ちくりんじ|真言宗智山派|五台山(ごだいさん)
竹林寺公式高知県 西高須駅
7:00~17:00(名勝庭園・宝物館拝観は8:30~17:00)
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 普通100台(無料、高知県立牧野植物園と併用) |
神亀元年(七二四年)、土佐の国は浦戸湾に浮かぶ山上に法(のり)の灯火(ともしび)をともして以来、竹林寺は令和五年、開創千三百年を迎えます。
その長き歴史のなかで幾多の盛衰を重ねながらも、変わらぬものはただひとつ。
時代を生きる人びととともに歩み続けること。
人びととともに これまでも これからも
高知市五台山にある真言宗智山派のお寺。四国八十八ヶ所霊場第三十一番札所。
ついに来た憧れの本番四国の八十八ヶ所霊場。立派な仁王門をくぐると年月を感じさせる石段と苔生した境内、まるで異世界に入り込んだような気分です。神仏混合の時代を伝える日吉神社や弘法大師を祀る大師堂に手を合わせながら進むと御本尊文殊菩薩様を祀る本堂。またとない機会なので持参した写経を納めて来ました。しかも丁度お坊さんが本堂内で念仏を唱えられていたのでさらに有り難い気持ちになりました。それと初めてお遍路さんの服装のお遍路さんをお見かけしました。あいにくのお天気でしたが雨の降る竹林寺も大変素敵でした。
参拝後は仁王門前へと戻り横を進んだ先にある朱印所で御朱印を頂きました。北海道から参拝に来たと言うと大変驚かれていました。
車で向かう際は上りも下りも一方通行の道が続くのでご注意を。竹林寺向かいには高知県立牧野植物園があります。駐車場は竹林寺の前から少し上がった先にあり牧野植物園と共有の広い駐車場です。
本堂
仁王門
虚空蔵菩薩堂
五台山ミニ八十八ヶ所
境内
手水舎
五重塔
お地蔵様
善財童子
鐘楼
大師堂と五重塔
弘法大師像
仁王門説明
本坊
仁王門
参道
狛犬
参道入口
五重塔
聖天堂(仮)
仁王門
境内
ランドセル祈願会
本堂
仁王門
駐車場
竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基により唐の五台山(現在の中国・山西省五台山)になぞらえ開創されました。
開創の縁起には、仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜、文殊菩薩の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました。これをたいそうお喜びになった帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
やがて土佐のこの地が選ばれ、行基自ら謹刻した文殊菩薩像を本尊とし当山は開創されたと伝えられています。
時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌、当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって、当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。
その後、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学山(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました。
今日、土佐の民謡「よさこい節」で広く親しまれている純信・お馬の恋物語。その僧・純信も江戸時代末、当山の脇坊・南の坊に住む修行僧のひとりでした。
しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く、寺運は一時衰微しましたが、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました。
今日、み仏を拝す人々の参詣の香煙は絶えることなく、また、緑豊かな寺域は四季の自然の折々を楽しむ人々の憩いの場としても広く親しまれています。
住所 | 高知県高知市五台山3577 |
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行き方 | 高知駅からMY遊バスで26分、「竹林寺前」下車 30番 善楽寺より
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名称 | 竹林寺 |
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読み方 | ちくりんじ |
参拝時間 | 7:00~17:00(名勝庭園・宝物館拝観は8:30~17:00) |
参拝料 | 境内 無料 名勝庭園・宝物館 400円 |
トイレ | 駐車場、お守り授与所横 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 088-882-3085 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@chikurinji.com |
ホームページ | http://www.chikurinji.com/ |
SNS |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 文殊菩薩 |
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山号 | 五台山(ごだいさん) |
院号 | 金色院(こんじきいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 神亀元年(724) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
本堂 | 室町時代様式、一層入母屋、五間四方、杮葺き |
文化財 | 本堂、書院、木造文殊菩薩及侍者像 5躯、木造釈迦如来坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造阿弥陀如来立像、木造薬師如来坐像、木造大日如来坐像、木造千手観音立像、木造十一面観音立像、木造勢至菩薩立像、木造白衣観音立像、木造馬頭観音立像、木造大威徳明王像、木造愛染明王坐像、木造多聞天・増長天立像(重要文化財)
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ご由緒 | 竹林寺は神亀元年(724)、聖武天皇の勅願(ちょくがん)を奉じた僧・行基により唐の五台山(現在の中国・山西省五台山)になぞらえ開創されました。 開創の縁起には、仏教の崇敬の念篤い時の帝・聖武天皇はある夜、文殊菩薩の霊場として名高い大唐の五台山に登り、かの地で親しく文殊菩薩から仏教の奥義を授かるという霊夢をご覧になりました。これをたいそうお喜びになった帝は、行基に日本国中よりかの大唐五台山に似た霊地を探し、伽藍(がらん)を建立するように命ぜられたのでした。
時代は下り、大同年間(806~809)には弘法大師が四国回国の砌、当山に錫(しゃく)を留めて修行され、この由縁をもって、当山はのちに四国霊場第三十一番札所に定められるところとなりました。 その後、時代を経て江戸時代に至っては、土佐代々藩主の帰依を受け、藩主祈願寺として寺運は隆盛。堂塔は土佐随一の荘厳を誇り、学侶が雲集し、学山(学問寺)として当地における宗教・文化の中心的役割を担うに至りました。
しかし、明治初頭の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の難は当山といえどもこれを避け難く、寺運は一時衰微しましたが、その後、かつての寺観を取り戻すべく伽藍の復興整備を進め、ようやく往古の輪奐(りんかん)に復するに至りました。
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