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こんちいん|臨済宗南禅寺派大本山南禅寺塔頭

金地院
京都府 蹴上駅

9:00~17:00閉門(12~2月は~16:30閉門)
※受付は閉門の15分前まで

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2023年09月22日(金)
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京都市左京区にあるお寺です。
宗旨宗派は臨済宗南禅寺派
寺格は南禅寺塔頭
ご本尊は地蔵菩薩
です。
眞乗院は南禅寺境内の南側にあります。
江戸幕府の法律や外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られます。
僧録司が置かれ 一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされたそうです。
また10万石の格式を持ち 「寺大名」とも呼ばれたそうです。
小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されています。

本堂の方丈は お寺の方のガイド付きで拝観できました。
禅院方丈に典型的な六間取りです。
中央の手前が「室中」
中央の奥が本尊地蔵菩薩像を安置する「仏間」
西側は手前が「次の間」(檀那の間)
西側の奥が「富貴の間」(衣鉢の間)
東側は手前が「鶴の間」(礼の間)
東側の奥が「菊の間」(書院の間)
となっています。

方丈のいちばん奥には 茶室「八窓席」があります。
茶室というと 躙口から入るものと思いますが こちらは方丈から入る貴人口も併せ持ちます。
また躙口手前には縁もあり 家臣をこちらで待たせるなど 格の違いを見せつけるような茶室となっているようです。

「富貴の間」は奥に床高を一段高めた上段を設け 床・棚・付書院を設け 天井を格天井とする格式の高い部屋です。
各室の襖や障子腰板には 狩野派による金地の障壁画があります。
障壁画の主な画題は「富貴の間」が松 「次の間」が松・梅・牡丹 「室中」が唐人物 「鶴の間」と「菊の間」がそれぞれ鶴と菊などです。

方丈の南側には 鶴亀蓬莱の庭があり 東に亀石 西に鶴石が置かれています。
鶴亀の庭の西側には開山堂があります。
以心崇伝の塔所で 左右両側には十六羅漢像が安置されています。
掛かっている勅額は 後水尾天皇の筆だそうです。

さらに南側には 徳川家康の遺言による3つの東照宮のうちの一つがあり 江戸幕府による増改築が度々なされています。
東照宮には 専用の門がありますが 現在はそこから入ることはできないようです。

本当に見どころ満載な塔頭です。
塔頭というより別格本山ですね。

金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)

明智光秀が建てた門 明智門

金地院の歴史
金地院(京都府)
金地院(京都府)

東照宮専用の門

金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)

東照宮

金地院(京都府)

開山堂

金地院(京都府)

中央は以心崇伝

金地院(京都府)
金地院(京都府)
金地院(京都府)

鶴亀蓬莱の庭 全景

金地院(京都府)

こちらが鶴

金地院(京都府)

お互い向き合って

金地院(京都府)

こちらが亀

金地院の建物その他

方丈内に釣り鐘

金地院(京都府)

こちらから方丈の奥へ案内されます

金地院(京都府)
金地院(京都府)
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歴史

応永年間(14世紀末 - 15世紀初頭)に、室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基(南禅寺68世)を開山として洛北・鷹ケ峯に創建したと伝えるが、明らかではない。
慶長10年(1605年)、徳川家康の信任が篤く、江戸幕府の幕政に参与して「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝(以心崇伝、金地院崇伝)によって現在地に移された。

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金地院の基本情報

住所京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12
行き方
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名称金地院
読み方こんちいん
参拝時間

9:00~17:00閉門(12~2月は~16:30閉門)
※受付は閉門の15分前まで

トイレ方丈外入口側奥にあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号075-771-3511
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊延命地蔵菩薩
院号金地院
宗旨・宗派臨済宗南禅寺派大本山南禅寺塔頭
創建時代応永年間(1394年 - 1428年)
開山・開基足利義持/大業徳基禅師
文化財

国宝
紙本墨画溪陰小築図
絹本着色秋景冬景山水図
重文
方丈(本堂)
東照宮
八窓席(小堀遠州作茶室)
猿猴捉月図(長谷川等伯筆)
本光国師日記ほか

ご由緒

応永年間(14世紀末 - 15世紀初頭)に、室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基(南禅寺68世)を開山として洛北・鷹ケ峯に創建したと伝えるが、明らかではない。
慶長10年(1605年)、徳川家康の信任が篤く、江戸幕府の幕政に参与して「黒衣の宰相」と呼ばれた崇伝(以心崇伝、金地院崇伝)によって現在地に移された。

体験御朱印国宝重要文化財武将・サムライ有名人のお墓

Wikipediaからの引用

概要
金地院(こんちいん)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の寺院。大本山南禅寺の塔頭。本尊は地蔵菩薩。江戸幕府の法律や外交を担った僧・以心崇伝が住したことで知られる。僧録司が置かれ、一塔頭寺院に留まらず江戸時代を通じて五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関とされた。また10万石の格式を持ち、「寺大名」とも呼ばれた。小堀遠州作の庭が国の特別名勝に指定されている。 徳川家康の遺言による3つの東照宮のうちの一つがあり、江戸幕府による増改築が度々なされた。京都三名席の茶室がある。
歴史
歴史[編集] 以心崇伝像(狩野探幽筆) 応永年間(1394年 - 1428年)に、室町幕府第4代将軍足利義持が大業徳基(南禅寺68世)を開山として洛北・鷹ケ峯に創建したと伝えるが、明らかではない。 慶長10年(1605年)、徳川家康の信任が篤く、江戸幕府の幕政に参与して「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝(金地院崇伝)によって現在地に移され、南禅寺の塔頭とし、自らの住坊として再興された。 慶長15年(1610年)には駿河国・駿府城内に駿府金地院が、元和5年(1619年)には江戸城内北ノ丸に江戸金地院が開かれ、駿府と江戸における崇伝の活動拠点となった。 崇伝は元和5年(1619年)に幕府より僧...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] 京都市営地下鉄東西線蹴上駅下車 徒歩数分
引用元情報金地院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%87%91%E5%9C%B0%E9%99%A2&oldid=97915313
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