びょうどういん|単立|朝日山
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楽しみ方平等院のお参りの記録一覧(8ページ目)

JR宇治から宇治橋通りから平等院表参道を通って平等院に参拝した。道すがらお茶屋が多いのはさすが宇治という感じであったが他には鰻屋が多いのも目についた。

宇治橋通りから平等院表参道に入る所にある立派な鳥居

同じ場所にある世界遺産の碑

平等院の表札

平等院の周りにはお茶屋が多いがその中で異色を放つスターバックス

表門

拝観券、大人600円、中高生400円

10円硬貨にも描かれている平等院鳳凰堂

頂いた御朱印と平等院鳳凰堂のツーショット

平等院鳳凰堂の屋根に据えられている金色の鳳凰

平等院の説明パンフレット

常設展示品の解説がスマホで聞けるQRコードが書かれています。

暑かったので帰りの道すがら駅近くの伊藤久右衛門茶房で宇治金時 濃い抹茶アイス入りを食べて涼をとる

正寿院の次は平等院鳳凰堂へ移動🚗
前回訪れた時は秋のライトアップの時間帯だったので入るまでに長蛇の列、立ち止まる事も許されず、とにかく人の多さに驚きました。
今回の参拝も他の寺社よりは人出は多かったですが、ゆっくり散策できました。
10円玉の硬貨表面には、『平等院鳳凰堂』が描かれています。日本を代表する文化財であること、建物に特徴があることを理由として、昭和26年に選ばれたそうです。
こうしたことから、『平等院鳳凰堂』は日本人にとって身近な寺院といえるかもしれません。
平安後期の1052年、最大権力者であった関白・藤原頼通(ふじわらのよりみち)が父・藤原道長(ふじわらのみちなが)から継いだ別荘を仏寺に改めたのが『平等院』です。
そして翌1053年、当時の最高技術を持った仏師・定朝(じょうちょう)が造り上げた『阿弥陀如来坐像』(あみだにょらいざぞう)を堂内に安置した『鳳凰堂』(阿弥陀堂)が完成しました。
『鳳凰堂』が人気を集める由縁は、何といっても極めて華美なそのたたずまいにあります。
当時は末法思想が貴族や僧侶らの間で広まっており、1052年から末法になると信じられていました。そのため死後に極楽往生を願う浄土信仰が広く浸透します。阿弥陀如来を信仰すれば極楽に行けるとされ、各地に阿弥陀堂が造られましたが、鳳凰堂もその一つです。
国宝『鳳凰堂』は、摂関時代(平安中期)の建築を知ることができる存在であると同時に、約1000年のときを経ても今もなお豪華絢爛な様式が見る者の心を奪う貴重な建築物だともいえるでしょう。
建立当時から修復を行っていないわけではないですが、赤を基調とした鮮やかな色調を再現するなど、『鳳凰堂』は平安の頃の風合いをできるかぎりそのまま受け継ぐようにしているとのことです。
そして堂内には金色の『阿弥陀如来坐像』が安置され、壁などに『九品来迎図』(くほんらいごうず)や『極楽浄土図』が描かれており、建物内にも優美な世界観が広がっています。
また、池の中島に建立されていることで、水面に逆さになった姿が映し出され、本当に極楽にある寺院のようなおもむきなのです。
平安時代に記された『続本朝往生伝』(ぞくほんちょうおうじょうでん)という本には、「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という一節があります。
これは「極楽浄土の存在を疑うのならば『平等院』をお参りしてみなさい」といった意味であり、つまりは『平等院』を極楽浄土のような美しさだと表現していたのでしょう。



























平等院は、京都府宇治市にある単立の寺院。山号は朝日山。本尊は阿弥陀如来坐像。ユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。平安貴族が建立した寺院で、建物・仏像・壁画・庭園まで含め一通り残存している点で、日本で唯一の史跡。多くの国宝等を有するが、大どころでは鳳凰堂4棟(中堂・両翼廊・尾廊)、木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像52体、鳳凰堂中堂壁扉画14面、鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾)1対、梵鐘が国宝。
創建は平安中期の1052年、開基は藤原頼道、開山は明尊。当初天台宗であったが、江戸期以降、天台宗と浄土宗を兼ねており、特定の宗派に属さず、境内塔頭の本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している特異な形態になっている。
現在の平等院の地は、9世紀末に嵯峨源氏の源融(光源氏のモデル)の別荘であったが、陽成天皇、宇多天皇、朱雀天皇、源重信の手を渡り、998年摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となった。道長の死後、その子である関白・藤原頼道が末法思想や浄土教に基づき、西方極楽浄土とその教主たる阿弥陀如来を観想するために「宇治殿」を寺院に改造した。なお開山の明尊が園城寺(三井寺)長吏であったことから園城寺の末寺となった。
鎌倉期前夜の1180年には、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れ(治承の乱)当院「扇の芝」で自害。1184年には近くで宇治川の戦いが勃発。1221年の承久の乱では当院に鎌倉幕府軍大将・北条泰時、北条時房の本陣が置かれ近くで合戦が発生。南北朝時代の1336年に足利尊氏と楠正成の合戦に巻き込まれ、鳳凰堂以外のほとんどを焼失した。
室町時代の1490年代に浄土宗の僧・栄久が荒廃した平等院を修復するために塔頭・浄土院を創建。江戸期の1654年に天台宗寺門派の僧・澄栄が塔頭・最勝院を創建、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。
当院は、宇治川の南西岸にあり、京阪宇治駅からだと宇治橋を渡って川沿いの参道を300mほど進むと入口がある。境内全体が庭園になっていて、半分すり鉢状になった高台に塔頭の浄土院・最勝院・鐘楼・ミュージアムがあり、中央の低い部分に鳳凰堂が大きく構えている形になっている。
参拝時は週末の朝一で、天気が良いにもかかわらず、参拝者は驚くほど少なかった。ただし、鳳凰堂内部拝観はコロナ対策で人数制限をしており、平等院自体8:30開所だが、9:00過ぎに10:40参観予定と言われ、泣く泣く拝観を断念した。

境内北端にある<表門>。

表門をくぐって、すぐ右手にある<寺務所>。

参道進んで左手にある<扇之芝>。扇の形をした芝の敷地。平安末期の1180年に、以仁王の挙兵で以仁王側の源頼政が橋合戦に敗れここで自害した。

扇の芝の隣にある<観音堂>。

観音堂の隣にある<藤棚>。

藤棚のそばにある<鳳凰堂拝観受付>。

いよいよ<鳳凰堂>。北側から。手前の池は<阿字池>。

鳳凰堂、北東から。

鳳凰堂正面。東側から。

鳳凰堂。南東から。

鳳凰堂。南側から。この場所の後ろ側に<集印所>と<六角堂>がある。

六角堂の隣にある<鐘楼>。小山の上に立つ。

鐘楼の<梵鐘>。オリジナルは国宝。写真はレプリカ。

鐘楼から見た庭園。

鐘楼の横にある<鳳翔館(ミュージアム)>入口。

鳳翔館の裏手と塔頭・浄土院の間に建つ<平等院 旧南門>。

鳳凰堂の裏手の高台に建つ塔頭・浄土院の本堂。

鳳凰堂の裏手の高台に建つ塔頭・最勝院の本堂。

浄土院、最勝院から続く下り坂から見た鳳凰堂。桜が満開。

最後、北側から見た、湖面に映る鳳凰堂。

意外にもこちらの平等院も初めての参拝です。
コロナ禍で人出はそこそこでした。
鳳凰堂は時間と人数制限があり、入れませんでした。

定番の風景。


人出はこんなもん。

災難よけ不動尊。

御朱印いただきました。

宇治といったら、お茶。
抹茶フロート最高^_^

京都市内は混むし宇治ならばと思ったら、世界遺産はやっぱりみんなみたいよね。紅葉と関係ないけど。広いので密にはならずにすみましたが内陣拝観は4時間待ちで諦めました。納経所は長蛇の列。ミュージアムとショップは大混雑。また、今度!
1052年末法思想により浄土信仰が流行する中藤原頼道により開創、翌年鳳凰堂が落慶。

南門から。

源頼政のお墓。


最勝院。

最勝院不動堂。本尊不動明王と役小角像。

池殿地蔵尊。



きれいな鐘。ミュージアムで見ることができます。
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