭蕉が京都を旅行した際に滞在したことで知られ、周辺の住民によって芭蕉庵と呼ばれるようになりましたが、後に形がないほど荒廃したために、芭蕉を敬慕する与謝蕪村とその一門によって、1776年再興されたものです。
そのため、小高い丘には与謝蕪村とその一門の方々のお墓や石碑があります。

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺の歴史
金福寺(京都府)

芭蕉庵に続く道

金福寺(京都府)

歌碑

金福寺(京都府)

苔むした石段を登ります

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)

芭蕉庵

金福寺の歴史
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)

芭蕉の碑

金福寺(京都府)

翁の水

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺の建物その他
金福寺のお墓

与謝蕪村の墓

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)

枯山水の庭に 桔梗がきれいに咲いていました

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)

本堂

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)

ご本尊 円仁自作の観世音菩薩 の写真

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)

村山たか女が建立した弁天堂

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
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さくら
2022年12月07日(水)
1390投稿

御本尊 聖観音菩薩

小説「花の生涯」のヒロインである村山たか女が波乱の生涯を終えた寺

与謝蕪村等のお墓があります。

金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺の自然
金福寺の建物その他

松尾芭蕉が滞在しのちに与謝蕪村が再興した茅葺の“芭蕉庵”

金福寺の景色
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺(京都府)
金福寺の庭園

七代目小川治兵衛が作庭した枯山水庭

金福寺の庭園
金福寺(京都府)
金福寺の自然
金福寺(京都府)
金福寺の山門
金福寺の御朱印
金福寺の御朱印
金福寺の御朱印
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歴史

佛日山金福寺は清和天皇の貞観六年、慈覚大師が自作の聖観音菩薩像を祀り、国家安泰、衆生教済を念じて創建された。その後、一時荒廃したが六禄の頃、鉄舟和尚が復興して臨済宗とした。その頃、松尾芭蕉は時々、鉄舟和尚を訪ねて親交を深めて居たので人々が、後丘の庵を芭蕉庵と云う様になった。降って安永の頃、与謝蕪村の一門が庵の退廃を慨いて再興したのが、今日の庵室で、彼等はしばしば当寺を訪れ句会を開いて居た。この寺は観音の霊場で、また、俳諧の聖地とされ蕪村、呉春、景文、中川四明、青木月斗、穎原退蔵とのゆかりも深い。

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金福寺の基本情報

住所京都府京都市左京区一乗寺才形町20
行き方

叡山電車「一乗寺駅」下車、徒歩約20~30分
市バス「一乗寺下り松町」下車、徒歩約5分

アクセスを詳しく見る
名称金福寺
読み方こんぷくじ
参拝時間

9:00~17:00

参拝料

500円

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号075-791-1666
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊観世音菩薩
山号佛日山
宗旨・宗派臨済宗南禅寺派
創建時代864年(貞観6年)
開山・開基安恵僧都
ご由緒

佛日山金福寺は清和天皇の貞観六年、慈覚大師が自作の聖観音菩薩像を祀り、国家安泰、衆生教済を念じて創建された。その後、一時荒廃したが六禄の頃、鉄舟和尚が復興して臨済宗とした。その頃、松尾芭蕉は時々、鉄舟和尚を訪ねて親交を深めて居たので人々が、後丘の庵を芭蕉庵と云う様になった。降って安永の頃、与謝蕪村の一門が庵の退廃を慨いて再興したのが、今日の庵室で、彼等はしばしば当寺を訪れ句会を開いて居た。この寺は観音の霊場で、また、俳諧の聖地とされ蕪村、呉春、景文、中川四明、青木月斗、穎原退蔵とのゆかりも深い。

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