だいれんじ|浄土宗|引接山
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楽しみ方大蓮寺のお参りの記録一覧

大蓮寺 洛陽三十三所観音霊場
大蓮寺 洛陽三十三所観音霊場
大蓮寺 洛陽三十三所観音霊場
大蓮寺 洛陽三十三所観音霊場
大蓮寺 洛陽三十三所観音霊場

京都市左京区にあるお寺です。
出会いました 小さいお寺ながらウィキペディアに載るほどの由緒をもつお寺に。
山門の横に木の看板があります。これに出会うと心躍ります。
こちらは 京都市が観光者用(?)に作った由緒書だと思います。
(まだ禊が終わっていないと思い)山門から2歩だけ境内に入らせていただきました。
お庭では 蓮だと思うのですが 鉢で育てていらっしゃるようでした。
山門の欄間(でいいのかな)には 狛犬の彫刻が施されていました。
山号は引接山(いんじょうざん) 院号は極楽院 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来(円仁(慈覚大師)作と伝わる) 創建年は慶長5年(1600年) 開山は専蓮社深誉上人です。
本堂には洛陽三十三所観音霊場第8番札所本尊の十一面観音も祀られています。
ウィキペディアに載っているのですから 借稿いたします。
この寺は、慶長5年(1600年)深誉が現在の京都市下京区に創建したのに始まる。伝承によると、慶長5年のある日、深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来を見出し、誰も供養する者がないことをもったいなく思い、持ち帰って五条に仏堂を建て安置した、これが大蓮寺であるという。しかし、後になってこの阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることがわかり、真如堂に訴えられて返還することになった。残念に思った深誉が二十一日間の念仏を修したところ、最後の夜に旅の僧があらわれ共に念仏するが、次の朝には旅の僧の姿はなく、その代わりに本尊の阿弥陀如来が分かれて二体になっていた。一体は真如堂に返還し、もう一体はこれまで通り、大蓮寺の本尊として祀った。
その後、後光明天皇の夫人である典侍庭田秀子が難産に苦しんでいたため、大蓮寺に安産祈願の勅命が下った。祈願の甲斐あって第一皇女の孝子内親王は無事出生。後光明天皇崩御の後は有栖川職仁親王がその信仰を受け継ぐ。その縁で寺紋は有栖川宮紋となっている。
安産祈願の寺としても有名です。
立派な山門の横に 京都市の由緒看板がありました (これが当たりの印です)
由緒書
寺標
境内の様子
山門の彫刻

御本尊 阿弥陀如来(通称 安産阿弥陀如来)
祇園社感神院(八坂神社) が廃寺になった時、仏像やその周りの仏具はすべて大蓮寺に移されてます。以前 八坂神社の特別参拝に行った時に説明を受けてましたが、「ここだったのか❣️」と鈍感な私でした😔💦
走り坊さん(はしりぼんさん)
雨が降ろうが風が吹こうが彼の走る姿を見ない事はなかったと言われるお坊さま(籏玄教)
大蓮寺の本尊阿弥陀如来の使いとして、走って走って走りぬいて生涯を捧げられたそうです。
まだまだ 歩き回りたいので、
走り坊さんの足腰健常御守拝受してきました。
蠟梅♡咲いてました〜😍
素心蠟梅という種類だそうです。昨年、大雪の後、黄色から茶色になり咲かずに終わったんだそうです。今年はきれいに咲いているように私は思いましたが、以前は上の方まで咲いていたそうなので、来年は咲いてくれるといいなぁ〜😊
6月下旬から7月下旬くらいには、白・赤・黄・ピンク等30種類くらいのはな蓮でも有名です。はな蓮の鉢がたくさんありました🪷
洛陽霊場第8番「大蓮寺」
仁王門通りより北、55ある新洞仏教会の一つ。
お隣が本正寺、正念寺、前が専念寺と專稱寺。駐車場山門より北。
山門をくぐり、蓮が植えられた鉢がたくさん並ぶ境内。道路に赤い幟が並び目立つ。
正面が本堂、左手に納経所。
境内に平安〜室町時代に白河にあった「法勝寺の礎石」がある。
安産祈願のお寺。
昔、安産祈願したくても身重で来ることができない人のために、都中の妊婦さんのもとへお守りを届けるため走ったお坊さんがいたという話があり、その足腰の強さに肖るお寺にもなっている。
有名なお坊さんらしく亡くなった時は新聞にも載ったとか。昔っても100年ぐらいで結構最近です、って話をお寺の人に聞いた。
その走り坊主さんの印が入った御朱印と、お坊さんが載った御朱印帳がある。
山門
本堂
走り坊さんの絵
法勝寺の礎石
蓮の鉢
京都府のおすすめ2選🌸
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