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大蓮寺ではいただけません
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だいれんじ

大蓮寺のお参りの記録(1回目)
京都府東山駅

投稿日:2024年03月24日(日)
参拝:2024年2月吉日
京都市左京区にあるお寺です。
出会いました 小さいお寺ながらウィキペディアに載るほどの由緒をもつお寺に。
山門の横に木の看板があります。これに出会うと心躍ります。
こちらは 京都市が観光者用(?)に作った由緒書だと思います。
(まだ禊が終わっていないと思い)山門から2歩だけ境内に入らせていただきました。
お庭では 蓮だと思うのですが 鉢で育てていらっしゃるようでした。
山門の欄間(でいいのかな)には 狛犬の彫刻が施されていました。
山号は引接山(いんじょうざん) 院号は極楽院 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来(円仁(慈覚大師)作と伝わる) 創建年は慶長5年(1600年) 開山は専蓮社深誉上人です。
本堂には洛陽三十三所観音霊場第8番札所本尊の十一面観音も祀られています。

ウィキペディアに載っているのですから 借稿いたします。
この寺は、慶長5年(1600年)深誉が現在の京都市下京区に創建したのに始まる。伝承によると、慶長5年のある日、深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来を見出し、誰も供養する者がないことをもったいなく思い、持ち帰って五条に仏堂を建て安置した、これが大蓮寺であるという。しかし、後になってこの阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることがわかり、真如堂に訴えられて返還することになった。残念に思った深誉が二十一日間の念仏を修したところ、最後の夜に旅の僧があらわれ共に念仏するが、次の朝には旅の僧の姿はなく、その代わりに本尊の阿弥陀如来が分かれて二体になっていた。一体は真如堂に返還し、もう一体はこれまで通り、大蓮寺の本尊として祀った。
その後、後光明天皇の夫人である典侍庭田秀子が難産に苦しんでいたため、大蓮寺に安産祈願の勅命が下った。祈願の甲斐あって第一皇女の孝子内親王は無事出生。後光明天皇崩御の後は有栖川職仁親王がその信仰を受け継ぐ。その縁で寺紋は有栖川宮紋となっている。
安産祈願の寺としても有名です。
大蓮寺(京都府)
立派な山門の横に 京都市の由緒看板がありました (これが当たりの印です)
大蓮寺(京都府)
由緒書
大蓮寺(京都府)
寺標
大蓮寺(京都府)
境内の様子
大蓮寺(京都府)
山門の彫刻

すてき

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